ラグビー

帝京大・相馬朋和監督 岩出雅之氏が築いた26年「いい状態でバトンを渡したい」

選手よりも大きな存在感を放つ帝京大の相馬朋和監督(すべて撮影・斉藤健仁)

昨季、ラグビー大学選手権で10度目の優勝を遂げた直後、帝京大学の名将・岩出雅之監督(64)が勇退を表明した。後任の指揮官には、昨季途中にトップリーグで最後の王者となった埼玉パナソニックワイルドナイツを去り、コーチに就任した元日本代表プロップ(PR)で、帝京大OBの相馬朋和氏(45)が昇格した。

岩出前監督を踏襲したセットプレーや接点での強さ

相馬監督は3月から、監督としての指導をスタートさせ、春季大会は初戦で明治大学に敗れたものの優勝し、夏の練習試合では無敗で駆け抜けた。そして迎えた9月10日、秋の関東大学対抗戦で初陣を迎えた。

指揮官が変わっても、「紅い旋風」こと帝京大学は力強いラグビーを見せて14トライ。88-0で立教大学を一蹴。17日の青山学院大学戦も52-0で快勝し、開幕連勝スタートとなった。

開幕戦を終えた相馬監督は、「なんとか勝利で終われることができて、ホッとしています。学生一人ひとりが頼もしく、誇らしく感じる1日でした。これをスタートに今年も1歩1歩、進んでいければ」と安堵(あんど)の表情を見せた。

監督として初陣となった春季大会は、岩出前監督(左)とともに見つめた

就任会見で相馬監督が、「(岩出監督が築き上げてきたものを)守っていければいい」と語っていたように、基本的には前監督のラグビーを踏襲した。セットプレーや接点での力強さを武器に、スペースがあればそこを攻め、高速BKがトライを取りきるラグビーは健在。「自分で見ています」と指導に自信をのぞかせるスクラムの強化も継続中だ。

明治からも誘われたが「チャレンジした方が」と帝京大へ

相馬監督は、トップリーグとリーグワンで連覇した埼玉パナソニックワイルドナイツで、世界的な名将ロビー・ディーンズ監督の下、スクラムコーチやヘッドコーチなどを歴任。スクラムだけでなく、すべての指導にも通じ、コーチ陣とともにブラッシュアップを図っている。「帝京大がゴールではない。世の中から見たとき、こういうラグビーをやっているという、そのど真ん中のラグビーをやろうと思います」

相馬監督は、東京高校からラグビーを始めた。神奈川県大和市で生まれたが、小学校から東京都大田区に住んだ。「一つのことを続けてできなかった」。小さい頃は野球やサッカー、柔道、水泳などのスポーツに触れ、中学校ではバスケットボール部に入った後、サッカー部でゴールキーパー(GK)を務めた。

ただ、祖父がラグビーの経験者で、「兄弟の中で体が大きいからラグビーをやれ」と言われていた。サッカー部で対戦した相手監督の息子が、東京高校でラグビーをしており、「タックルみたいのをしてくるGKがいる」という噂が立った。中学2年の終わりに頃、森秀胤監督に誘われて、東京高校でラグビー部に入った。

高校の同期には後の日本代表のナンバー8・齊藤祐也がいた。2年時はチーム初の「花園」こと全国高校ラグビー大会出場に貢献。3年では花園に出場できなかったが、高校日本代表に選ばれ、英国遠征では岩出雅之コーチと行動をともにした。

相馬監督が1996年に帝京大に入学した年、ちょうど岩出監督が八幡工業高校(滋賀)の監督から、帝京大の監督に就任した。「高校時代、早稲田大に勝利した帝京大の紅いジャージーが格好よかった。齊藤といっしょに明治大に誘われたが、(帝京大で)チャレンジした方が性に合ったのかな……。(高校時代に)帝京大を選んだので、今、こう(監督)になった。選択っておもしろいですよね」

