陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2022

大東文化大・鈴木優花 挑戦者として挑んだ4years.、そしてこれからも

「D」のポーズで笑顔。大きく成長できた4年間だった(写真提供・大東文化大学陸上競技部)

近年の大学女子長距離界は、昨年、全日本大学女子駅伝と富士山女子駅伝の駅伝2冠を4年連続で達成した名城大学が君臨している。そんな最強チームに常にライバルの一番手として挑み続けてきた大東文化大学をエースとして引っ張ってきたのが、鈴木優花(4年、大曲)だった。結果的に駅伝での日本一という悲願は果たせなかったが、卒業を3月に控えた今、自身が「できることはやり切った」という充実の4年間を振り返ってもらった。

大東大で1年目から主力として活躍

「君だったら絶対に強くなるよ」

雪の秋田を訪れた外園隆監督から掛けられたその言葉が、大東大進学の決め手となった。鈴木が高校2年生だった冬のことだ。「そこまで期待してくれるんだと、びっくりするくらい手を引いてくれました。監督の熱い言葉に自分の心も熱くなって、大学でどこまでできるか挑戦してみたいと夢を見るというか、わくわくしました」

当時の大東大のポジションも理想に近かった。全日本大学女子駅伝では、鈴木が入学する前年までの5年間で2位が4回と、頂点が届きそうで届かない位置にいた。鈴木には「もともとトップにいるチームよりは、トップに挑戦して追う立場の方が好き」という思いがある。本格的に陸上を始めた高校も、県内強豪校の花輪ではなく、地元の大曲に進んでいる。常に挑戦者でいることが鈴木のモチベーションなのだ。

2018年の春、「大学駅伝で優勝したい。日本一を獲るような全国トップレベルで戦える選手になりたい」という目標を胸に大東大に入学した。陸上競技部の活動は、「それまでの概念が覆された」と振り返る。

「君だったら絶対強くなるよ」。外園監督に導かれて大東大に入った(写真提供・大東文化大学陸上競技部)

「大学の練習は、追い込む練習ばかりしていた高校と違い、運動生理学の面で計算されていました。疲労の抜け具合や、体組成を分析して自分に合った食事を摂るなど、とことん研究し尽くすところから始まります。ただ走るといっても、これだけやるとこんなに違うんだと改めて知って、陸上の奥深さに驚かされましたし、さらに面白さが出てきました」

初めての寮生活で学ぶことも多かった。最初は不安や戸惑いもあったが、「先輩方がいつも目をかけてくれて、チームの温かく明るい雰囲気で私自身の人柄も変わっていった気がします」と鈴木は話す。「外園監督がおっしゃっているのは、『人間力』の大切さ。人を思う心や人とのつながりが大きな力を生み出し、競技に生かされていくことを毎日の生活で学びました」

新鮮な気持ちで競技に向き合う姿勢は、すぐに成果に表れていった。5000mでは5月の関東インカレで2位に入り、6月の日本学生陸上競技個人選手権は大会新記録で優勝した。

「練習ではしっかりついていけることも、ついていけないこともありましたが、いつの間にかどんどんスピードが出るようになっていた感覚でした。自分では何が起こっているかわからないけれど、大会で走ってみたら行けてしまったということが結構ありました」

自身の成長に思考が追いついていない。そんなルーキーイヤーの前半シーズンだったと言えるかもしれない。

大きな飛躍を遂げた2019年

1年目の秋、初めて出場した全日本大学女子駅伝で、鈴木は多くの人に衝撃を与えた。スタート前は多少の緊張もあったが、それ以上に「ここまでやってきた練習を爆発させたかった」という。大東大は1区で13位と出遅れたものの、5.6kmの2区に起用された鈴木が12人をごぼう抜き。区間賞の快走で一気に首位に浮上し、チームの窮地を救った。

「襷をもらった時は前が見えていたので、とにかく前に行こうという思いだけ。あとは無心で走っていて、残り1kmあたりでトップに出たときは楽しかったです」

約2カ月後の富士山女子駅伝でもアンカーの7区を担い、区間新記録で区間賞を獲得する。ただ、鈴木は個人成績よりも両駅伝がともに2位に終わった悔しさの方が大きかった。

2019年を迎えると、鈴木は3月の日本学生女子ハーフマラソンで優勝を果たす。自身初のハーフマラソンだったにもかかわらず、「しっかり距離を踏んできたので、距離に対する不安はなかった」と積極的に走り、最後は名城大のエース・加世田梨花(当時2年、成田/現・ダイハツ)との競り合いを制した。

1年生ながら学生ハーフマラソンで優勝。距離への強さを見せた(撮影・朝日新聞社)

2年生になると、5月の関東インカレ10000mで優勝。7月のユニバーシアード(現・ワールドユニバーシティゲームズ/イタリア・ナポリ)でも、ハーフマラソンで残り3kmから日本勢の三つ巴となったレースを制して金メダルを獲得する。

