フィギュアスケート

膨らむアイスショーの夢「最高のエンターテイナーになりたい」明大・山隈太一朗(下)

海外を回るアイスショーのキャストを目指す山隈太一朗(撮影・浅野有美)

今シーズンで引退を決めている明治大学4年の山隈(やまくま)太一朗(芦屋国際中教校)。明治大学スケート部ではフィギュア部門主将として部の改革を進めている。「山隈太一朗物語」の後編では部の改革や今後のスケート人生の目標について紹介する。

【前編】ラストシーズンへ「大学に入ってから一番スケートをしている」明大・山隈太一朗(上)

つながりが薄れたスケート部に危機感

明治大学スケート部はスターぞろいだ。2022年北京オリンピック代表の樋口新葉(4年、明治大学/ノエビア)やテレビに出演している本田真凜(3年、JAL)、19年ジュニアグランプリファイナル優勝の佐藤駿(1年)、22年世界ジュニア選手権代表の住吉りをん(1年)など。インカレも優勝候補で、その強さや華やかさ、伝統に憧れて入部する部員もいる。

だが野球やラグビーとは違い、各部員が拠点リンクで練習しており、部として集まって活動することはほとんどない。とくにここ2年はコロナ禍で部員同士が会う機会が減り、ミーティングを開いても集まらない状態だった。

主将になった山隈は部としてまとまりがなくなっていることに危機感を持った。

「インカレ優勝の目標があり、個人のレベルアップだけを考えたら部練もいらないし、おのおのがうまくなってくれたらいいという考えになるんですけど、じゃあ何のために部活に入っているの、と。僕も部に入ったときは部の活動はめんどうくさいと思っていました。でも4年生になったときにスケート部の思い出がほとんどないんですよ。さみしいよなって。横のつながりも縦のつながりも持てなかった。それを後輩たちに味わせたくなかったんです」

22年3月に開催された「明治法政 ON ICE」に出演(撮影・浅野有美)

三つの改革に取り組む

山隈は部の改革に乗り出した。「なんとなく伝統の言葉の影に隠れて整備されていないところをきちんとしようと思いました」。部員や監督、友人に相談し、体育会主将らを対象に開催されたチームマネジメントの講演からヒントを得ながら進めた。

取り組んだのは三つ。一つ目は部のルールをつくること。先輩が後輩にあいさつをするなど当たり前のことをルールとして明確化することで先輩が後輩に指導しやすくなる。

二つ目は2年生以上の全部員の役割を決めること。役職をつけて部に対する意見を言いやすくし、帰属意識を高める。そして主務に偏っていた部の仕事を他の部員と分担し、主務をサポートする副務にも積極的に働いてもらうことで引き継ぎも楽になった。

さらに各拠点リンクの最年長を「リンクリーダー」に任命。新横浜は本田真凜、上尾は大島光翔(こうしょう、2年)というように。リンクリーダーは後輩たちが単位をとっているか、あいさつをしているかなどを確認し、報告する。学年ごとのリーダーも置き、そのリーダーを通して意見や相談を伝えてもらうことで組織として機能しやすくなった。

三つ目は部練を実施すること。「うまい人と練習するとすごく刺激になるし、毎月のように集まっていればお互いの顔がわかり、つながりもできます」と説明する。

実力者がそろう明治大学スケート部。合宿も実施した(写真は本人提供)

山隈のリーダーシップ

改革に戸惑う部員もいただろうが、山隈は「僕の代でうまくいく必要はないと思っていて」ときっぱり。「0から1をつくるのが大変で、その役は僕がやるから、これから先の主将はこの形に沿って、そのときの色を足していけばいい。そうすれば、明治のスケート部にもっと魅力が生まれるんじゃないかと思います」

効果は少しずつ感じている。ミーティングの出席率が上がり、多忙な選手も顔を出してくれるようになった。トップ選手の樋口も山隈の提案に積極的に意見を出してくれるという。

「リーダーには自分の実力で引っ張るタイプとそうでないタイプがいる。後輩があまりにも優秀なので僕は人間的なところで引っ張っていきたい。ちゃんとした組織にして、みんなの記憶にも残って、入ってよかったと思える部にしたいです」

