バスケ

連載:4years.のつづき

物足りなかった慶應の練習 仙台89ERS GM志村雄彦・2

志村さんは仙台市立仙台高でバスケ漬けの日々を送った

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ6人目は昨夏、Bリーグ2部(B2)に所属する仙台89ERS(エイティナイナーズ)のゼネラルマネージャー(GM)に就任した志村雄彦(たけひこ)さん(36)。2回目は慶應義塾大に進むまでの話です。

3冊目に入ったGMノート

昨夏から89ERSのヘッドコーチを務める桶谷大氏は、志村さんの3度にわたる粘り強い交渉の結果、ほかの10チーム以上からのオファーを蹴って仙台にやってきた。桶谷氏は志村さんについて「若いし経験もないけど、その中で『新しいものをつくろう』『日本のプロバスケ界におけるGM像を確立しよう』という思いで勉強し、しっかりしたビジョンを構築してます」と評する。

筆者のインタビューに応じた志村さんの傍らには、一冊のノートが置かれていた。日々の業務で気づいたことをメモし、立ち止まったときに見返すのだという。GM就任後3冊目に突入したというそのノートの内容が気になったが、志村は「言えないっす」とだけ言って、ニヤリと笑った。

バスケ以外に視野を広げるため慶應へ

2004年12月5日。志村さんが主将を務めていた慶大は、インカレの決勝で専修大を77-72と下し、45年ぶりの優勝を果たした。この日の代々木第二体育館付近の最高気温は何と24.8度。強く吹き付けた南風の勢いに乗り、慶大は12点のビハインドを後半一気に巻き返し、選手やスタッフは歓喜の涙を流した。

志村さんにとって、仙台市立仙台高校時代に続いて2度目の全国制覇だったが、喜びは別格だった。専門誌のインタビューには「正直、高校時代の何百倍もうれしかったかもしれない」と答えている。その理由は、出発点の違いにある。

仙台高が日本一を本気で目指す集団だったのに対し、慶大はそうではなかった。付属高からの持ち上がりやスポーツ推薦以外で入部した部員が大半で、高い目標を目指す土壌がなかった。志村さんはそこに新しい種を植え、水をやり、最終的に日本一という大きな花を咲かせた。

慶大4年生のとき、志村さん(中央)は主将としてチームを引っ張った(撮影・徳丸篤史)

そもそも志村さん自身も、当初は競技に重きを置かない大学生活を思い描き、慶大に進学を決めた。ほぼ年中無休でバスケ漬けだった高校時代を経て、「自分の視野を広げたい。バスケ以外のことをたくさん吸収したい」との思いから、当時関東リーグ2部だった慶大の環境情報学部に進んだのだ。

個性を出すことの意味をSFCで知った

環境情報学部がある湘南藤沢キャンパス(SFC)は、当時は同学部と総合政策学部の二つしかない、こじんまりとしたキャンパスだった。「1年のときの基礎クラスで一緒だったとか、友だちの友だちとか、みんなが知り合いみたいな感じでしたね」。志村さんは懐かしそうに振り返り、続けて言った。

「スポーツのほかの競技や、文化系・芸術系のスペシャリストや、いろんな感覚を持った人間と触れ合えたことは、とてもよかったです。SFCにいたから『個性を出すのは悪いことじゃない』と思えるようになりました。ほかの学校に行ってたら、価値観が凝り固まってたかもしれません」

慶大3年生のときの志村さん。1年生のときからずっと、小さな体で躍動し続けた

学部での生活は充実していたが、部活には失望を感じた。慶大の練習は高校時代に志村さんが経験してきたそれとは、クオリティーがまったく違った。「あ、こんな感じか」。そんなふうに思わずにはいられなかった。一方で、ただ純粋にバスケを楽しむ彼らの姿は、とても好ましいものに映った。

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4years.のつづき

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