サッカー

特集:駆け抜けた4years.2022

大東大・小山智也「主役であり、脇役である」、学生記者として発信し続けた4年間

小山は男子・女子のサッカー部に足しげく通い、より厚みを持った記事を執筆した(写真は全て本人提供)

「主役であり、脇役である。自分が主役であることも大事です」。大東文化大学で学生記者をしてきた小山智也(4年、獨協埼玉)は、2月28日に一般社団法人大学スポーツ協会、通称「UNIVAS(ユニバス)」が主催するUNIVASAWARDS2021-22で、「サポーティングスタッフオブ・ザ・イヤー」部門で優秀賞を受賞した。「選手の魅力を引き出すために努力してきたことが評価されたことはすごく嬉(うれ)しい」と思いを話す。

小山は1年生の時からスポーツ大東編集部に所属し、3年生になってからは担当部活である女子、男子サッカーの魅力をアピールするために一般社団法人ユニサカで活動。記事を執筆するとともに大学女子サッカーのライブ配信を担当するなど、多方で活躍をしてきたことが評価された。今までの経歴とどのような活動をしてきたのか詳しく聞いた。

けがで野球を諦め、中学から文化部へ

小山は幼稚園の時にサッカークラブに所属。親戚の叔父さんが地元のサッカーチーム・浦和レッズのサポーターで、小山もよく試合に連れていってもらっていた。その影響でサッカーや浦和レッズを好きになり、憧れを抱くようになった。自身もプレーし、ポジションはゴールキーパーとディフェンダーを経験。当時を振り返り、「サッカー大会で浦和レッズのホームスタジアムである埼玉スタジアム2002でプレーできたことを鮮明に覚えている」と話す。

小学校では、友達の影響で小4の時に野球クラブに所属。小6では主将を務めるなど、意欲的に活動した。「勉強だけでは学べない、スポーツの良さを学べた」とスポーツへの愛着心が高まったという。

中学受験をし、獨協埼玉中高一貫校に進学した。中学でも野球を続けることを決めていたが、仮入部の前に剥離(はくり)骨折をしてしまった。野球を諦め、写真部、鉄道研究会、サイエンス部と3つの文化部に所属することにした。好奇心が強かった小山は様々なことに興味を持ち、楽しんでやっていたという。

鉄道研究会では会長を務め、全国大会でベストライター賞の獲得に貢献した(前列中央が小山)

鉄道研究会では中3から高3まで会長を務めた。高3では部で初めて全国大会に出場し、ベストライター賞を受賞。「内輪で活動して終わりではなくて、成果を残してみんなと喜びを分かち合いたい」との思いで、先頭に立って制作に取り組んだという。「評価していただいたのは、すごく嬉しかったです」と喜びをかみしめた。

学生記者として様々な立場の人にスポットを当てる

「いろんなことに挑戦したい」という気持ちを胸に、地元の大東文化大に入学した。大学でも中高での経験を生かし、写真を撮影するサークルPhotograph Farmと鉄道研究会に所属。またスポーツやカメラが好きなこともあり、熱烈な歓迎を受けたスポーツ大東編集部に入部を決めた。当初は「大学生のサークルの延長戦だと思っていました。でもその中で真剣に新聞製作に取り組んでいる先輩を見て、衝撃を受けた」と話し、「自分も色を出して熱量を持って取り組みたい」と決意した。

「大学スポーツを間近で見られることが嬉しかった」と話し、取材も監督や選手に優しくしてもらい、緊張もほぐれたという。「話を聞けるのが楽しかったし、取材で感じたことや聞いたことを自分の言葉で書ける面白さがあった」と1年生の時から積極的に活動した。

熱意を持って新聞で女子サッカー部を大きく取り上げてきた

大東スポーツでは陸上部やラグビー部のイメージが定着し、他のスポーツに目が向けられることは少なかった。小山は担当部活である男子サッカーや女子サッカー部にスポットを当てることを決め、自ら「pick up player」や「本日の推しメン」という企画を部のブログで実施。試合に出ていない選手や応援している人、相手の選手など、様々な人々にスポットを当て続けた。

「自分の努力によって証明する」という意志を持ち、Twitterで情報の更新やブログ記事の投稿を続けた。Twitterでもいいね数が増えていき、サッカー部が認知されるようになっていった。2019年4月号、12月号でサッカー部を裏面(6面)で担当するなど、サッカー部の露出向上に貢献した。

コロナ禍でのラストイヤー、学外に視野を広げ

だが、2年生の冬に新型コロナウイルスの影響拡大で多くの部で試合が中止になった。スポーツ大東編集部は就活に専念するため、3年生で活動は終わる。小山にとってのラストイヤーである年に、取材が行けなくなってしまった。「最後の年で頑張るぞ、というタイミングで取材に行けなくなってしまった。何か自分でできることはないか」と模索した。

スポーツ大東編集部で毎週行われる会議では積極的に発言し、部を盛り上げた

そこで小山は大学サッカーを盛り上げる活動をしているユニサカの慶應義塾大学の親友に連絡した。「学生サッカーの魅力を様々な方法で広報していた。自分も力になれれば」と編集部での経験を生かし、「ユニマガ」という企画で記事を執筆。またライブ配信・動画制作・YouTubeチャンネル運営をしている株式会社吉田エンターテインメントに連絡し、関東大学女子サッカー連盟・全日本大学女子サッカー連盟のライブ配信を担当した。活動を経験して、「同じ思いを持って、大学サッカーを盛り上げたいと考えている人に関われたことで、世界の広さを知れました」と視野が広がったという。

一方、新聞部での活動も怠らなかった。3年生で広告局長を務め、コロナ禍でも広告主に依頼を続け、広告収入を前年より増やした。また小山は「突撃!!選手の家ごはん」というステイホームをしている選手の手料理を紹介する企画を立案し、新聞で掲載。「今だから発信できること。コロナ禍でも、読者が楽しめる企画を考え続けました」と話す。

コロナ禍で新聞を発行できない大学もあったが、スポーツ大東編集部は休刊することなく発行し続けた。小山は「大学のサポートや、部の多ヶ谷(公佑)監督、部員それぞれが熱意を持って、記事を執筆し続けたからだと思います」と、厳しい状況下でも発信することを続けた。

その結果、2020年度に開催された朝日新聞社や報知新聞社の新聞コンテスト(オンライン)で評価された。例年は記事・写真・レイアウトの部門に分かれ、それぞれで順位がついたが、コロナ禍での状況を鑑みて順位をつけず、プロの記者が作品を選定して評価した。「自分たちの代で熱意の火を絶やすことなくできたことが評価されて嬉しかった」と喜びをかみしめた。

少数精鋭で、大東スポーツを盛り上げるために皆で活動した(前列右端が執筆者の西澤、隣が小山、※撮影時のみマスクを外しています)

地元の埼玉新聞で「埼玉に恩返しをしたい」

大学4年間での活動を振り返り、「記事を書いて新聞を発行するだけでなく、購読者に発送したり、広告を依頼したりと、一つのものを遂行するのにいろんな仕事があることが分かりました。よりリアルに一つの組織を学ぶことができた」と言う。

卒業後は、地元の埼玉新聞社に勤める。「21年間埼玉で育ってきたので、埼玉に恩返しをしたい。何歳になっても挑戦して、オンリーワンの人間や記者を目指していきたい」と熱く抱負を語る。

好奇心を持って何事にもチャレンジすることを惜しまない。4年間駆け抜けてきた、その努力の積み重ねは大きな力になったはずだ。その力を今後の人生にも生かしてほしい。

in Additionあわせて読みたい