格闘技

伊澤星花「人を巻き込んで世界一に」教師を目指す学芸大大学院生で格闘家の自分だから

女子格闘技の新星として注目されている伊澤は、東京学芸大学大学院生でもある(撮影・松永早弥香)

教師を目指して進んだ東京学芸大学大学院では、柔道をやり切るつもりだった。「コロナがなかったら……」。誰もが口にしたであろうその言葉も自らのチャンスにつなげたのが、総合格闘技(MMA)戦績6戦無敗でRIZIN女子スーパーアトム級の頂点に立った伊澤星花(24)。大学院生であり格闘家でもある伊澤の夢は、膨らむ一方だ。

柔道とレスリングの毎日、テストはほぼ白紙

小さい頃、伊澤は年子の兄・壱斗(かずと)と弟・風我とともにケンカの絶えない日々を過ごし、見かねた母が連れて行ったのが近所の柔道場だった。当時4歳。「もう、抵抗とか考える間もなく始めたので、柔道を始めた頃の記憶はないですね」と笑いながら明かす。

熱心な母のおかげで小さい頃から柔道一色だったが、「好き」よりも「きつい」「つらい」「怖い」の方が強かったという。きょうだい3人で競い合ってはいたものの、互いの順位の上・下より、「優勝じゃなければうれしくないし、優勝以外は負け」という意識で柔道と向き合っていた。加えて、小4の時には「柔道にも生きるから」と、父の勧めでレスリングも始めた。厳しい柔道に比べ、レスリングのクラブではバーベキューやキャンプなどのイベントもあり、伊澤の中では柔道の息抜きにレスリングをするという位置づけだった。

柔道中心の生活をしていた中学時代、伊澤はほとんど勉強をしていなかったという(撮影・松永早弥香)

中学に上がってからはさらに学校の柔道部も加わった。授業が終われば柔道部の練習、その後に近所の道場でさらに練習。土日は午前に柔道、午後にはレスリング、という日々が続いた。親からも「柔道を頑張ったらいいから」と言われ、勉強する時間も柔道に注いだ。そんな中学生時代の自分を伊澤は“問題児”と振り返る。

「勉強はしなくて、テストもほぼ白紙で出してました。私は思ったことを全部言ってしまうタイプだったから、友達ともよくもめて外でもケンカをしてましたね。殴り合いではなく言い合いですが。そんな感じだったから先生にもめっちゃ文句を言ってました」

ただ、3年間ずっと担任だった先生は伊澤に向き合い、問題を起こした時には叱ってくれた。その時は「うっとうしいな」と思うこともあったが、高校生になってからあの時の先生は自分のために言ってくれていたと理解できるようになり、「教師はすごい熱意がある人じゃないとできない仕事だな」と感じたという。小学生の時から先生という仕事に憧れがあり、中学時代の経験を経て、具体的な夢へと変わった。

余った時間に勉強、一気に学部トップへ

高校は同じ宇都宮の作新学院高校に進み、初めての寮生活へ。レスリングはクラブに通えなくなったこともあるが、中3の時に沼尻直杯全国中学生選手権女子57kg級で優勝するなど結果を残せたことで満足する気持ちもあり、レスリングをやめて柔道に専念すると心に決めた。

そうすると時間に余白ができた。その時間を勉強にあて、「高校3年間はめちゃめちゃ勉強して、多分、学年で一番勉強したと思う」と言い切る。練習後は必ず勉強し、テスト期間中は朝4~5時に起きて勉強。その甲斐(かい)もあり、学部では1位、テストでは80点以上をキープした。「やればできるんだ」と自信がつき、一層勉強に力が入った。

勉強すればするほど成績が伸び、「勉強って楽しいな」と思えたという(撮影・松永早弥香)

テスト期間以外も4~5時には起き、ひとりで走りに出るなど朝型の生活を継続。柔道では2年生の時にインターハイ女子52kg級で3位と結果を残している。柔道の強豪大学から誘いもあったが、伊澤が進学先で重視したのは、教員免許が取得できる東京の大学という点だった。先輩がいた縁で東京学芸大の柔道部の練習に参加させてもらい、学生自身が考えながら練習に取り組んでいる姿が魅力的に感じた。そこからは東京学芸大を見据えて勉強に取り組み、推薦入試で合格をつかんだ。

「限界が見えた」と思っていた柔道に再び火が付いた

東京学芸大で初めての一人暮らしに初めての東京生活。今まで出会う機会もなかったような友達もでき、改めて自分は柔道しかしていなかったことに気がついた。高校時代から思い描いていたアルバイトにも勤しんだ。コンビニやファミレス、スポーツクラブ、カラオケなど多岐にわたり、発達障害を持つ子供をサポートする児童福祉施設のアルバイトだけは今も続けている。

