ラグビー

明大の田中澄憲監督が勇退 22年ぶりの大学日本一など「あっという間」の4年間

明治大学ラグビー部をV字回復させて勇退した田中澄憲前監督(撮影・全て斉藤健仁)

「毎年、優勝を狙えるチームに」という目標を掲げて、母校である明治大学ラグビー部の指揮官に就任、見事にV字回復させたのが田中澄憲(きよのり)監督(45)だった。2017年にヘッドコーチに就任、いきなり全国大学選手権決勝に進出し、監督となった18年度は22年ぶりの日本一に導いた。その後の2シーズンも関東大学対抗戦で連覇し、大学選手権では準優勝とベスト4と手腕を発揮した。惜しまれつつも5月末で退き、6月から大学時代の一つ先輩だった神鳥裕之氏(46)が新たに監督に就いた。

明治を復活させた男 田中澄憲の考え(上)「やると決めたらやる」
明治を復活させた男 田中澄憲の考え(中)「チームが強くなる文化を」
明治を復活させた男 田中澄憲の考え(下)「やってみなはれ」

朝から晩まで学生と向き合う

田中前監督は神奈川・川崎の自宅から東京・八幡山の練習場に朝6時に向かい、夜10時に帰る日々を過ごした。学生とほぼ毎日接する4年間を振り返って前監督は「張り合いがあった。必死でしたけど、終わってみればあっという間でしたね……」と正直に今の心情を吐露した。

田中前監督と言えば、報徳学園高時代からSH(スクラムハーフ)として活躍、明大3年時に大学日本一を経験し、4年時には主将を務めた。15人制でも7人制でも日本代表を経験し、常勝軍団サントリーでは土田雅人監督、エディ・ジョーンズ監督らの薫陶を受け、引退後もチームスタッフとして数々のタイトル奪取に貢献した。

OBとして明大の指揮官となるにあたり「毎年、日本一を争う、強いチームになること。そして、もう一度日本一になること」を目標に掲げた。そのため、4年間の指導を「2018年度に大学日本一になれたこと、毎年、優勝争いできたことはよかったです。それによって明治は常に日本一を争うチームでなければならないとうことは改めて示すことができたのでは」と振り返った。後悔していることは?と聞くと「毎年、勝ちたいと思っていたので、それができなかったことくらいですかね(苦笑)」と破顔した。

2018年度は22年ぶりの大学日本一に

「一番いいのと最悪を味わった」

八幡山で指導した4年間の中で、思い出に残る試合を聞くと「一番いいのと最悪を味わった」と即答した。その2試合は、優勝した18年度の大学選手権の決勝と、翌19年度、早稲田大学に敗れた大学選手権の決勝である。特に言葉数が多かったのは19年度の決勝での敗戦だった。

「2019年は本当に盤石だった。自分たちの中では十分にやってきた自信もあった。それなのに(大学選手権の)決勝で負けた。絶対はない。最後の最後まで疑わなければならない。人生にとって貴重な経験になりました」と今でも悔しそうな表情を見せた。

19年度は大学選手権決勝で早大に敗れた

4年間の指導で印象に残っている選手を聞くと「Aチームに出るような選手は自分で考えてデザインできるからこそ、そこにいます。その一方で手のかかる選手は何人かいて当たり前なので」と前置きした上で、「自分で成長のイメージができていない選手に対して、コミュニケーションを取り、成長していった選手は印象に残ります」と話した。

具体的な選手として、コミュニケーションを取る中で成長していった18年度に優勝したチームのキャプテンだったSH福田健太、大学時代にフィジカルを鍛えてグンと伸びて、現在では日本代表にも名を連ねたWTB(ウィング)髙橋汰地(ともにトヨタ自動車)、さらにPR(プロップ)笹川大五(リコー)らの名を挙げた。

明大で大きく成長した笹川(左)とサントリーへ進んだ片倉(中)と箸本(右)

特に大学時代に「自分の弱さを克服した」笹川は印象が残っているようだ。田中監督との最初の面談で「プロップからロック(LO)に転向したい」と言ってきたという。そんな笹川に田中監督は「身長185cm、体重110kgのLOはトップリーグで必要か? PRだからこそ、そのサイズで魅力がある。スクラムから逃げず、やりきった先には日本代表の可能性もある」と諭したという。

PRを続けることになった笹川だが、2年生の夏、天理大B戦、スクラムで圧倒されてしまい、途中で交代。悔し涙を流していたという。その1年後、笹川は同じ試合で勝利に貢献しMVPに輝き、4年時はレギュラーとして成長した。さらに今季、リコーでルーキーイヤーながら7試合に出場するなど存在感を示した。前指揮官は「明治大の若いOBも日本代表に入って、活躍する選手も出てくるでしょう」と目を細めた。

さらなる進化へ置き土産

田中前監督は後任がトップリーグを指揮していたこともあって、5月末までグラウンドで選手の指導にあたっていた。ただ、昨季で終わりではないか……と学生たちにもうわさされていた。昨年度で監督は終わりということは前から決まっていたことで、学生たちが戸惑わないように、伊藤宏明ヘッドコーチに指導の大部分は任せ、自らは一歩引いた形で学生たちを見守っていたという。