「ユニバーシアードは目標にしていた大会でしたが、正直、(金メダルを)獲れちゃったという印象です。今まで経験したことのない勝負の局面やアップダウンがあるだろうと、レース前は緊張していました。でも、そんな気持ちを押し切って勝てたのは、自分の競技人生の中でも糧となりました。大東大の先輩でもある(関谷)夏希さん(大学院2年、市立船橋)と一緒だったのもすごく心強かったです」

世界の舞台で活躍したことで、鈴木には「世界選手権やオリンピックを目指したい」という思いが芽生え始めた。

2年時の関東インカレ10000mで優勝。最後は独走だった(撮影・藤井みさ)

ワンランク上のレベルに進化した鈴木は、駅伝シーズンでもたくましさを見せつける。全日本の3区では、同学年の名城大・和田有菜(長野東)と16分以上に及ぶデッドヒート。「逃げ場がないし、前に行くしかないと腹を括った」と、大東大らしい果敢な“ケンカ走法”で区間賞に輝いた。

富士山を含め、またしても名城大の牙城を崩すことはできなかったが、チームとして「優勝が近づいた」という手応えと、「1年生の頃よりはリラックスして走れるようになった」と自身の成長を感じた2大会となった。

これからも「挑戦者」として

しかし、それまでの順調さから一転、2020年は苦しいシーズンを過ごすことになる。シーズン前半は、新型コロナウイルスの影響で大会の中止や延期が相次ぎ、モチベーションが低下した。そのときは「後輩たちが淡々と練習している姿を見て、『自分もやらなきゃ』と思い、戻ることができた」ものの、徐々に大会が再開され始めた夏に今度は故障に襲われる。右腓骨の疲労骨折だった。

9月の日本インカレは欠場。駅伝シーズンを前に「仲間を信じていなかったわけではないけれど、私が走らないと大東文化大学が危ういと危機感を持っていました」と、鈴木は当時を振り返る。だだ、「6、7割の状態で臨んだ」という全日本はアンカーで、「8、9割の状態だった」という富士山は5区でいずれも区間賞。全日本では区間新記録をマークした。状態が万全ではない中でも、チームのために最大限の力を発揮する。そのあたりに鈴木の駅伝に対する並々ならぬ思いが伺える。

「駅伝は個人競技ではなく、長距離で唯一、気持ちでつないで仲間と一緒に立ち向かっていける楽しい競技だと思います。私は駅伝になると頑張れたし、駅伝に対する思いは強いと自信を持って言えます。個人種目とどちらが上ということはありませんが、みんなと一緒に頑張れるのは駅伝しかない。駅伝をしていて感じるのは、いろいろな人の支えや思いがあって選手が走れるということなので、素敵な競技だなと感じています」

ラストイヤーの日本インカレ10000mでも優勝、強さを見せつけた(撮影・藤井みさ)

最終学年となった今年度、春先はなかなか調子が上がらなかったが、夏頃から復調し、9月の日本インカレ10000mは大会新記録で優勝。駅伝シーズンに入り、全日本も富士山も区間賞こそ拓大の不破聖衣来(1年、健大高崎)に譲ったものの、ともに区間2位の力走でチームを準優勝に導いた。鈴木は中でも、10人を抜いて順位を3位に押し上げた富士山女子駅伝の5区が「4年間で一番印象に残っている」という。

「集大成として自分らしい走りを出し切れたと思えたからです。また、今まで以上にチームのまとまりの大切さを知った大会でもあり、これからの競技人生を考える上でもステップになる大会でした」

家族やチームメート、ライバル……。鈴木はこれまでたくさんの人に支えられ、刺激をもらいながら成長してきた。とくに「私の競技人生を変えてくださった存在」として、常にポジティブな言葉で温かく指導してもらった外園監督には感謝してもしきれない。

大学最後の駅伝となった富士山女子駅伝の5区が、もっとも印象に残っているレースだという(写真提供・大東文化大学陸上競技部)

「監督からいつも言われていたのは、『挑戦者』という言葉です。競技も人生も常に学び続ける者が上に行けるし、学ぶことをやめた瞬間に成長は止まってしまう。満足するなと教えていただいたからこそ、今の私がありますし、挑戦した先に次の光が見える、と。失敗を恐れず、挑戦者でい続けることをこれからも大切にしていきたいと思っています」

昨年3月、前回チャンピオン(2020年は中止)として臨んだ日本学生ハーフマラソンは僅差で敗れて2位に終わった。しかし、強風が吹き荒れる悪条件の中、終始、先頭でレースを引っ張り、最後まで攻めの姿勢を貫いた。鈴木がどのレースでも、誰かの後ろについて体力を温存し、最後に抜け出すという走りをほとんどしないのは、「自分は速いペースでガンガン押していくのがスタイル。周りに合わせていたら、自分の走りを発揮できないまま終わってしまう」という考えがあるからだ。

21年の学生ハーフマラソンでは、名城大の小林と同タイム、超僅差での2位(撮影・藤井みさ)

次に出場予定のレースは、3月の名古屋ウィメンズマラソン。大東大の選手としてのラストランは、鈴木にとって初のマラソン挑戦となるだけでなく、春から始まる実業団生活に向けた大いなる第一歩となる。

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