その一方で、柔道にはモチベーションが上げられずにいた。「自分の限界がなんとなく見えてしまって、頑張ってもこのくらいなのかなって」。個人戦ではいつもギリギリのところで競り負け、都大会の1回戦で終わることもあった。気持ちですでに負けていると自分でも分かっていた。それでも団体戦では力を発揮し、3年生の時には東京学生柔道優勝大会女子5人制で東京学芸大初となる優勝を成し遂げた。

「そんなに柔道をやらなくていいかな」と思っていた伊澤に、4年生の春、教育実習で母校・作新学院を訪れたことで変化が起きた。柔道部には自分の全盛期を知る後輩たちがおり、自分のことを「かっこいい先輩」「すごい先輩」と尊敬してくれていることを実感。前向きな気持ちで柔道に取り組めるようになり、地元で柔道をしていた弟・風我と久しぶりに一緒に練習し、全く歯が立たなかったこともきっかけとなった。

「当たり前なんですけどやっぱり悔しくて、なんで駄目なのと考えて、どんどん練習していく中で自分の成長を感じられたんです。自分はもう限界だと思ってたけど、まだまだ知らないじゃん、まだまだ強くなれるじゃんと気がついて、だったらもう一回頑張ってみようと思いました」

風我(左)から刺激を受け、伊澤は大学4年生の夏前に再び柔道に打ち込んだ(写真は本人提供)

大学では52kg級や57kg級で出場していたが、強度の高い練習を始めるとみるみるうちに体重が落ち、48kg級や52kg級に階級を変更。8月の東京学生体重別選手権では52kg級に出場し、全日本学生体重別選手権につながる最後の7枠目をつかんだ。迎えた全日本では2回戦敗退。手応えこそあったが、2~3カ月ほどの練習で挑んだ自分は圧倒的に練習量が足りていないことを痛感した。

4年生にとって引退試合となった全日本学生体重別団体優勝大会で、東京学芸大は初戦で筑波大学に敗れ、その筑波大は準優勝を果たした。ただ伊澤自身は48kg級で勝ち、自分の伸びしろを感じられた。もっと練習すればまだまだ上を目指せる。大学院の2年間で柔道をやり切った上で、教員になる未来を思い描いた。

そんな事情があったが、大学院への進学を決めたのは柔道のためではない。「自分の中で教師としてのビジョンがまだ見えなくて、自信をもって子どもたちに伝えられることがあるのかなという思いもありました。それなら大学院でもう少し学んで、自信をもって教師になろうと思ったんです」。保健体育専攻の伊澤は、幼少期の遊び経験が高校の段階でどのような影響を与えるのかを卒論のテーマに選んだ。大学院では作新学院での実地研究も踏まえながら研究を継続し、来年3月に修士課程を終える予定だ。

コロナ禍、「子どもたちのために」で格闘技の世界へ

両親からは「大学4年間はサポートする」と言われていたが、大学院では学費も含めて全部自分で用意しないといけなかった。そのため住まいは月5万円から月3万円の部屋に移り、学業と柔道の隙間を縫ってアルバイトの時間を調整した。だが大学院に進学した2020年4月、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい、柔道は大会どころか日々の練習すら継続できない状況に陥った。再び灯した柔道の情熱は行き場をなくした。

「これは勝てるぞと手応えがあった中で試合がなくなって、もうやることがないな。柔道ができないなら、先を見据えて指導者になる準備期間に切り替えようとしました。でもやっぱり煮え切らなくて……。自分がまだ柔道をやり切れていない、夢に向かって頑張り切れていないのに、そんな自分が子どもたちに何を伝えられるんだろう、という葛藤がありました」

その時、伊澤の頭に浮かんだのが総合格闘技だった。当初から興味があったわけではないが、風我が格闘技好きだったため実家のテレビで見る機会はあり、華やかな入場シーンが印象に残っていた。「プロなら試合はあるんじゃないか」。そんなきっかけで伊澤は20年6月に総合格闘技の練習を始め、同年10月にDEEP JEWELSでプロデビュー。無敗のまま、DEEP JEWELSストロー級王者とRIZINスーパーアトム級王者となった。

昨年末のRIZIN.33で、伊澤(右)はわずか5戦目で王者・浜崎に勝つという番狂わせを起こした

「打撃が一番てこずってて難しかったところなんですけど、競技と割り切れたのが自分の中でポイントでした。これは競技、相手に勝つための手段、ここだからこそできる行為。そう切り替えてやっていったら少しずつ体が動き始めました。常に考えています。強くなるためには練習が必要なんですけど、練習の仕方が大事で、何を考えながら練習するかによって同じ練習をしてても伸び率は違います。試合でも一緒です。今、何をすれば最善なのかを考えながら、俯瞰(ふかん)的に客観的に試合を見ているな、と自分でも思ってます」

