第一工科大のアニーダ・サレー コロナ禍の一時帰国で「別人」になり、最後の伊勢路へ
第54回全日本大学駅伝対校選手権大会 九州地区選考会
6月19日@久留米総合スポーツセンター陸上競技場(福岡)
1位 第一工科大学 4時間13分48秒43
----------ここまで本戦出場------------
2位 福岡大学 4時間19分51秒84
3位 鹿児島大学 4時間23分50秒96
4位 日本文理大学 4時間24分44秒90
5位 九州大学 4時間29分56秒50
6位 長崎国際大学 4時間29分59秒87
(長崎大学は選考外)
11月6日に予定される全日本大学駅伝に、2年連続26回目となる出場を決めた第一工科大学のエースは、モロッコからの留学生アニーダ・サレー(4年)だ。6月19日の九州地区選考会で、とんでもない強さを見せつけた。
2位以下に2周以上の差をつける圧勝
7校が参加した選考会。各校8~10選手が3組に分かれ、10000mを走って上位8人の合計タイムを競った。各校の主力が集まる最後の第3組を走ったアニーダは、2位以下の選手を何と2周以上も周回遅れにしてしまったのだ。
選考会が開かれた福岡県久留米市の競技場は気温31度だった。過酷な気象条件の中でも、スタート直後から独走した。28分48秒59は、最もレベルの高い関東地区選考会の記録にあてはめても、6位相当の好記録だ。なのに、アニーダは「28分20秒くらいで走りたかった。きょうは蒸し暑かったので残念」と疲れた表情も見せずに言った。
「日本に興味ありました。今では大好き」
モロッコ最大の都市・カサブランカから、南西に500km弱にあるアガディールという街の出身。「サハラ砂漠の近くです」と本人が教えてくれた。
14歳から陸上の試合に出始め、2015年にはモロッコのクロスカントリー選手権U-20の部で4位に入った実績もある。現地の大学に入学し、競技を続けながら世界の歴史・文化を勉強しているときに、日本行きの声がかかった。第一工大に留学経験のあるモロッコ人の先輩からだった。
日本行きを決心した経緯を尋ねると、アラビア語と少しの日本語ではうまく説明できない様子だったが、「日本に興味ありました。今では大好き」と話してくれた。大学での歴史・文化の勉強で興味をそそられたのかもしれない。
第一工大がある鹿児島県霧島市に来たのは19年。1年目は環境に慣れず、全日本大学駅伝の4区を走ったが、区間20位と振るわなかった。
しかし翌年、思わぬことが転機になった。新型コロナウイルスの流行だ。
オリンピック金メダリストと練習
感染拡大の影響で20年3月、モロッコに一時帰国した。同年11月に日本へ戻るまで、モロッコのナショナルチームと一緒に練習できた。「東京五輪の3000m障害で金メダルを取ったソフィアン・エルバカリもいました」とアニーダは話す。
練習についていくのは大変だったが、「少しずつ自分のレベルが上がっていくのが分かった。速い人と走ると、私もがんばれる」。食事などもアドバイスされた。
帰国したアニーダを見て、岩元泉監督はびっくりした。「体がぐっと絞られて別人になってました」。昨年の全日本は、1区で区間8位に食い込んだ。
今年1月にアキレス腱(けん)を痛めたが、3月に復帰。5月に宮崎県延岡市であった「ゴールデンゲームズinのべおか」の5000mでは、中盤以降を独走して13分48秒03をマーク。昨年までの自己ベストを6秒以上更新した。
7月2日の西日本インカレ5000mでも、第一工大と同じく全日本大学駅伝出場を決めている大阪経済大学や皇學館大学の選手を破って優勝した。
卒業後は「日本でマラソンをやりたい」
26歳になったアニーダにとって3回目、最後の出場となる全日本での目標は「1区で区間賞を取る」
そして、その次もある。
「卒業したら日本でマラソンをやりたい」
過去には第一工大から実業団に進み、駅伝で活躍したモロッコ人の先輩もいるが、駅伝だけでなくマラソンに目標を広げるほど、いまは勢いに乗っている。