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特集:2022年 大学球界のドラフト候補たち

立正大学・奈良間大己 ここぞで派手な仕事、最後のシーズンは「後輩のために」

1年春から神宮デビュー。自身はもう1部でプレーできないが後輩のために戦う(立正大の写真は撮影・すべて井上翔太)

立正大学の奈良間大己(たいき、4年、常葉大菊川)は、「こういう選手です」と一つの言葉で表現することが難しいプレーヤーだ。その名を世に知らしめたのは、高校3年の夏。トップバッターとして静岡大会で打率8割1分8厘と、驚異の高打率を残し、第100回全国高校野球選手権記念大会でも1回戦の益田東(島根)戦で、バックスクリーンに運ぶ豪快なホームラン。続く日南学園(宮崎)戦では、ショートの守備で4併殺を完成。攻守に強いインパクトを残し、大阪桐蔭の根尾昴(現・中日ドラゴンズ)、報徳学園の小園海斗(現・広島東洋カープ)らとともに高校日本代表に選出されている。

1年の春から神宮デビュー

当時東都大学野球リーグの1部だった立正大では、1年春から神宮デビュー。「9番サード」で経験を積み、秋にはショートのレギュラーに定着した。打順は2番に上がり、2年秋から1番に。3番を任されたこともある。どこの打順に置いても違和感がない。

「チームの中で、与えられた立場に適応できる選手になりたいんです。1番なら出塁することを考えるし、3番なら打点。もし4番を打てと言われたら、ある程度長打を狙ったバッティングをします」と口にする。

高校3年のときは18歳以下の野球日本代表「侍ジャパン」に選ばれた。右が奈良間(撮影・安藤嘉浩)

身長174cmと決して大きくはないが、小兵と呼ばれるほど小さくもない。職人タイプともまた違う。特別目立った成績を残すわけではないが、ここぞのところで派手な仕事をする。例えば1年秋の亜細亜大学戦で、岡留英貴(現・阪神タイガース)から打ったサヨナラ3ラン。ファンも「あの奈良間か。今は立正大にいるのか」と注目した。いわゆる“もってる”選手なのだ。

中学時代はキャッチャー、高校からショートへ

中学時代はキャッチャーだった。高校で「一番うまい選手がやるところ」と自らショートを志願した。守備は「器用なほうではない」と自認する。たしかに華麗なグラブさばきや、流れるようなスローイングへの連動はない。「そういうプレー、やりたいんですけど、僕にはできないんです。それをすると心もファーストのほうに流れちゃう気がするし」と苦笑する。だから捕ることと投げることを切り離して、一つひとつの動きを丁寧にやる。結果として、堅実でミスの少ない守備になっている。

3年生の春、大きな挫折を経験した。自身は打率3割1分1厘の好成績を収めながら、チームの成績が振るわずリーグ戦最下位。入れ替え戦に敗れて2部に降格した。シーズン後のオフ期間、奈良間は帰省することもなく、合宿所に残って一人で練習をしていたという。

常葉大菊川では3年夏に甲子園の舞台に立ち、本塁打を放った(撮影・朝日新聞社)

「悔しさしかなかったです。それと、主力として試合に出ていて、みんなに申し訳ないという気持ち。試合が終わってから、しばらく誰ともしゃべる気になりませんでした。今になってみると、最後の最後、チームにまとまりがなかった気がします。僕も3年生ながら副主将という立場にいて、下級生をまとめたり、もっと先輩方に意見を言えたこともあったと思います。力の差はあまり感じませんでした。でも、そういう団結力みたいなところが、他チームより少し劣っていたのかなと感じています」

主将は「当然、自分がやるものを思っていた」

4年生になった今春、主将に就任した。「当然、自分がやるものと思っていた」と言う。高校時代も主将だった。チームリーダーであることは、奈良間にとって野球をやるうえでMUSTの条件。「何番を打とうが、どこを守ろうが、自分が中心でチームを回したい」という気持ちがある。

春の東都リーグ入れ替え戦。初戦を落とし、後がなくなった中央大学の北村恵吾主将(4年、近江)が、自ら頭を丸刈りにしてチームを鼓舞した。その姿に、奈良間は「強いキャプテンシー、勝ちに対しての貪欲(どんよく)な姿勢を感じた」と言う。ただ、「自分が同じ立場だったら、また違うやり方でチームを立て直そうとしたと思う」とも。

高校時代から主将を務め、リーダーシップを磨いてきた(撮影・朝日新聞社)

違うやり方とは?