「“自己満”になったら意味がない」

長年、日本女子総合格闘技の頂点に君臨していた浜崎朱加(AACC)に2度勝利し、国内最強との呼び声も高い。そんな伊澤にアメリカの総合格闘技(UFC)への挑戦を期待する人が増える中、あえて「RIZINで浜崎さんとしか戦っていないので、トーナメントをやってもらって文句なしで優勝して、ファンに認めてもらいたい」と発言した。もちろん、伊澤にも「最短で世界一になりたい」という思いはあるが、その前に果たすべきことがある。

「世界で戦うにしても、自分の中で“自己満”になったら意味がない。どうせ世界一になるなら、たくさん応援してくれる人、見てくれる人がいる中で世界一になった方が格闘技界も盛り上がるし、格闘技を知らなかった人も見てくれて、もっともっと広がっていくんじゃないかな。自分だけが世界一になるんじゃなくて、応援してくれる人たち、自分や格闘技のことを知らなかった人たちも巻き込んで世界一になりたいという思いがあります。自分の後にもつなげていきたいです」

伊澤はRIZINではスーパーアトム級(49.0kg)で戦っているが、女子のUFCはストロー級(52.5kg)からだ。「自分の中でまだ階級がどうなるか定まっていないけど、ストロー級で戦うならそれに向けて体を作っていくしかない」と考えている一方で、“野望”もある。「アトム級ができるかもという話もあるようですし、とりあえず今は自分の中でできることをやっていくだけです。自分がもっと強くなって世界から注目されれば、アトム級を作ろうというきっかけになるかもしれないし、そのくらいの選手になりたいです」

風我(右)は伊澤に対し、「優しいし面倒見がすごくいい。そういうのが教育者向きだと思う」(撮影・松永早弥香)

伊澤の半年ほど後に総合格闘技に転身した風我とともに、今年5月にYoutube「伊澤星花と風我の姉弟ch」を立ち上げたのも、様々な人に自分たちのことを知ってほしいという気持ちからだ。動画からは姉弟の仲の良さが伝わるが、プロデューサーの兄・壱斗には「オチがないからもっと研究しないと」、と駄目出しをされるという。「お兄ちゃんは起承転結があって話がうまいんですよ。『だったらお兄ちゃんが出てよ!』と言うんですけど、『それじゃ意味がない』って。自分たちを成長させようとしているようです」と伊澤。動画の概要欄を読むと、そんな兄から2人に対する愛情も伝わってくる。

「女子格はつまらない」と言っている人たちを驚かせたい

女子格闘技の略称として「女子格(じょしかく)」という言葉がある。「女子」とつけることに違和感を抱いている選手もいる中で、伊澤は「女子格」という言葉が好きだと言う。

「華があって良くないですか? 女子は男子の格闘技のついでとか、女子格はつまらないとか思われてしまうこともあるけど、自分はそうは思わない。確かに男子に比べて力は弱いので、インパクトとか迫力とかは劣る部分があるかもしれないけど、女子はその分、技術の高さで戦っている選手が多いと思うんですよね。自分は男子よりも技術があるという自信があります。技術の高さやしなやかな動きは女子格の魅力だと思うし、つまらないと言われるのは悔しいので、もっともっと技術をつけて、つまらないと言っている人たちを驚かせるような試合がしたいです」

総合格闘技は初めて自分から好きだと思えた競技だと言う

総合格闘技の醍醐味とも言える入場シーンで、伊澤は決まって笑顔を見せる。この一戦のためにひたすら自分を追い込み、ときには泣きながら練習に向かい、試合を何度も何度もイメージしてきた。「絶対に勝てるぞ」という自信。「やっと試合ができる」という喜び。「大好きな格闘技ができる」という高揚感。そんな思いがあの笑顔の裏にある。

世界で一番強い選手になり、もっともっと多くの人々に総合格闘技の楽しさを伝えたい。教師を目指していた頃とはまた違う夢ができたが、伊澤が一貫して思っていることがある。「自分が背中を見せることで、次世代を担う子どもたちに夢とか目標をもってもらえたらいいなって。形は違えど、やっぱり人間教育をしたいなという思いはずっとあります」

星のように輝き、花のように美しく。世界の舞台で「伊澤星花」の名が燦然(さんぜん)と輝く日は、そう遠くないかもしれない。

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