ラグビー

日本大学・菊谷崇HC 元日本代表主将、創部100周年までに託された日本一

日本大学「ハリケーンズ」を託された菊谷崇HC(すべて撮影・斉藤健仁)

かつて「ヘラクレス軍団」といわれた「ハリケーンズ」こと日本大学ラグビー部。2015年に関東リーグ戦2部から1部に復帰し、昨季までの3季連続大学選手権ベスト8と着実に力をつけてきた。2028年の創部100周年までに優勝することをターゲットとし、さらなる強化のために中野克己監督がヘッドコーチとして招聘(しょうへい)したのが、2011年ラグビーワールドカップで日本代表主将を務めた、68キャップを誇る菊谷崇氏だった。

子どもから大人まで指導していたキャリアを買われた

16年に就任した中野監督は100周年に大学日本一になるという思いを込め、「90 100 STRONG AGAIN(ストロングアゲイン)」というスローガンを掲げ、朝5時からの練習、スクラム、モールの強化に取り組んだ。その結果、関東リーグ戦では2位、3位、2位と上位に入り続け、大学選手権では3季連続のベスト8に進出した。

中野監督は「それ以前より結果は出ており、V字回復と言っていいかもしれないが、このままではもう一つ上にいけない」と新たにヘッドコーチを探していた。そこで、白羽の矢が立ったのが菊谷氏だった。

御所工業高校(現・御所実業)で競技を始めた菊谷氏は、大阪体育大学時代に7人制の日本代表に選ばれ、02年からトヨタ自動車でプレー。05年に初めて日本代表に選ばれ、11年ワールドカップでは主将として全試合に出場。突破力、トライの嗅覚(きゅうかく)にたけたナンバーエイトとして活躍した。

キヤノンやサラセンズ(イングランド)でもプレーした後、18年に現役を引退。その後、「Bring Up Athletic Society」を立ち上げた。他のラグビー元日本代表選手や他競技の元選手らと競技を超えて小中学生の子どもたちを指導しつつ、高校日本代表のコーチ、国体に参加するチームの指導なども務めてきた。中野監督は、選手としてはもちろん、子どもから大人まで指導していた菊谷氏のキャリアを買って招聘した。

中野監督(左)からは、子どもから大人まで教える指導力を見込まれた

ただ菊谷氏は当初、大学ラグビーの指導に専念するとは思っていなかったという。過去には他の大学からの誘いを断っており、スクール事業を立ち上げて4年、ビジネス面でさらにステップアップしようと考えていた。ただ引退直後は、トップリーグ(現・リーグワン)などトップ選手たちへの指導もプランの一つにあった。

解説者の立場から見た日大は「チーム作りが明確」

結局、スクール事業を継続しながら日本大を指導してもいいという中野監督の理解もあり、ヘッドコーチ就任を決めた。東京都稲城市にあるグラウンドが、家から車で15から20分ほどだったことも大きかった。解説者もしている菊谷HCは、昨季までの日本大について「ラインアウトモールという確実な武器でトライを取ってくるスペシャルなチームで、どういうチーム作りをしているか明確だった」と印象を口にした。

「次のステップとして、想像とは違ったものの可能性が広がる選択であり、(自分にとって)チャレンジになると思った。中野監督がおり、完全にラグビーのコーチングに専念できることもありがたい。施設も見せてもらうとトレーニングする上でベストな環境でした。もともと(昨季、大学選手権ベスト8で)戦力はそろっているチームだったので、あとはどう整えるかだと思った」

菊谷HCは、3月から週5日間ほど指導する。主将は選手たちからの信頼が厚かったフランカー(FL)平坂桃一(4年、日本大学高)が推薦され、就いた。選手たちに今季の目標を決めさせると「日本一」。「選手たちが自分たちで決めた目標に向かって、(ラグビーの)戦略、戦術、システムはこういうのがやりたいと話しました」

「戦力はそろっているので、あとはどう整えるか」

5月から始まった関東大学春季大会Aグループの初戦は、コロナ禍の影響で不戦敗のスタートとなり、やや出遅れた。新しい戦略、戦術を導入した影響もあって結局、1勝もできずに5連敗で最下位だった。ただ菊谷HCは、春の結果を意に介していない。

あえて禁じた得点源のラインアウトモール

まず近年、日本大の大きな得点源であったFW陣のラインアウトからのモールでのアタック練習はまったくせず、試合での使用も禁じた。勝ち負けよりも、新しい攻撃のシステムを導入し、どこまで追求できるかにフォーカスした。「タックルやブレイクダウンの練習も1度もしていないですし、いろんなことをやっても強くならないと思った。アプローチを変えてゲーム形式の練習ばかりをやった」と菊谷HCは言う。