海外でアイスショー出演をめざす

大学卒業と同時に引退する山隈。その後のキャリアについて語ってくれた。

「大学の4年間でスケートについて深く考えることが増えて。考えれば考えるほどこの競技って面白くて、どうしたらもっとお客さんに美しく見えるか研究することが楽しいです。競技は大学で終わるんですけどスケートは続けたいので、アイスショーの世界に進もうと。せっかくなら海外で勝負したいと思いました」

親は背中を押してくれた。就職活動はせず、海外のアイスショーのキャストに応募した。大学の先輩で同じ道を選んだ大矢里佳さんにもアドバイスをもらった。

プロのアイスショーというシビアな世界に飛び込む覚悟はできている。「この先、苦しむかもしれない。でも苦しんだとしてもやりたかったなと思うより、自分がなりたいものにしっかりなる、チャンスがあるうちに挑戦して後悔するほうがいいかなと思っています」

フリーのプログラム作りで滞在したスイスでランビエル・コーチらと幸せな時間を過ごした(撮影・浅野有美)

ステファン・コーチの没入感に圧倒された

山隈が理想とするスケーターがステファン・ランビエル・コーチだ。

4月にプログラム制作のためにスイスを訪れた。そこでランビエル・コーチが日本で開催される「ファンタジー・オン・アイス」に向けて自身のプログラムを練習していた。「没入感に圧倒されました。そこまで世界に入った人の動きって、どこまでも神経が行き渡っている」。曲の世界に入り込んで演技する姿に心が揺さぶられた。

5月公演で実際に見た演技は圧巻だった。「ショーを見るときは素人目線で見るようにしているのですが、全体の作品の印象だけで見ていると、やっぱりステファンは抜けているものがあります。この人1人がいればショーが成り立つなと感じました」。自身が目指すスケーター像そのものだった。

山隈は目を輝かせて語る。「見せるためのスケートって僕が一番したいスケート。海外でショーをしながらお客さんを楽しませて、最高のエンターテイナーになりたいです」

別の道に進んだ姉「リスペクトしかありません」

山隈のスケート人生を語る上で欠かせない存在が双子の姉・恵里子さんだ。

スケートは中学3年でやめ、学業面で才能を開花させた。高校時代から海外留学を経験し、現在は米国の大学で学んでいる。

自立した生活を送っており、奨学金をもらって学費や生活費を工面しているという。「僕がこうやって自由にスケートできているのは彼女のおかげ。僕は頭上がらないです。(4月に)スイスに修行に行かせてもらえたのも彼女のおかげです。いまは彼女に対してリスペクトしかありません」と語った。

双子の姉の恵里子さん(右)も将来を期待された選手だった(写真は本人提供)

浅田真央さんや羽生結弦さんをロールモデルに

山隈には大きな野望がある。

「夢物語になるかもしれませんが」と前置きした上で「アイスショーもつくりたいです」と明かす。

ロールモデルとなるのが、自身でアイスショーをプロデュースしている浅田真央さん、そして、プロに転向した羽生結弦さんだ。

「真央ちゃんや羽生くんのような影響力がある人が自分でショーをつくって自分で回す。バレエ団や劇団のように、エンターテインメントとしてのフィギュアスケートがもっと日本で浸透すれば、それを仕事にできるようになるし、競技人口も増え、夢を持つ人も出てきます。(競技を終えた)その先の道が広がればもっとスケート界が盛り上がるんじゃないかと思っています」

アイスショーで海外を回り、いつかは自身が手がけるアイスショーができたら。大きく膨らむ夢。大学卒業までの半年、まずは競技人生をやり切る。その先に新たな人生の船出が待っている。

来年の夏はスケート靴を持って世界を回っているのかもしれない(撮影・浅野有美)
【動画】明治大学・山隈太一朗 ラストダンスで「みなさんを泣かせられるように」
【写真】「明治法政 ON ICE」練習を共にした仲間と最後の思い出
それぞれの夢に向かって 「明治法政 ON ICE」で引退選手が最後の滑り

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