「キャプテンとして、一歩引いて冷静な判断をしなくてはいけない局面。一人ひとりがやらなくてはいけないことを明確にして、それをチームに反映させるような形を考えていたと思います」

高校時代、甲子園でベスト16まで勝ち進んだが、夏の大会直前まで選手たちがいがみ合い、バラバラの状況だったという。それを選手同士で何度も話し合い、中心になってチームをまとめ上げた経験が、今も奈良間の中での確かな手応えになっている。

大学で数字を残しても「小園は、根尾なら」

今春の2部リーグ戦前に掲げた目標は、打率3割5分。2部とはいえ各チームに好投手がひしめく中で、なかなか高いハードルだ。結果は3割4分9厘。ほぼほぼ目標達成と思いきや、「全然ダメです。到達していないわけですから」と不愉快そうに言う。

「大学の中で少しくらい数字を残せても、じゃあ小園はプロでこんなにやってる、根尾ならどうだろう? と。そういう方向に考えてしまう自分がいます。だから、褒めてなんかほしくないんです」。高校日本代表で一緒にプレーした根尾や小園の姿が、今も目に焼き付いている。

「自分が一番下だと思い知らされました。飛ばす力もない。肩もない。スピードもフィジカルも、ことごとく負けてるんです。自分の力のなさが、本当にもどかしかった。悔しさしかなかったですよね」

プロ野球の世界に憧れはあったが、「今の自分では無理だ」と進学に切り替えた。立正大には誘われたわけではなく、別のチームにいる常葉大菊川の先輩に評判を聞き、練習に参加して決まったという。

大学で成績を残しても、小園や根尾といった先にプロへ進んだ選手を意識している

あえて先輩がいない立正大へ

あえて先輩がいるチームには行かなかった。「誰もいないところで、まったく知らない環境でやりたい」と考えていた。

「不安だったけど、そこでどれだけ自分の力を出せるか。ダメだったらそこまでだし、先輩に助けてもらうんじゃなくて、自分で考えていかないと成長しないとも思ったんで」

そんな強い想(おも)いを持って飛び込んだ大学野球の世界で、しっかりと結果を残してきた。

「やれているとは思うんですけど、自分の理想には全然辿(たど)り着いてない。大学野球人生、全然思っていた通りには進んでいないですね。僕の野球人生、ずっと挫折ばかりです。悔しさしかなかったですから。このまんまじゃダメだって、いつも誰かに言われてるような野球人生なんです」。奈良間にとって3割5分と3割4分9厘の違いは、数字上の1厘ではなく、もっと大きな壁だった。だから、越えられない自分に納得ができるわけがないのだ。

大学野球は「全然思っていた通りには進んでいない」。理想の選手像は高い(右から2人目が奈良間)

魅力はリーダーシップ、人間性

今春に昇格を逃し、在学中に1部でプレーすることはなくなった。そんな中で迎える最後のシーズンに、どんな思いで臨むのか。

「純粋に、後輩のためにです。僕ら4年生は1部でプレーした経験がある。後輩を1部でやらせてあげたい。それで3年生以下は、チームのために頑張ってもらいたい。そういう『誰かのために』という気持ちって、野球をやるうえでの活力になるような気がしています」

技術だけではなく、このリーダーシップ、人間性も含めた力が、奈良間のプレーヤーとしての魅力になっている。

「僕は、『こういう選手』って簡単に言われないような選手になりたいんです」

奈良間はそう言って笑った。

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