重層的な攻撃の戦術を採用し、コミュニケーションを取らないと攻められない新しいシステムを導入。FWとBKが一体となってアタックしなければいけない状況を強いた。また「日本一を取る前に、日本で一番のディフェンスを目指したい」と守備にも力を入れている。いずれにせよ選手間のコミュニケーションは、昨季以上に必要となった。

「ラグビーは指導者が試合に関与できません。現役時代の経験からしゃべらない選手とは試合中にリンクしづらいと感じていたし、疲れていてもしゃべらないとボールがもらえない。僕の中ではまだまだですが、選手たちはよく話すようになりました。試合のレビューも毎週月曜日に選手たちがやっています。常に試合中に話す選手、誰が監督になっても試合に出られる選手を育てたい」

指導者は試合に関与できないからこそ「誰が監督でも試合に出られる選手を育てたい」

その思いはスクール事業からの思いに通じている。菊谷HCは「どのレベルを教えても大変さはさほど大きく変わらない。『Bring Up Athletic Society』でも人を育てる、コミュニケーションを大事にしてきた。大学の指導者となり選手と接する時間、ラグビーの強度は変わりましたが、人を成長させたい、育てるということにスペシャルに取り組みたいという思いがあった」と話す。

「コーチ陣といかに同じページを見られるか」

平坂キャプテンも「菊谷HCが就任してから、自分たちで話したり考えたりすることが増えましたね。キャプテンとしても、みんなにしゃべってもらえるような雰囲気を作れるように頑張っています! 今季はアグレッシブなラグビーをして、『Rise As One(ライズ アス ワン)』というスローガンの通り、チーム一丸となって勝ち進んでいきたい」と意気込む。

菊谷HCは「僕が1人で130人の選手は見られないので、コーチ陣といかに同じページを見られるか。優勝するチームの土台としてスタッフへのアプローチも大事になってくる」と感じている。BKはNECで活躍した日本大学OBの窪田幸一郎氏、同じくNEC出身で立命館大学OBの森田茂希氏がアシスタントコーチとして強化している。

FWのスクラムだけは時間が必要ということで、三菱重工相模原の普及アカデミースタッフでもある帝京大学OBの成昂徳(ソンアンド、元近鉄など)氏をスクラムコーチとして呼び、朝練習も含めて週3回ほどスクラムを組んでいる。「昨季の試合をすべて見ました。モールは強かったが、スクラムはあまり強くなかった。スクラムは成コーチに任せて一定以上の強化ができた。春、一番の成果はスクラムだと思います」

バックス陣は窪田(左)、森田(右)両アシスタントコーチが強化している

今季の4年生は、ヘッドコーチが代わって1年で卒業してしまう。複数年指導する予定である菊谷HCは「OBが日大ラグビー部ファミリーとして帰ってきたい場所にしたい。ブランドとして日本一を目指すが、中身がともなっていないと意味がない」とチーム文化、一体感も醸造していく方針だ。

4度目のリーグ戦制覇、そして初の日本一へ

菊谷HCは就任から半年あまりを振り返り「基本的に選手たちはみんなピュアで、新しいラグビーをするのは大変だと思いますが、紳士的に取り組んでくれていて楽しいし、本当にやりやすい。主体性も育んでいきたいが、うまく兼ね合いを探すのが難しいところです。ただ結果を出すのが僕の仕事。新しいヘッドコーチが来て1年目で卒業する4年生のためにも、日本一をつかませてあげたい」と真っすぐに前を向いた。

9月11日、日本大は今季1部に昇格した立正大学と初戦を迎える。FWのメンバーは昨季と大きく変わったが、留学生を含めて充実し、BKは低学年から試合に出ている能力の高い選手がそろう。「春はどうやったら勝てるというフレームを作ることができ、一定の評価は得られたかな。(関東)リーグ戦で3位までに入ったら大学選手権に出場できる。ミラクルはないので、夏にある程度結果を残し、自信をつけてシーズンに臨ませていきたい」と先を見据えた。

創部100周年での日本一を狙う

2月の就任会見で国際経験豊富な元日本代表キャプテンは、「2028年の創部100周年は(大学選手権で)連覇をしていたい」と自信ものぞかせた。菊谷HCは大学指導1年目の今季、選手とともに成長を続けて1985年以来となる4度目のリーグ戦制覇、そして初の日本一に挑んでいく。

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