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大東大・田中流嘉洲「楽しくやらないと意味がない」、バスケを始めた頃からの夢を追い

ケガが癒えたのは関東大学新人戦の1週間前だった(撮影・すべて松永早弥香)

第62回関東大学バスケットボール新人戦 3位決定戦

6月12日@国立代々木競技場 第二体育館(東京)
大東文化大学 74-58 筑波大学

大東文化大学に進んでからほどなくしてケガをしてしまい、4~5月の関東大学選手権(スプリングトーナメント)は欠場。ケガが癒えたのは関東大学新人戦(ルーキーズトーナメント)の直前だった。調子がまだ上がっていない状況ではあったが、田中流嘉洲(るーかす、1年、中部大第一)の言動からは誰よりもバスケを楽しんでいることが伝わった。

大学初の公式戦は泥臭く

昨シーズンの新人戦は今年3月に延期して開催され、大東文化大が初優勝を果たした。それから約3カ月後の今大会、皆が2連覇を目指していたが、準決勝で日本大学に敗れた。最終日の相手は関東大学選手権で敗れた筑波大学。大東文化大のメンバーは「切り替えて、最後に勝って終わろう」と言い合い、田中は泥臭くリバウンドやルーズボールに飛び込み続けることを意識して試合に臨んだ。

その3位決定戦で大東文化大は41-20という大差をつけて前半を折り返した。田中は積極的にリングにアタックし、体を張ってスクリーンをかけ、リバウンドに飛び込む。第4クオーター(Q)でベンチに下がってからも、味方の好プレーをガッツポーズでたたえ、チームを盛り上げた。大東文化大は筑波大の猛追を振り切り、74-58で勝利をつかんだ。

田中(中央)は献身的なプレーでチームの勝利に貢献した

ケガ明けで挑んだ田中は今の状態の中でできるベストを尽くした。だが「ケガは治ってるけどそんなに練習時間がなくて、でもそれはいいわけでしかないので、この大会の中で調子を上げられたし、(7月に予定されている)全日本大学新人戦に向けてもっと練習して頑張っていきたいです」と、更なる躍進を誓った。

インターハイ覇者として挑んだ最後のウインターカップ

昨シーズンは中部大第一高校(愛知)のエースとして、悲願だったインターハイ初優勝に貢献。2冠がかかったウインターカップは組み合わせ抽選の結果、強豪校がひしめく激戦ブロックに入ることになったが、田中には「いろいろな強いチームに戦える」という喜びもあった。

シード校の中部大第一は初戦となった2回戦で洛南高校(京都)と当たり、3回戦で福大大濠高校(福岡)と対戦。序盤は福大大濠がリードし、中部大第一は第3Qで逆転したが、第4Qで突き放されての敗戦だった。福大大濠はその後も激戦を制し、28年ぶり3度目のウインターカップ制覇を果たしている。「大濠さんが強かったので優勝してくれてうれしかったです」と田中は振り返り、大会後はすぐに切り替え、ゼロからのスタートとなる大学バスケを待ちわびていた。その福大大濠のエースだった岩下准平は筑波大に進学。筑波大との最終戦は田中にとってリベンジマッチでもあった。

筑波大の岩下(右)とは昨年のウインターカップ以来となる試合だった

母の姿を見てバスケを始めた

田中がバスケを始めたのは小6の時。当時の憧れの選手は「お母さん」だった。母はケガの影響でプロバスケ選手になれなかったが、日本とブラジルを行き来しながら育った田中には、ブラジルのプロ選手よりも母の姿が強く印象に残っているという。プロバスケ選手を目指してブラジルでバスケに熱中し、高校は中部大第一に進学。2年目から徐々にプレータイムを伸ばし、3年目はエースとしてチームを支えた。

「目標がプロなら、その目標に届くように手伝うよ」と西尾吉弘監督に声をかけられ、大東文化大への進学を決めた。1年目は少しでも多くの試合に絡んで経験値を高めていき、大学4年間で「全大会優勝」を狙う。監督からどのポジションを任されても力を発揮できるよう、体作りから一つひとつ取り組んでいく。

「インサイドだけど(ダバンテ・)ガードナー選手、同じポジションなら八村塁選手のようなプレーができるようになりたい」と田中(右)

田中は試合中も時折笑顔を見せ、伸び伸びと楽しそうにプレーをしている。「自分が好きなスポーツなんで。楽しくやらないと意味がないと僕は思ってるんで、みんなで楽しくやって、それで最後に勝てたんで良かったです」。そんな田中流嘉洲のプレーからは、本当にバスケが好きだという気持ちが見えてくる。

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