陸上・駅伝

早稲田大・花田勝彦新監督「選手自身が誇りを持てる指導を」世界という伝統を引き継ぎ

花田監督は6月1日に就任したが、練習自体は4月末から見ていたという(撮影・堀川貴弘)

6月1日、早稲田大学の新駅伝監督に花田勝彦氏(51)が就任し、相楽豊前駅伝監督は引き続きチーム戦略アドバイザーとしてチームを支えていく。主将の鈴木創士(4年、浜松日体)を筆頭に、学生たちは全日本大学駅伝と箱根駅伝で2冠を目指している中、花田監督はどのような思いを胸に学生たちに向き合っているのか。

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早大の一番の伝統はエリート選手の育成

早稲田大学の一番の伝統は世界で戦う選手を多数育成してきたことだ。マラソンオリンピック(五輪)3大会連続代表だった瀬古利彦(現マラソン強化・戦略プロジェクトリーダー)、大学4年生だった1995年世界選手権10000mで12位に入った渡辺康幸(現住友電工監督)、大学4年生だった2008年北京五輪5000m&10000mに現役学生で44年ぶり長距離種目代表となった竹澤健介(現摂南大ヘッドコーチ)、そして東京五輪マラソン6位の大迫傑(Nike)。この4人は瀬古が学生初の27分台を出した後、早大の先輩が持つ10000mの(日本人)学生記録を更新してきた(現在の学生日本人最高記録は昨年、田澤廉=駒澤大4年が走った27分23秒44)。花田勝彦新駅伝監督も早大卒業後に1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪と出場した。

――就任会見では大迫選手以後、早大から長距離種目の日本代表が出ていないことを話していました。

花田:渡辺、竹澤、大迫は現役学生のうちに五輪や世界選手権の代表になりました。そういう選手を育てることも1つの目標になりますが、学生のうちに代表になることは難しくなっています。4年間で個人の力を伸ばし、将来的に代表となる選手に育っていくような指導をしたい。縁があれば卒業後も(早大、エスビー食品を通じて指導者と選手だった)瀬古さんと私のような関係で、さらに世界と戦って行けたら、と思っています。

1993年の全日本大学駅伝では1区を渡辺康幸氏、アンカーを花田氏が務め、優勝を果たした(撮影・朝日新聞社)

――推薦入学できる選手の数は少ないとのことですが、早大には高校のトップ選手たちが毎年入学しています。

花田:推薦で入った選手たちが期待されたほど伸びていません。トラックの記録は出せても、インカレで勝てているか、駅伝で区間賞争いができているか。結果が記録に伴っていないので、そういう部分をしっかり指導していきたいですね。井川(龍人、4年、九州学院)も日本選手権は10000m16位で、関東インカレは2位と勝ちきれなかった。27分台(27分59秒74)は持っていますが、大事な試合で走れる練習をしようと話しています。
※井川は取材後の6月22日、ホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会10000mで28分15秒95の4位(日本人2位)と安定度が上がっていることを示した。

――調整練習を見直さないといけない、ということでしょうか。

花田:調整というところではないと思います。今の学生全体に言えることですが、記録は出せてもベースの部分が足りていないので安定感がない。能力は高いものを持っていて練習が少なくてもバンと走れることもあるのですが、それだとケガをしたり調子を落としたりして、その後が続きません。このくらいの練習をしたら、レースでもこのくらい走れるよね、というパターンを確立することが重要なんです。練習が1で試合で1.2や1.3を出すのでなく、「練習イコール試合」「“1”イコール“1”」でいいんだよ、と話しています。まずは驚くようなレベルの高い練習でなくていいので、一定レベルの練習を継続する。

関東インカレ男子1部10000mで井川(中央)は優勝を目指していたが、ラスト1周で敗れての2位だった(撮影・藤井みさ)

