準硬式野球

同志社大・佐伯奨哉、日本一で有終の美を 大学準硬式野球界の「怪物」となれ

佐伯は1年生の時からマウンドに立ってきた

同志社大学準硬式野球部は関西六大学連盟に所属している。現在、部員数は88人と多く、高校時代には硬式で甲子園を経験した選手たちもいる。2017年には日本一に輝いたが、昨年の全日本選手権大会(以下、全日)では、初戦敗退で終わった。だが、今年は2次トーナメントからはい上がり、2年連続全日への出場が決定。日本一に向け、リベンジ闘志を燃やしている。今回は同志社の勝利の鍵を握る不動のエース、佐伯奨哉(しょうや、4年、中京)に注目した。

「怪物」と呼ばれた高校時代

実力は中京高校(岐阜)時代から飛び抜けていた。

軟式野球部に所属し、1年生の秋から背番号はエースナンバー「1」を背負った。周囲の期待に応えるように、2、3年生の時には全国高等学校軟式野球選手権大会への出場を決めると、2大会連続優勝。さらに、全8試合で完封勝利という偉業を成し遂げた。佐伯の勢いは止まらず、国体でも優勝を収め、前人未踏の伝説を高校軟式球史に刻んだ。

まるで漫画の世界のような物語。身長180cmから最速140km超を投げ下ろす姿に、周囲は彼のことを「怪物」と呼んだ。

佐伯(中央)は高校軟式球史に残るほどの成果を残してきた

「日本一」という言葉に惹かれて同志社へ

「硬式に行くこともありだったけど、もう1つの段階として、準硬式を選んだということと、日本一という言葉に惹(ひ)かれました」

佐伯がそう言うように、同志社は佐伯が入学する2年前に5度目となる日本一となった。そんな同志社から声がかかり、軟式時代からこだわり続けた日本一を今度は準硬式で達成したい、という強い思いから入部を決めた。

期待の新星は入学直後から、公式戦に起用された。「圧倒されたというところが正直なところだった」とデビュー戦を振り返る。想像以上のレベルの高さと慣れない雰囲気、相手校からの野次にピッチャーフライを落としてしまうほどの緊張ぶりだった。

大学でも活躍を期待され、理想と現実のギャップに苦しんだ

右も左も分からないまま、4年生にとっての最終シーズンに登板。「春リーグ、関西選手権大会がどれだけ大切なことかを知った時には、マウンドに立ちたくないと何度も思った」。試合を重ねるごとに、明確になる責任の重大さ。ただ投げ続けることしかできず、全日出場にも届かなかった。夏を迎えることなく4年生は引退。日本一のチームには程遠い結果となった。佐伯は実力不足を感じるとともに、「自分の投球で4回生を引退させてしまった」と重く受け止めた。

「エースがめそめそしてたらチームは勝てへんわ!」

悔しさはすぐに消えることはなかった。注目選手として入部しただけに反響は大きく、練習試合に参加すれば、他校の選手は口をそろえて「4回生を引退させたやつ」と言う。そんな皮肉に何も言い返せず、練習に明け暮れる日々が続いた。

ここで負の連鎖は終わらなかった。2年生の春、新型コロナウイルスの影響により、公式戦はすべて中止。実践練習はもちろん、外出すらできない状況が続いた。室内でできるウェートトレーニングに励むも、通常の練習量には追いつかず、気付けば筋力が激減していた。

秋を迎えるも、やはり思うような投球ができない。体格の変化や練習不足から肘(ひじ)を痛め、秋リーグのマウンドで佐伯の姿を見る機会は少なかった。「投げられなかったことが挫折だった」と技術面だけでなく、精神面でも落ち込んでいた。そんな時、1つ上の先輩である田原岳から声をかけられた。

「エースがめそめそしてたらチームは勝てへんわ!」

シンプルな言葉が佐伯の心に突き刺さる。どれだけ打たれたとしても、エースとして堂々といることの大切さを感じ、野球に向かう姿勢が大きく変わった。そんな昨年は、同志社は春リーグ優勝、関西選手権大会準優勝。全日は初戦敗退に終わったものの、間違いなくチームの勝利に1番貢献した。

最後は笑顔で終われるように。佐伯は全日にすべてをぶつける

最終シーズン、日本一の景色をもう一度

ついに今年の春、佐伯のラストシーズンが始まった。春リーグは悔しくも準優勝に終わったが、2次トーナメントで着実に勝ち進み、全日出場への切符をつかみ取った。8月23日から香川県で最終決戦が行われる。ここからは1度の負けも許されず、負ければ引退だ。

「流れを持っていけるようなエースらしいピッチングをしたい」。ピンチでもギアを上げ、自慢のストレートで相手打線をねじ伏せる。これまで支えてもらった先輩方の恩返しのためにもいざ、5年ぶり6度目となる「日本一」奪取へ。マウンドで歓喜の雄叫(おたけ)びを上げ、準硬式野球部界の「怪物」となれ。

in Additionあわせて読みたい