ラグビー

専修大学・村田亙監督 気配り、目配り、原点に帰って再挑戦の11年目

専修大学の村田亙監督。2部から再挑戦のシーズンになる(撮影・全て朝日新聞社)

ラグビーの元日本代表スクラムハーフ(SH)で活躍した村田亙(わたる)監督(54)が母校・専修大学の指揮官になって丸10年となった。2021年シーズンは関東大学リーグ戦1部を7敗の8位(最下位)で終え、2部1位の立正大学との入れ替え戦にも敗れて5年ぶりの2部へ降格。新シーズンは、初心に戻って就任した当時と同じ2部からの復活を目指す。

一緒に早朝トレーニング

村田監督の朝は早い。午前4時過ぎには起きて、横浜の自宅を出る。午前5時30分から始まる一番早いグループのウェートトレーニングにつきあうためだ。学業優先のため、寮がある伊勢原総合グラウンドから最寄り駅までのバスの出発時間に合わせてある。トレーニングは40分ほどだが、ほとんど休みなく中身が濃い。1、2年生中心の早朝メンバーはトレーニング後、朝食を食べて午前7時15分か45分発のバスに乗り、授業へ向かう。「朝も苦になりませんね」。指導は基本的に専門家に任せているが、選手と一緒にトレーニングをして監督自らも鍛えている。週4回、そんな生活が丸10年続いた。

オフには部員の自主トレにつきあい、一緒に体を動かした

50歳を超えたが選手に近い指導者だ。村田監督は「特に1年生SHとは練習後一緒にやっている。見せられるうちは、それが手っ取り早い。パスもキックもまだ負けていない」。食事や風呂で選手と一緒になることも珍しくない。意識的というより、そのスタイルが自分に合っている。「選手たちは他大学にはいない指導者と思っているかもしれません」。そばにいるからこそわかることもある。

選手の勧誘に苦労、原石を探して

選手の勧誘にも目配りを欠かさない。専修大の監督になって、高校日本代表が入ってきたのは、監督の母校・東福岡高出身で新体制の副将になったSH友池瞭汰(3年)だけ。高校時代に名をはせた多くの逸材は、有名強豪大学へ進んでいく。

リーグワンのNECグリーンロケッツ東葛で活躍する身長198cmのロック山極大貴は思わぬことから専修大へ入ることになった。村田監督が全国高校大会(花園)の視察に訪れていた際、スタジアムの前に背の高い高校生がいた。気になって声をかけてみると、それが山極だった。所属する保善高(東京)が全国大会に出場していたわけではないが、チームとして遠征を兼ねて見に来ていた。村田監督は「当時は(体重)80kgぐらいでガリガリでしたが、『これは』と思った」。

熱心に誘ってもらった山極は専修大の門をたたいた。山極らが最上級生だった2019年度、リーグ戦1部5位だった専修大から「5年生」も含めて実に5人がリーグワンの前身トップリーグ入りした。輝く前の原石を見つけ出し、伊勢原で磨き上げることも村田の大きな役目となっている。

鍛えるのは、自らを律し病気などで休まないためでもある

信じて任せることも

監督に就任して決して満足できる成績を残しているわけではないが、立ち止まらず常に変革を求めてきた。15年に一度1部に復帰したが、2部に再降格していた17年には東芝時代にお世話になった竹内明彦さんにストレングスコーチをお願いした。その年に2部で全勝優勝し、1部復帰へつながった。「直談判して来てもらっています。(日本代表主将の)リーチが大きくなったのは竹内さんのおかげ。5年目になりますが、選手たちはフィジカル負けしなくなってきた」と成果を語る。

18年7位の後、19年は5位と健闘したが、20年は1勝しかできずに1部最下位だった。その反省から、2人のOBに指導陣に加わってもらった。トップリーグ監督経験もある石倉俊二アシスタントコーチと7人制日本代表だった鈴木洋平スポットコーチだ。21年は2部降格とすぐに結果は出なかったが、右腕の大東毅ヘッドコーチを含めて、全てを自分でやるのではなく、新しい風を取り入れながら、任せられことは信頼して任せてきた。

新型コロナウイルスの影響でどこの大学も苦労してきたが、専大は21年シーズン直前に感染が広がり、チーム作りに影響したことは否めない。強豪ぞろいのリーグ戦では歯車がかみ合わなくなれば、2部降格も珍しくない。だからといって、歩みを止めるわけにはいかない。2部に降格したことで課題がたくさん見えてきた。「決して甘くない2部リーグ、1年で1部に復帰するために、今シーズンも最後まで学生たちを鼓舞し続けます」。原点に帰って、コツコツと浮上のきっかけをつかみとる覚悟でいる。

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