ラストシーズンへ「大学に入ってから一番スケートをしている」明大・山隈太一朗(上)
フィギュアスケートの本格的なシーズンが近づいている。4年後のオリンピックに向けて再始動する選手もいれば、大学卒業を控えラストシーズンを送る選手もいる。明治大学4年の山隈(やまくま)太一朗(芦屋国際中教校)は今シーズンで競技生活を引退する。これまでのスケート人生やスケート部の改革、これからの夢について語ったロングインタビューを前後編で紹介する。
山本草太が教えてくれたトップの世界
スケート部フィギュア部門主将を務める山隈は、スケート界でもトップクラスの「語りたい男」である。
「長くなりますがいいですか?」
今回のインタビューを申し込むや、事前確認された。大会の10分間の囲み取材ではいつも物足りなそうにしていた山隈。今回は「山隈太一朗」をたっぷりと語ってくれた。
山隈がスケートを始めたのは小学1年生のとき。双子の姉・恵里子さんと神戸ポートアイランドスポーツセンターに通っていた。二人とも国際大会に派遣されるほど、同世代では飛び抜けて上手だった。
ノービス時代は1学年上の山本草太(中京大学)がライバル。「草太はジャンプの天才。全日本ノービス優勝を目指して草太としのぎを削ったことでスケート人生が大きく変わったなと思います。トップで戦う意識をあの年代から持てたのはすごく大きかったです」と懐かしむ。
楽しかったノービス時代から一転、ジュニア時代は苦い思い出ばかり。中学3年で全国中学校大会を制したものの、「自分には期待するけど期待どおりの成績を出せない。もどかしさがすごく強かったです」と振り返る。
高校3年でシニアに上がると「シニアの壁にしっかりつぶされた」。近畿選手権で表彰台を狙って7位と惨敗。大会後、2022年世界選手権代表の友野一希と本田太一さん(2021年3月引退)から「甘い」と一蹴された。「本当に落ち込んでいたから彼らが言うことを素直に受け入れられた」。気持ちを入れ替えて練習にのぞんだ結果、全日本選手権に出場、インターハイで頂点に立つことができた。
明大入学後は試行錯誤の連続
高校卒業後は恩師・林祐輔コーチの元を離れ、明治大学へ。都内の東伏見のリンクを拠点に重松直樹コーチに師事した。
この3年間は試行錯誤の繰り返しだった。
1年次はインターハイ王者としての自信もあったが、結果を求めすぎて空回り。2年次はひたすら技術の修練に徹するも結果につながらず。全日本ではフリー進出を逃した。「あの年のショートプログラム(SP)は技術的なことばっかり頭にあって、面白くないスケートをしていたなと思います」
3年次になると4回転の習得に励んだ。昨年8月のげんさんサマーカップで未完成のまま大技に挑むとプログラム全体が崩れた。総合得点は130点台にとどまり総合10位に沈んだ。「なんのために競技をやっているのか」と落胆した。
「感情を抑えなくていい」
もがく山隈に、多くの人たちがアドバイスをくれた。
父からは「試合はチャレンジするところではない。プログラムというトータルパッケージ。競技でもあるけど、芸術性がすごく高いし、作品」と指摘された。それ以降、ミスを減らす練習に変更、プログラムから連続3回転ジャンプも外した。
「ジャンプの内容が簡単になると、そこに割いていたマインドをほかのところに移せるようになりました」。これまで失敗が続いていた単独の3回転もアクセル、フリップ、ルッツと、1試合ごとに確実に決められるようになった。
社交ダンスの先生からは「情熱で動くスケーターだから、感情を抑えなくていいんじゃない」と励まされた。「先生も技術的な側面にすごくフォーカスして戦ったシーズンもあったそうです。自身では手応えがあったけど点数が出なかったと。審査員も人だから、やっぱり大事なのは気持ちなんだよねって」。技術と感性のバランスの重要性に気がついた。
感情を常に開放するようにすると、練習が充実した。「どんどん感情が高ぶっていくし、その状態で練習すると夢中になれました」。演技のパフォーマンスが上がり、ユニバーシアード代表を勝ち取ることができた。結局コロナで中止になってしまったが、自身の変化を実感していた。
「自分のスタイルの確立と結果を求めることを同時進行することはすごく難しい。僕の場合は自分のスタイルで自分が一番いいと思うスケートをとことん追求することが、一番モチベーションが上がることに気づきました」
今年2月の国体でこれまでの努力が実を結んだ。心技体がそろい、練習から安定していた。本番でトリプルアクセルを決めるなど総合200点超えで5位に入った。「結果を求めるのをやめたら、結果を求めていたときより結果が出る。矛盾していて面白いですね」と笑う。
スイスでプログラム制作、幸せな2週間
山隈は昨年の全日本で10位以内に入らなければ大学卒業と同時に競技生活を終えると決めていた。結果は21位。覚悟を持ってラストシーズンに入った。
集大成となるプログラムにはこだわった。SPは昨シーズンから継続の「Natural Songbook Ⅷ. After O Carolan」。岩本英嗣さんの振り付けで、チェロの美しい旋律に山隈の力強さと柔らかさがマッチする。周りからも評価が高い作品だ。
フリーは「Somewhere In Time(ある日どこかで)」。
「小さいころに母が『いつか引退までにこの曲を使ってほしいんだよね』と言っていた曲。その言葉を聞いたときに引退の曲だと心に決めていました」
振り付けはサロメ・ブルナーさん。宇野昌磨(トヨタ自動車)らを指導するステファン・ランビエル・コーチのアイスショー用のプログラムを手がけている振付師だ。
実は大学2年のとき、ランビエル・コーチに振り付けをお願いする予定だったがコロナ禍で先送りに。ラストチャンスとなる今年、ランビエル・コーチからブルナーさんを紹介された。
今春にランビエル・コーチがいるスイスに渡り、約2週間かけてプログラムを制作した。山隈が曲を感じるまま自由に滑ると、ブルナーさんが次々とアイデアを乗せてくれた。英語で毎日ディスカッションを繰り返しながら形にした。ランビエル・コーチはジャンプを中心に指導。山隈がプログラムを通しで滑ると、「You touched my heart.(感動した)」と抱きしめてくれたという。
「本当に幸せな2週間で。サロメともっと早くタッグを組みたかったな、もっといろんなプログラムを作りたかったなと思うくらい充実していました」
「僕の中でも絶対ベスト」
フリーは大会を通して完成形に近づけていき、「全日本で観客を泣かせられるくらいの演技をしたい」と意気込む。
「スケーティングの技術がないと滑りこなせないほど難易度が高いプログラム。大学に入ってからの3年間でスケーティングが伸びたからこそ、僕がやってきたことを惜しみなく出せるプログラムになっています。僕の中でも絶対ベストだと思っていて、毎日このプログラムを練習することが幸せと思うくらい大好き。絶対に完成させたいです」
8月上旬のげんさんサマーカップでは演技後、「まずは練習をしっかりやること。自分にしっかり厳しくやりたい」と力強く語った。
「大学に入ってから一番スケートをしているし、楽しい。いまが一番手応えもある。スケートをやっていてよかったと思うし、スケートをずっとやっていたいなと気づけました」
全日本まで約3カ月。最後の大舞台で最高の演技を見せられるように、山隈は大好きなプログラムを磨いている。