陸上・駅伝

特集:第91回日本学生陸上競技対校選手権大会

筑波大・高良彩花、新しい跳躍で高3以来の自己新 世界は「本気で目指す」舞台に

最後の日本インカレで高良は高3の時にマークした自己記録を塗り替えた(撮影・寺田辰朗)

日本インカレ初日の9月9日、筑波大学の高良彩花(4年、園田学園)は走り幅跳びに出場。4回目に6m50(+0.7)を跳び、1987年に磯貝美奈子(当時・群馬大)がマークした大会記録(6m46)を塗り替えた。記録が発表された瞬間、スタンドから大きな歓声と同時に高良の表情が崩れた。高3の時にマークした自己記録(6m44)を更新できた喜びを隠せなかった。主将として4年生として、高良はこの最後の日本インカレにかけてきた。

筑波大・高良彩花、関カレで走幅跳4連覇と三段跳とで2冠 主将として「一体感」を

最後のインカレで「考えすぎない」跳躍

高良は3回目に6m37(+1.9)と自己記録に7cmと迫っていた。自己3番目タイの記録で調子は悪くない。4回目の試技はいつものように「行きまーす」と声を出し、右手をチームメートがいるスタンドに向かって上げた。

「これまでは(技術面を)考えすぎてしまったり、考えすぎるがゆえに硬くなったりするところがあったのですが、これだけ練習してきたので、考えなくても自然とやりたい動きが出るはず!と言ってもらい、その言葉を信じてピットに立ちました。今日はチームのみんなもいるからか楽しくて、いつもと違う雰囲気の中で、ピットに立った時にいけるんじゃないか、と思いました」

仲間の応援が高良の背中を押してくれた(撮影・藤井みさ)

スタートは右脚前で構え、左脚から走り始めるスタイルにこの夏から変更している。助走歩数を19歩から20歩に増やし、走りの安定度を大きくするのが目的だ。だが高良のコメントから分かるように、この日は最後の日本インカレにかける思いがパフォーマンスに影響した。

着地すると小さなどよめきがスタンドから起こったが、高良は平静に砂場をあとにする。だが、間もなく6m50(+0.7)の記録が発表されると、状況は一変した。

「4年間自己ベストが出なくて、すごく悔しい思いをたくさんしてきた中で、最後の日本インカレで、応援してくれる仲間の前で自己ベストを跳べたことが本当にうれしいです。入学した時は日本インカレ4連覇を目標していたんですが、1年生は2位で、2年生は4位で、去年やっと優勝できました。今年はチームの主将もやっていたのでちょっとプレッシャーもありましたが、学生日本一を決める大会を一番大事にしたいと思っていたので、最後、幸せな感じで終われてホッとしています」

大学の主将は男女1人ずつ置くのが普通だが、筑波大は男女で1人しか置かない。プレッシャーもあったが、高良は主将を任されたことを最終的にはプラスにしていた。

「もう自分は跳べないんじゃないかって」と思ったことも

6m44が“壁”になっていた。

高3の時にアジアジュニア選手権で今もU20日本記録、U18日本記録、高校記録として残る大ジャンプを見せて優勝した。同じシーズンに6m37、6m29の試合もしていたので、セカンド記録との差が大きい“一発屋”ではなかった。筑波大入学後も1年生の時に6m35、2年生で6m32、3年生で6m33と安定して6m30台は跳んでいた。1年生の時は2019年アジア選手権でも2位と国際大会に強かった。

高良は大学2年生の日本選手権で5回目に6m32(+0.5)を跳び、2年ぶり3度目の優勝を果たした(撮影・池田良)

だが、2年生以降は学生レベルの国際大会が新型コロナウイルス感染拡大のためチャンスがなくなってしまった。国内大会が目標になり、関東インカレは4連覇。日本選手権も高2、高3、大2と優勝し、大3~4も連続2位。1、2年生では勝てなかった日本インカレも3年生の時に優勝したが、勝ったことで記録に対するストレスは大きくなった。いつごろが一番苦しかったか?という質問に、「昨年の日本インカレの頃だった」と答えている。