全日本大学駅伝では優勝争いを

早大は今年の箱根駅伝で13位と、10位以内に与えられるシード権を逃してしまった。10月15日(予定)の箱根駅伝予選会と、11月6日の全日本大学駅伝(前回6位でシード校)の連戦が難しいスケジュールになる。個人の育成を重視するなら、9月の日本インカレも外せない。花田新監督は現役引退後、上武大で監督を12シーズン務めてきた(その後6シーズンGMOインターネットグループ監督)。その経験も生かしていくという。

――日本インカレ、箱根駅伝予選会、全日本大学駅伝、来年1月の箱根駅伝と、どう戦っていきますか。

花田:日本インカレは戦えるメンバーを出場させたいです。「大丈夫なのか」という声もありますが、出しても大丈夫の選手を作ればいい、という考えです。上武大でも長谷川裕介(上武大4年生の時に10000m28分07秒47、自己記録27分50秒64)や井上弘也(上武大3年生の時に1500m3分44秒12)は日本インカレでトラックを走り、予選会の20km(当時はハーフマラソンではなく20km)も走りました。今年、日本インカレを走ってほしいのは井川や菖蒲敦司(3年、西京、関東インカレ3000mSC2連覇)ら関東インカレで結果を出した選手はもちろん、他にも持ちタイムが学生上位の選手たちです。2年生の伊藤大志(佐久長聖)や1年生の山口智規(学法石川)は高校時代に5000mを13分30秒台で走っています。練習をうまく積んでインカレでも勝負してほしいですね。

――日本インカレと箱根駅伝予選会は、出場選手を分けますか。

花田:長い距離に適性がない選手が1人か2人、予選会に出ないかもしれませんが、基本的にはインカレをアクセントとして予選会もしっかり走ってもらいます。上武大の指導経験から、予選会の戦い方を熟知しているとか言われていますが(笑)、日本インカレで勝負をした後に予選会も通過するのは当たり前でした。早大は予選会も全力で戦うというよりも、先を見据えた戦い方になります。全日本は前回に続いてシードを取るだけでなく、優勝争いもできる戦力です。選手たちは箱根駅伝も総合優勝と言っていますが、まずはシード権を取ることを最優先する戦いをして、その上で往路の先頭争いにどのくらい加われるかが、来季以降の目安になります。

――インカレに出る選手には区間賞争いも期待しますか。

花田:そこが先ほど申し上げた課題でもあるんです。以前はトラックで強かった選手は駅伝も間違いなく走りましたが、今は駅伝で走れない選手が増えています。高校で全国上位に入った選手がたくさんいるのですから、ここからの3~4カ月でもともと持っているポテンシャルを引き出し、そういう選手が8人になれば全日本大学駅伝の優勝争いができるんです。10人になれば箱根駅伝も優勝争いができますが、優勝するにはそれだけの努力をしないといけません。スタートラインや中継所に、これだけやってきたんだから、という状態で立つことができればできるのですが、実際にそこまでの練習ができるの?という状況です。

――推薦枠の少なさが選手層の薄さになっている、という指摘もされています。

花田:そこは言われるほど悲観していません。1学年10人トップ選手が入る大学は、40人が競い合ってメンバー入りした10人になるので、やはり強いと思います。しかし、仮に1学年3人しかトップ選手が入らないとしても、一人ひとりの個性に合わせて育てれば、12人の強い選手がそろいます。今の箱根駅伝は毎年優勝するのは難しいかもしれませんが、個人で日本のトップレベルに成長する選手を1人、2人と育てれば、何年に1回かは優勝を狙えるチームができます。

2014年の箱根駅伝予選会で上武大学は総合6位で本戦出場をつかんだ(手前右が花田さん)

指導を始めてみての印象

正式に就任したのは6月1日だが、花田勝彦駅伝監督が早大競走部の練習を見始めたのは4月末だった。新チームは箱根駅伝後に始動していたし、5~6月の日本選手権や5月の関東インカレに出場する選手は個別に調整に入っていた。

