フィギュアスケート

「スケートから離れたい」どん底から戻ってきた20歳の現在地 明大・本田真凜(上)

明治大学に通う20歳の本田真凜(撮影・北村玲奈)

2016年世界ジュニアフィギュアスケート選手権を14歳で制した本田真凜(JAL)は明治大学政治経済学部に通う学生アスリート。7月15~18日に開催される「プリンスアイスワールド東京公演」にゲストスケーターとして出演予定です。注目を浴び続ける中で世間と自分自身との乖離(かいり)に苦しみ、「スケートから離れたい」と思うほど落ち込んだこともありました。少しずつ大人になり気持ちの変化も生まれたという20歳の素顔とは。4years.の独占インタビューを前後編に分けて紹介します。

「本田真凜」を演じた

リンクに立つだけで会場が華やぐ。チャーミングな笑顔。はんなりした京都弁でクスッとさせる笑いを織り交ぜる。そうして一瞬で人の心をとりこにしてしまう。本田真凜の魅力は昔から変わらない。

本田は京都生まれで5人きょうだいの次女。2歳からスケートを始めた。長男の太一、三女で女優の望結(みゆ)、四女の紗来(さら)もフィギュアスケート選手だ(太一さんは21年3月引退)。

本田はノービス時代から卓越した表現力やジャンプの技術で頭角を現した。中学2年生の14歳でジュニアグランプリファイナル3位に入り、世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を飾った。「浅田真央2世」「ポスト真央」と呼ばれ、華やかな容姿も相まって注目を集めた。

2016年全日本選手権でジュニアながら4位に入った(撮影・細川卓)

大会連覇に挑み総合得点200点超えで銀メダルを獲得した17年世界ジュニア選手権は、テレビのゴールデンタイムで生中継された。

当時から「ジュニアの試合なのになんでここまで?」と違和感を抱いていた。明るい笑顔からポジティブ思考のように見えるが、「根はネガティブ」と明かす。いつしか「自分じゃない自分を演じていた」という。試合で気持ちの切り替えができていなくても、「全然気にしていないです!」と弱い自分を出さないように「本田真凜」を演じて見せた。本音で話すこともできなくなった。

高校1年生でシニアに上がり、平昌オリンピックシーズンを迎えた。小さい頃から掲げたオリンピックの夢。その最終選考会を兼ねた17年全日本選手権で7位に終わり、日本代表入りを逃した。失意の本田を大勢の報道陣が囲んだ。演技後の思いや敗因、今後の目標など折り重なるように質問した。

「目指していた演技ができなかった。悔しい。気持ちの整理がついたらスケートを頑張りたい」

16歳が涙をこらえて絞り出した言葉だった。

2017年全日本選手権女子フリー演技後(撮影・白井伸洋)

「どうしたらひっそりいられるかな」

18年春、兄の太一さんとともにアメリカに拠点を移すことを決めた。後の北京オリンピック金メダリストとなるネイサン・チェンらを育てたラファエル・アルトゥニアンコーチに師事した。心機一転のつもりだったが、その後は国際大会の表彰台から遠ざかった。

それでも注目は続き、アスリートとしての成績よりも「本田真凜」の一挙手一投足が取り上げられた。日常生活のなにげない発言がネットニュースになることもあった。

世間が求める本田と自分自身との乖離に苦しんだ。「試合から帰ってきてもいくつもカメラがあって。いい試合のときはいいですが、全然よくなかった試合でも同じような数で。どうしたらひっそりいられるのかなと考えたりしていました」

棄権した全日本後「誰とも会いたくない」

明治大学進学と、コロナ禍の影響もあり、20~21年シーズンから拠点を日本に戻した。関西では本田武史コーチ、新横浜では佐藤信夫、久美子の両コーチの指導を受けるようになった。

調子は上向かず成績は低迷した。ジャンプは精彩を欠き、得意の表現力でもカバーできず総合得点はジュニア時代から50点近く下がった。なんとか出場にこぎ着けた20年12月全日本選手権は体調不良で棄権した。

「スケートから離れたい」

つらくて苦しくて、心がつぶれそうだった。

「大学も冬休みだったので本当に誰とも会いたくないみたいな感じの年末年始でした」

選手たちの言葉に救われた(撮影・北村玲奈)

選手たちの言葉に救われた

どん底にいた本田の心を救ってくれたのは現役選手からの言葉だった。「『まりんのスケートをもっと見ていたい』『やめないでほしい』『まりんのスケートが本当に好き』と。そういった言葉を現役選手からかけていただけるというのが、そのころの自分にとても響きました。『あ、そうなんだ』とやっと気づけました。1番底まで落ちていた気持ちを取り戻せたきっかけでもありました」

アイスダンスへの誘いもあり、一度シングルから離れて挑戦してみることにした。専用の靴を買ってスケーティングの基礎からスタートし、約3カ月練習を続けた。だが、いざ本格的に打ち込もうとなると様々な障壁が出あり、自分一人では決められないことが多いことに気づいた。

2021年プリンスアイスワールド横浜公演の演技(撮影・西畑志朗)

ジャンプを跳ぶのが怖い

春にはアイスショー、夏から大会も始まるため、シングルの練習を再開した。しかし想像以上に困難な道のりだった。同じスケートといってもシングルとアイスダンスでは靴が違い、演技のエレメンツ(要素)も違う。ジャンプも3カ月間跳んでいない。リンクに入ってもできることは限られた。

「ジャンプを久しぶりにやろうと思うと何もできなくて。素人じゃないけど(跳ぶのが)怖いというのから始まって。1回スイッチが切れていたので戻すのが本当に大変でした」

ジャンプを100本跳んだうち3回転を下りられるのは1本あるかないか。曲を通した練習となるとさらにハードルが上がった。一刻も早く調子を戻すことだけに集中し、なんとか東京選手権に間に合った。連続3回転ジャンプを跳べるところまで技術を取り戻し、21年末の全日本選手権に出場。21位で大会を終えた。

「あっという間でした。逆にそこまで落ちたからこそ、がむしゃらにできていたと思います」

まるでジェットコースターのような1年だった。

【続き】「いつか選手の振り付けをしてみたい」花開く表現の才能 明大・本田真凜(下)
【写真】宇野昌磨、鍵山優真、本田真凜ら「プリンスアイスワールド」で観客を魅了

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