大学野球

連載:野球応援団長・笠川真一朗コラム

初めてのドラフト取材で感じた、野球に関わるすべての人の思い

今年6月の東都1部、2部入れ替え戦で打席に立つ火ノ浦選手(撮影・佐伯航平)

4years.野球応援団長の笠川です。10月17日にプロ野球ドラフト会議がありました。僕はこの日、初めて取材者として指名を待つ選手と同じ空間にいました。

東都2部を代表する打者、専修大の火ノ浦選手

ドラフト当日、僕が足を運んだのは神奈川県伊勢原市にある専修大学の伊勢原体育寮です。ここに来るのは僕が立正大学3年生のリーグ戦以来で、少し懐かしい気持ちになりました。

僕はこの場所でプロ志望届を提出していた火ノ浦明正(ひのうら・あきまさ)外野手の指名を待ちました。火ノ浦選手は鹿児島のれいめい高校時代に主将で4番を打ち、専修大では1年から試合に出場。3年の春から本格的にレギュラーの座をつかみ、4番に座りました。春秋ともに3本のホームランを放ち、秋の2部リーグ戦優勝に大きく貢献しました。

神奈川県伊勢崎市の専修大学グラウンド。懐かしいです(撮影・笠川真一朗)

非常にリストが強い左バッターで、体に近い位置でボールをとらえられるのが魅力だという印象を受けました。逆方向にも大きな打球が打てて、50m走が5秒9という俊足も武器です。4年生になってからの春、秋は本来の力からすれば少し奮わなかった気はしますが、十分にプロを狙える位置にいると僕は感じました。東都2部を代表するバッターです。

僕が火ノ浦選手をドラフトの日の取材対象として選んだ理由は、先ほど書いた思いに加えて、ふたつあります。1年の春からリーグ戦に出場している彼。そのデビュー戦の初打席初安打を神宮球場で見た、というのがひとつの理由です。1年生ながら打席からあふれ出てくるオーラに心を奪われました。そしてもうひとつの理由は、東都大学野球2部の選手だからです。

僕も立正大学の野球部でマネージャーを務め、4年間ずっと東都大学野球2部で戦いました。当時の東都2部にも、素晴らしい選手がたくさんいました。同世代には東洋大学の原樹理投手(現・東京ヤクルトスワローズ)や青山学院大学の吉田正尚(まさたか)外野手(現・オリックスバファローズ)。とんでもない力を持った選手たちです。「なんでこんな人たちが2部にいるんや」と感じたことが何度もあります。2部からでも有力な選手を往路へ送り出すのが東都です。そんな場所で揉(も)まれた選手たちを間近で見てきたからこそ、ここからプロに巣立っていく選手にスポットライトを当てたいなと思ったんです。

高まる緊張感、手のひらに大量の汗

10月17日午後5時にドラフト会議が始まりました。
火ノ浦選手の指名があるのか。各球団の指名選手が発表されるたびに現場の緊張感が高まります。僕も手のひらに大量の汗をかきながら見守りました。

監督と火ノ浦選手もじっとテレビでドラフトの様子を見守ります(撮影・笠川真一朗)

しかし、残念ながら火ノ浦選手の指名はありませんでした。

指名される、されないに関わらず、少しでもこれまでの話とこれからの話を聞けたらなと思っていましたが、残念ながら大学側の判断によりドラフト会議後の取材対応はなくなりました。でも正直、僕自身も心苦しくてなかなか話は聞きにくいなと思いました。

人の夢が、人の目標がかなう、とんでもなく大きな大きな一日。
当たり前のことですが、志望届を提出したからといって、指名されるかどうかなんて本人にも誰にもわかりません。
決めるのは球団です。そこには実力や結果、人柄や運や巡り合わせも絡み合ってきます。
本人に話を聞けていないので、どう思い、何を感じたかは僕には分かりません。
でも、悔しさや悲しさは当然あったと思います。

指名漏れの本人と仲間へ、監督の素敵な言葉

ドラフト会議直後に専修大野球部の斎藤正直監督が、火ノ浦選手と一緒に彼の指名を待った部員たちにこんな言葉を贈りました。
「残念。火ノ浦には次のステージで頑張ってもらおう。そしてこの鬱憤(うっぷん)を最終戦(リーグ戦最終週)で晴らしてもらって。プロの世界は入口が本当に狭い。そう簡単にはいかない。火ノ浦でさえ、声がかからない。ということは後輩、あるいは同期もこれを見てもっと頑張らないとプロにはいけない。そして、こうやってチャンスがあること、名前が挙がることだけでも本当に素晴らしいこと。これから頑張ろうな」

この素敵な言葉に斎藤監督の人柄が込められていて、僕は胸を打たれました。

努力や過程は誰しも報われるわけではありません。斎藤監督がおっしゃる通りで、野球という世界は上の世界にいけばいくほど次のステージへの入口がとても狭くなっていきます。しかも、誰でもいつまでも続けられるものでもありません。でも火ノ浦選手が4年間、専修大でプロを目指して頑張ったのは紛れもない事実であり、誇れる実績です。

ドラフトが終わったあとも、たくさんのことを考えました(撮影・笠川真一郎)

そして何より、ドラフトから6日後の10月23日、リーグ戦最終カードとなる青山学院大との試合で、火ノ浦選手は本当に鬱憤を晴らすかのようにセンターへホームランを放ちました。これを「意地の一発」と呼ばずにはいられません。ものすごく感動しました。いまの目標はかなわなかったかもしれませんが、失ったものを数えるより、手にしたものを数えて、胸を張ってほしいと僕は思いました。

火ノ浦選手は社会人野球のステージで野球を続けるそうです。社会人野球の世界で再びプロを目指すのか、社会人野球を長く続けるのか。実際に次のステージに立ってみることで、また感じること考えることがあるはずです。そこで次の目標が生まれるんだと思います。僕も彼にしっかりと話を聞ける日を楽しみにして、これからも追いかけたいと思います。

野球だけが教えてくれることもある

彼のように次のステージで野球を続ける選手もいますが、それよりたくさんの選手が大学を最後に野球をやめます。僕もたくさんそういった選手を見てきました。誰にもいつか、選手としての終わりが来ます。高いレベルで野球を続けたい人が、野球を続けられない。そんな厳しい世界がその先にはあります。続ける資格を得た人はこれからも野球ができる喜びを、続けられなかった人はこれまで野球ができた喜びを。一人ひとりがそれぞれの野球人生を大切にして、これからの人生を生きていけば、野球をしていたことに大きな価値がある。僕は常々そう思っています。

野球だけが人生のすべてじゃありません。でも野球だけが教えてくれることもたくさんあるはずです。

これからも、彼の挑戦は続いていきます(撮影・佐伯航平)

僕が新卒で就職した百貨店をやめて、「大好きな野球を仕事にしたい!」と思って少しずつ実現できていることも、野球が教えてくれたことであり、野球が導いてくれたことです。
野球は本当に自分自身に大きな活力を与えてくれます。
野球をやっていて本当によかったです。

昨年まではひとりの野球ファンとして、家で楽しんでいたドラフト会議。
今年は仕事として現場で、いま起きている現実に立ち会えました。
この差はとても大きくて、僕にとって、この1年間の成長だった気がします。
これは僕にとっては当たり前のことじゃないので、ここからまた靴ひもを固く結び直して、自分自身の仕事も一生懸命に頑張ります!

大切なことを、また野球が僕に教えてくれました。

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