「勝てたのに自己記録が出ないのがすごく悔しくて。(それ以前から)チームの仲間が自己ベストを出すことをうれしいと思いながらも、自分はシュンとしてしまったり」

ここまで話して「……今、急に泣きそうになっちゃいました」と言葉が途切れた。

「高校であれだけ跳んでしまったので、もう自分は跳べないんじゃないかって思ったりしたんですが、チームのみんなやコーチが『大丈夫、跳べるよ!』といつも前向きな言葉をかけてくれたので、周りに支えられたな、っていうのが一番の気持ちです。インカレは勝てたり負けたり、いろんな思いがありました。インカレの舞台で自己ベストを出すのが理想中の理想だったんです」

高良は日本インカレで100%の力を出すと決め、調整(ピーキング)にも万全を期した。

「言い訳にはならないんですが、6月の日本選手権までは試合が続いて調整が難しかったですね。今回は他の試合と時期的に離れていたこともあり、最後のインカレということでしっかり調整して挑みました。少しずつ成長していることは実感できても、記録に出せない悔しさがありました。諦めずに頑張ってこられたのは自分の強みでもあると思うので、こういう舞台で主将としても、4年生の意地としても、しっかりまとめることができた、勝負強さを出せたことは自分を褒めたいな、と思います」

4年間の停滞を打ち破るために高良は、チームで戦う日本インカレという舞台を最大限に活用した。

速く低い角度で跳び出すための助走と空中スタイルの変更

日本インカレの高良は仲間とともに戦ったことで、メンタル面もいい状態で臨むことができた。だが4年間の技術的な取り組みが、やっと実を結んだという評価もできる。高良自身、「感覚的にすごく跳べた、という感じではなくて、やるべきことがちゃんとできた跳躍だったと捉えています」と6m50の跳躍を振り返っている。実際、4回目の6m50は「助走前半がうまくできた2本目と、後半が良かった3本目を足してうまく跳ぼう」と筑波大・木越清信跳躍コーチからアドバイスを受けて試技に臨んだ。

高良は6月の日本選手権後に、助走と空中フォームを変えることを決断した。歩数を19歩から20歩に増やし、空中フォームを踏み切った直後に体を反らせる反り跳びから、踏み切って1歩脚を回転させた後に反る「半シザース」に変更した。初めて新しい跳躍を行った8月の試合で次のように話している。

「以前のスタートでは1歩目がブレたり、踏切板に近くなったり遠くなったり、安定しない助走になることが多かったんです。助走の変更でスピードが上がって、空中動作でリードレッグ(左脚)を落として乗り込む動き(半シザース)をしやすくなります。もともと右脚前でセットした方がスタートしやすかったんです」

最後の日本インカレに照準を定め、高良は新しい跳躍の練習をしてきた(撮影・藤井みさ)

木越コーチは、「100mなどスプリント種目のスピードは毎年上がっていた」ことも踏まえ、跳躍の変更を何度か勧めてきた。

「高良は高校時代に記録を出した高さの出る跳躍へのこだわりが強かったんです。踏み切りが強い選手はその方が距離が出ることも多いのですが、跳躍の高さを出す踏み切りをするために、助走の最後で後傾を意識するのでスピードが落ちます。助走中の最高速度は、高校時代から上がっていません。走り幅跳びのアベレージは上がっているので、技術の精度は上がっていたんですが自己記録には結びつかない。走り幅跳びの助走ではなく、スプリント(短距離)に近い走りをすることも試す必要は感じていました。前に跳び出す感じが弱かったからです。世界トップ選手の多くは、走りの延長で後傾しすぎずに踏み切っています。半シザーズに変えることで、後傾ではなく直立した姿勢で踏み切ることができる。6月の日本選手権に負けたことをきっかけに、高良が変更を決断してくれました」

日本インカレまでの期間で、最初は歩数と空中動作の変更を同時に行う練習をしたが、新しい動きを2つ同時に練習するのはかなり難しかった。その時も「考え過ぎてしまう」(高良)現象が起きていたという。日本インカレ前の最後の跳躍練習は、木越コーチと相談した上で、意識する部分を助走序盤の6歩でしっかり地面を押して加速することだけに絞った。

