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連載:4years.のつづき

慶大で日本一、みんなが勝たせてくれた 仙台89ERS GM志村雄彦・3

慶大が45年ぶりにインカレ優勝を果たしたあの日をいま、志村さん(右)に語ってもらった

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ6人目は昨夏、バスケットボールのBリーグ2部に所属する仙台89ERS(エイティナイナーズ)のゼネラルマネージャー(GM)に就任した志村雄彦さん(36)。3回目は志村さんの入学当時は関東の2部だった慶應義塾大が、日本一に上り詰めるまでの話です。

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どんな環境でも結果を出すのが一流

志村さんは2001年に慶大バスケ部に入部したころ、日本一を経験した仙台市立仙台高校での日々を思い、失望を隠しきれなかった。その反面、うれしい発見もあった。「高校時代の僕らは正直、やらされてる感もありましたけど、慶應のチームメイトは本当に楽しそうに練習したり、バスケの話をしたりしてました。鳴り物入りで入ってきた僕に対して構える部分もあったはずなのに、すごく自然に受け入れてくれたのもうれしかったですね」。志村さんは、そう振り返って微笑んだ。

そして、忘れられない言葉が志村さんの頭にあった。
「どんな環境でも結果を出すのが一流。環境のせいにするやつは三流だ」
2学年先輩で、同じくトップレベルの高校から慶大に進学した佐藤健介さんの言葉だった。

「志村は慶應に行ったからダメになった」。そう思われるのは、絶対に嫌だった。1年生のある日、志村さんは同級生に言った。「このチームを日本一にしたい」。仲間たちは驚くでもあきれるでもなく、大きくうなずいたという。

高校トッププレーヤーの入学が追い風に

強い気持ちを持って再び日本一を目指し始めたが、下級生の頃はなかなか勝てなかった。チームメイトたちは総じて一生懸命だったが、日本一になるためにはどのレベルでプレーし、どのレベルで追い込めばいいのかが分からかったからだ。

道先案内人となったのは、日本一を知る唯一の選手であり、言い出しっぺとなった志村さん。「誰よりも練習しなければ勝てないと思ってたし、僕が中途半端な練習をしたら信頼を失ってしまう。とにかくハードワークする姿を見せ続けようと思ってました」。気を抜きたくなることもあったが、そんなときは仲間たちが「そんなことで日本一になれるのか? 」と背中を押してくれた。

慶大4年のときのインカレ決勝で専修大の選手(左)と激しくボールを奪い合う志村さん(撮影・徳丸篤史)

3年生になると、身長が2m超ながら機動力もある竹内公輔(現・栃木ブレックス)と、ハードワーカーの酒井泰滋という二人の高校トッププレーヤーが入学。志村さんは強豪校から指定校推薦で入学した辻内伸也、進学校出身の無名の原石だった石田剛規(現・東京エクレセレンスヘッドコーチ)といった同期らと力を発揮し、秋の関東リーグで念願の1部昇格を達成。そして最終学年では関東1部の優勝とインカレ制覇をなしとげた。インカレ決勝の相手は専修大だった。12点差をつけられて迎えた後半、一気に点を重ね、77-72で45年ぶりの優勝を果たした。

全体が慶應を応援する雰囲気

志村さんは自分たちのなしえたことを「奇跡」と表現する。

「いろんなことが重ならないと、ああいうことって起きないと思うんです。インカレのトーナメントはどれも厳しい試合ばかりでしたし、決勝で戦った専修もすごく強かった。でもなんというか、みんなが勝たせてくれたんですよね。あのときの会場は、全体が慶應を応援する雰囲気で、すごかった。たくさんの人がうちの勝利を願ってくれてることを感じつつ、仲間たちを信じてプレーした結果が、うまく形になったんだと思います」

2004年秋の関東リーグで1部を制した慶大の選手たち(前列左から辻内さん、石田さん、志村さん、竹内さん)

実は志村さんはインカレ決勝のことをあまり覚えていない。印象に残った瞬間やエピソードを尋ねてみても、どうにも要領を得ないのだ。「勝ったときは『勝った』という結果くらいしか覚えてないんです。負けて悔しい思いをした試合は違うんですけど(笑)」

過去を振り返らず、前を向く。そのスタンスは学生時代から一貫しているようだ。

4years.のつづき

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