――最初に手を付けたのは、練習のどういった部分でしたか。

花田:故障者が多くて、試合を目指した練習ができていたのは3分の1くらいの人数でしたね。箱根駅伝の成績が悪く、選手たちは1年後の優勝を目標に掲げました。相楽(豊)前監督も優勝した当時のコーチでしたから、選手たちの気持ちに応えようと当時のメニューを提示したんです。選手たちは頑張ってそれをやろうとしたところ、故障者が増えてしまっていました。日本選手権や関東インカレに出場する選手は相楽前監督と一緒に見て、それ以外の選手たちは私がメニューを立てることになったんです。できない練習を続けるのもよくありませんから、5月はお試し的なメニューを組んで選手の力を見て、6月に入ってグループ分けをして、徐々に各選手の目標に合わせた練習に移行している段階です。

――無理をしてレベルの高い練習を行うと故障につながるわけですが、どのくらいまで追い込むか、目安はありますか。

花田:ベースとなる持久的な部分で言えば、キツい中でも押して行けるメニュー、ということになります。それを継続的に行えるようにする。例えば関東インカレ期間中でも、近い時期に試合が入っていない選手は早朝に距離走を行いました。チームとしては関東インカレがあるので、場所は(エスビー食品が使っていたコースの)東宮御所でやってみたんです。起伏も適度にあり、信号もなく走りやすいと、選手たちにも好評でした。

――夏合宿でどんな練習をするか、すでにイメージができていますか。

花田:プランはある程度できています。早大はコロナの対応を慎重に行っていたので、20年以降やりたい合宿ができていません。4年生以外は夏合宿の経験がないので、ある意味白紙に近い感じで進めることができます。予選会や箱根駅伝を目指した走り込みをベースにして、秋にトラックを狙う選手はスピード系のメニューも入れます。私がエスビー食品の選手だった頃はマラソンに向けた練習がベースでしたが、秋にトラックや駅伝も走れるようなメニューをやっていました。その頃の早大は、学生も箱根駅伝を目指すグループはエスビー食品と一緒に夏合宿を行っていました。レベルに合わせたトレーニングは分かっています。全部が元に戻ることはできないかもしれませんが、コロナでできなかった生活が戻りつつあります。新しいことも含めてやっていって、予選会前にはチームが1つになっていくイメージで進めていきます。

早稲田らしさとは?

大学スポーツは学業優先という前提があり、活動場所はキャンパスが拠点となる。活動予算も制限がある。各大学がそれぞれの環境で何ができるかを考えて強化する中で、特徴が明確になり、それが伝統という形で継承されていく。

花田さん(右)は2016年4月創部時よりGMOの監督としてチームを支え、今年3月31日に退任した。写真は20年12月の福岡国際マラソンで吉田祐也が優勝した時のもの(代表撮影)

――久しぶりに早大に戻られて、伝統という部分は以前と比べてどう感じましたか。

花田:4月にグラウンドに来た時、昔と変わらないな、と感じました。挨拶や気遣いができたり、競技に真摯(しんし)に向き合う姿勢を感じられたり。大学は競技だけでなく教育の場でもあるんです。社会人として活躍できる人材を育成することも、早大では求められます。そういうところを大事にして、競技にもつなげていきたいと思っています。

――早大は世界で戦う選手が育つことと並行して、一般入試で入学した選手が駅伝で活躍することも伝統でした。

花田:やれば強くなるよな、と感じさせる選手が少なくなっています。しかし彼らも、(早大カラーの)臙脂(えんじ)に夢を持って入ってきた選手たちです。目標ややりがいを持って過ごしてほしいし、もちろん卒業後の人生をしっかり考えて勉強してほしいのですが、4年間競走部にいて良かった、と思える学生生活を送ってほしい。すぐにメンバー入りできる選手は少ないですけど、プラスアルファで考えて競技に取り組んでいる選手がどの学年にも1~2人はいるので、彼らを見ているとうれしいですし、2年、3年と続けたらメンバー入りも期待できます。