「最後のインカレなので気持ち的にも動き的にも攻めることにしました。結果的に、助走がうまく走れたら跳躍自体も良くなると、今回のインカレで実感しました」

準備段階では技術面を工夫することと、最後の日本インカレへの思いをうまくコントロールして学生最後の大一番に臨んでいた。

6m50を6回の試技中に何本かそろえられるように

高良は4年間、スピードの向上と技術的な部分を突き詰めてきた。6m50の助走で良かった点を「最初の6歩をしっかり地面を押して加速し、7、8、9、10歩と徐々に上体を上げていって、上がってからも脚を流さないように、前を捉えながらもしっかり地面を押していくことができました。獲得したスピードを生かしつつ最後の踏み切りで構えすぎずに、勢いのまま入るところが今日はしっかりできたんじゃないかと思います」と振り返る。

だが冒頭の本人のコメントにあるように、チームとしての盛り上がりも記録に結びつけた。

「毎回、助走の前半は押しているんですが、どこかで考えながら押したりしていました。自分では頑張っているつもりでも、思い切り走れていないのが今まで続いていたんだと思います。高校生の時は何も考えずに思い切り走って跳べていたんですが、大学に入っていろいろと知識が増えることはいいことなのですが、どんどん考えすぎる方向にいっていました。跳べそうだと思っても、どこかに不安を抱えてしまっていた。でも今回は本当に“楽しい”が大きくて。今まで楽しくなかったわけじゃないんですが、楽しめなかった自分がいた。今日はチームのみんなが笑顔で応援してくれたので、みんなを見ると自然に笑顔になれて、楽しめました。それで考えすぎず、本当に勢いのまま助走ができて、それが記録につながったのかな、と思います。考える、考えないの中間を目指していたんですが、やっと自分を真ん中の方に寄せることができたのかな」

最後の日本インカレで最高の結果を出した高良だが、今後勝負しないといけないのは学生の大会ではなく、日本代表入りがかかる日本選手権であり、その先の国際大会である。

「やっとそういうところを本気で目指す、と言える記録を出すことができました。今回みたいに1本だけ跳ぶんじゃなくて、6回の中で何本か揃(そろ)えられればその先も見えてくる。まずは今日跳んだ6m50を、またしっかり跳ぶところを課題にして練習します」

チーム一丸となって戦う日本インカレで得た経験を、これから続く競技生活にも生かしていく(撮影・藤井みさ)

来年の世界陸上(ハンガリー・ブダペスト)の参加標準記録は6m85だが、6m60前後を安定して跳べば、世界ランキングで出場資格を得られる可能性は高い。卒業後も筑波大を拠点とすることは決まっている。筑波大スタッフは引き続きサポートするが、日本インカレのようなチームで戦う力は借りられない。

「今回は対校戦ということで、チームに得点を持って帰らないといけないプレッシャーがありました。そのプレッシャーを応援やチームの雰囲気で克服できたんです。その中で技術的にもいい感覚をつかむことができました。踏み切り前で構えてしまい、上体が後傾する癖を直すため、走りの延長線上で踏み切る練習をしました。短助走や中助走の少ない歩数から始めて徐々に全助走に近づけていったんです。なかなか苦戦しましたが、今回スピードをしっかり生かして、後傾しすぎずに踏み切る意識を加えたことで、助走を最初から最後まで全力で走って跳ぶことができました。そこは別の大会でも再現できるので、また跳ぶことができると思います」

卒業後も陸上競技で収入を得て競技を続けられるポジションは、代表を狙えるレベルの選手しか得られない。大半の選手は大学卒業と同時に競技優先の生活はできなくなる。だからこそ競技を継続できる選手は、日本インカレなど学生競技生活で得た経験や技術を発展させ、他の選手たちの思いとともに世界と戦う。その意味で高良は卒業後も、筑波大チームの力をバックボーンに成長していく。

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