田中前監督と同期の伊藤宏明コーチ

ヘッドコーチから監督に昇格した18年、明大の同期でSO(スタンドオフ)として日本代表経験もある伊藤宏明氏をコーチに招聘(しょうへい)した。さらに大学王者に輝いてからは、チームが成長を止めないように、OB会の協力を得てウェイトルームの器具を一新、さらに今春、大学側に掛け合って人工芝を新しく敷き直してもらうなど環境面の整備を進めた。

また昨季、天理大にフィジカル、フィットネスで上回られて敗れた反省を糧とし、今季、ラグビー指導のコーチだけでなく、S&Cコーチ、メディカルスタッフ、栄養士が連携して「同じ共通認識をもってやっていきましょう」と「PPT(フィジカルパフォーマンスチーム)」を作った。そして、その責任者にスピードコーチとしても名高い里大輔氏に就いてもらうなど組織の強化にも務めた。

今季まで8年間、リコーブラックラムズを指揮した後任の神鳥監督は、田中前監督の推薦だったという。神鳥監督を推した理由を田中前監督は「リコーで8年間、監督兼GMもやってきて、現場(指導)もできるし、チーム運営もできる。リクルートやお金の管理もあり、大学の監督の仕事は多岐にわたっています。いろんなタスクフォースをできる人として、一番、神鳥さんがいいなと思いました」と説明した。

もちろん、神鳥監督が明大のOBであることも大きかった。「(神鳥さんは)明治で育ってきたという(自分とも)共通の価値観をしっかり持っていた。神鳥さんがどうしたいかを学生に浸透させていき、OBとして監督の経験者として応援していきたい。表だって(指導に)タッチしませんが、OBなので相談がきたらサポートします」(田中前監督)

日本一を目指して努力する

あらためてヘッドコーチや監督時代に明大に残せたことを聞くと「言葉では日本一といっても、その努力をしていない時代もあった。日本一を目指さないと面白くないじゃないですか。ただ目指すのではなく、目指して努力するからこそ面白い。成長したことが社会に出ても自信になります。そういった環境を変えることができて、本気で日本一を目指す集団になれたことは大きいのでは」と話した。

また指導してきた学生たちに対して、田中前監督は「明治大ラグビー部はただの大学のチームではない。全国にファンがいて、明治大の中でもシンボリックなチームで、常に優勝が求められるチームで、その一員とはどういうものかわかってくれたと思います。(かつての明治は)それを感じなかったから、勝負所で粘れなかったり、一歩、努力が足りなかったりしたのでは。完璧はないが、自分が指導していた中では体現されていたのかな」と感じている。

18年度の主将を務めた福田(左)と

また田中前監督は、選手たちにも常々、伝えてきたことがある。「ラグビーはリーダシップが自然と育成される競技です。ラグビーばっかりやってきたアドバンテージを逆に強みにして、若いときは固定スキルや知識の方が役に立つかもしれないが、30歳、40歳になるとチームワーク、コミュニケーション、人を助けるなどといった、生きていく上での汎用性のあるスキル、人間的な魅力が生きてくる」。実体験に基づいた言葉であろう。

学生から手書きのメッセージ

5月30日、最後のゲームとなった早大との練習試合には残念ながら負けてしまったが、監督最後の日となった31日、うれしい出来事があった。現役の学生からは一人ひとりの手書きメッセージをファイリングしたものが贈られ、昨季の主将だった箸本龍雅(サントリー)からは3月末に卒業した選手たち全員のビデオメッセージをもらったという。

「厳しく接した選手もたくさんいましたが、(その指導は)間違えていなかったんだなと……。ありがたいですね、指導者冥利に尽きる。そういう感情を初めて持ちました。今の大学2年、1年、来年の1年生までが、僕が直接、声をかけてリクルートした選手なので、成長が楽しみです。また今年の4年生は監督になったときに入学してきた学年なので思い入れが強いですね!」と目を細めた。

「本気で日本一を目指す集団になれた」

最後にファンに向けてのコメントをお願いすると「明治大ラグビー部のファンは日本一です。明治に戻ってきてエネルギーをもらいました。監督は代わりますが、強い弱い関係なく、引き続き変わらぬ応援をよろしくお願いします。在任中の4年間は感謝しかありません。ありがとうございました」という言葉で締めくくった。

6月に入り、田中前監督はサントリーに戻り、スポーツ事業推進部の部長職に就いた。今季、惜しくも準優勝だったサンゴリアスの現場での指導には携わらない方向だ。まだ明確な役割は決まっていないが、来年から新リーグが始まるにあたり、チームを支援することは間違いなさそうだ。

田中前監督は「(明治での4年間は)濃い時間でした。10年くらい過ごした感じです。(学生の指導を離れて)少し寂しいし何をすればいいんだろう……というのはありますが、大学の職員ではないですし(監督を)永久にやり続けることはできない。(サントリーで)違うチャレンジを求められているのでしっかりやりたい」と新たな挑戦に前を向いた。

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