――そういった選手はどんな行動ができるのですか。

花田:強くなるために貪欲(どんよく)な行動ができるので、例えば指導者に対してもしっかりした質問ができる。私も声はかけるようにしていますが、指導者は辞書のようなもので、知識は持っていても伝えるのには限界がある。辞書を引くように指導者に質問をしてくれたらいいのですが、それができる選手が早大にはいます。

――それはエリート選手も同じですか。

花田:まったく同じではありませんが、瀬古さんと私の例を挙げさせていただきます。私も選手時代、色々な指導者から学びたいと思って、中山竹通さん(瀬古の現役時代のライバル。1988年ソウル、92年バルセロナ五輪マラソン連続4位)の話を聞きに行きたいと瀬古さんに打ち明けました。瀬古さんとは違うやり方、考え方で強くなったと感じられたからです。瀬古さんは器の大きい人で、中山さんに電話をして花田が行きたいと言っているから、とお願いしてくれたんです。瀬古さんの指導が合わないと思ったわけではありませんが、違う指導も受けてみたいと思わせる指導も、別の見方をすれば選手のやる気を起こさせる指導なんです。選手に色々な練習方法を考えさせることになるわけですから。私も選手が伸びる芽を摘むようなことはしないようにしたいですね。

相楽前監督に“チーム戦略アドバイザー”を依頼した理由

箱根駅伝前の集中練習(箱根駅伝に向けて負荷を強くする期間を設定して行う練習の呼称)など、早大伝統の練習も存在する。だがその練習に固執するのでなく、時代や選手の個性にどう合わせて伝統の良さを生かすか。そこが指導者の技量となる。相楽前監督に“チーム戦略アドバイザー”として協力を依頼したのも、1つの見方にならないようにするためだ。相楽前監督は学生時代、主将になった時には、合宿などで一緒になった花田監督(当時はエスビー食品選手)からアドバイスを受けていた。花田監督が現役を引退し、上武大の監督になる際にはコーチ就任のオファーも出していた。

前監督の相楽氏(左)は今後、“チーム戦略アドバイザー”として花田氏とともにチームを支えていく(撮影・堀川貴弘)

――瀬古さんはレジェンド的な存在で、カリスマ性のある指導者だと思っていましたが、それだけではなかったわけですね。

花田:世界を目指す選手の育成と駅伝の強化を同時にされていました。その考えは譲りませんでしたが、現場のトレーニングに関しては柔軟性を持ち合わせている指導者でしたね。私も絶対にこれをやる、これは絶対にダメ、という考え方はしません。選手が強くなった時、世間に対して「監督のおかげ」という言葉があるのはかまわないのですが、本人が頑張ったからこれだけの結果が出た、と選手には思ってほしいんです。私も、瀬古さんの手のひらの上で走っていたのだと思いますが、自分が我慢し、頑張ったから結果を出せたと思っていました。花田がいなくてはやっていけない、という関係にはならず、大迫君みたいに独り立ちしてやっていけるようになる。選手自身が誇りを持てるような指導ができればいいですね。

――相楽前監督に“チーム戦略アドバイザー”として協力を依頼したのも、1つの見方にならないようにするためですか。

花田:相楽君が一緒にやってくれる前提で、駅伝監督を引き受けました。彼は渡辺康幸元監督の頃、参謀役(肩書きはコーチ)で学生駅伝3冠を成し遂げています。私は駅伝ではそこまで結果を出せてなくて、どちらかといえば個人の育成が中心になってきました。相楽君は箱根駅伝のノウハウが豊富で、チームをまとめることができる指導者です。私は山(登りの5区と下りの6区)の攻略が得意ではないのに対し、相楽君は自身も5区も6区も走りましたし、山の選手も育ててきました。選手とのコミュニケーションも、高校の教員を経験していることもあり、愛情を持って厳しく接することができる。(高校時代の実績が低いところからの)たたき上げの選手でしたから、諦めたらその時点で終わってしまう。私は競技中心の視点で話をしてしまいますが、彼はもう少しだけ頑張れよ、と選手の背中をもうひと押しできる指導者なんです。2人の特長を生かした指導で選手の成長をサポートしていきたいと思っています。

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