岩出前監督(右)との縁は、相馬監督が高校3年時の英国遠征から始まった

現役時代から「指導癖があった」

当時の帝京大は、まだ大学日本一を経験しておらず、大学選手権では1、2回戦で敗退するという成長過程のチームだった。ただスクラムが強かった相馬監督は、21歳で日本代表合宿に参加するなど、チームの中軸を担っていた。

帝京大学卒業後、三洋電機(現在のパナソニック)に入り、数々のタイトル奪取に貢献した。さらに国際舞台でも活躍し、2005年に28歳で日本代表初キャップ。その後も、ゲームキャプテンを務めるなど、当時のジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)からの信頼も厚く、2007年ワールドカップにも出場した。

2014年に現役を引退すると、パナソニックのスクラムコーチを務めつつ、帝京大でもスクラムを指導。翌年度の日本選手権では、出場していた両チームのスクラムコーチを担っていた。指導者になってからは、ずっと何かしらの形で帝京大に関わり続けていた形だ。

現役時代から「指導癖があった」という相馬監督は、後輩の選手たちにも、時間を見ては指導していた。パナソニックのヘッドコーチなどを歴任していた最中も、「大学の指導が自分に一番合っているのでは?」と思うようになっていた。

パナソニックのスクラムコーチを務めながら、帝京大のスクラムも指導した

「私はできない人だった、怠け者だった。いきなりタックルできたわけではないし、スクラムを組めたわけでもない。21歳で初めて日本代表スコッドに選ばれ、初キャップは28歳だった。周りはダメだろうなと思ったかもしれないが、あきらめなければつながるという経験をしてきた。自分の経験を伝えることだけでも、きっと価値があるのでは」

さらに、「トップリーグ(現リーグワン)で日本人選手がなかなか活躍できないリーグになる中で、大学のカテゴリーがすごく重要。精神的にも肉体的にもラグビーの能力的にも成長することが、その先につながる。帝京大のように施設が整っている中で、ラグビーを指導できたら幸せでは。人より少しだけラグビーに詳しい。それを生かせるのはどこなのか。母校(帝京大)を見ていて、このままじっとしていていいのか……」と感じるようになっていた。

昨季の対抗戦&大学選手権優勝をコーチの1人として支えた

ワイルドナイツとは、喜びも3倍、大変さも3倍

2021年5月、自身がヘッドコーチを務めた後は優勝から遠ざかっていたパナソニックが、トップリーグ最後のシーズンで5度目の頂点に立った。相馬監督は次の道に進むのは、「絶対、ワイルドナイツを優勝させてから」という強い思いがあった。岩出前監督が後任を探している時期でもあり、相馬監督は昨夏の合宿から帯同。昨年10月にパナソニックを退社して帝京大のコーチとなり、今季から監督に就いた。

「岩出監督とはお互いに『最後の一言』は言わないというような関係がずっと続いていた。(監督になったのは)すべてが大事な理由ですが、この年になっても指導してくれる岩出先生が好きですし、岩出先生との縁が一番だったかも」

相馬監督には将来、リーグワンのチームで指揮官となる道もあったかもしれない。ワイルドナイツは埼玉県熊谷市に本拠を移転し、新しい練習場での練習を始めた時期だった。群馬に妻と子ども3人を残し、単身赴任の形で東京・八王子にあるラグビー部の寮の近くに住んで指導している。

「一生懸命」という言葉を大切にしている

帝京大OBで、現在ワイルドナイツでプレーしている日本代表フッカー(HO)堀江翔太、スタンドオフ(SO)松田力也らには、「そうなると思っていた」と言われたという。相馬監督はラグビー部の監督と同時に帝京大の専任講師になったため、はっきりとした任期はない。

抱負を聞くと「よりいいチームにしていきたい。見ている人が『明日も頑張ろう』と思えるチームになってほしい。その結果勝利すれば素晴らしいし、そういうものが大学のスポーツだと思っています。岩出先生はラグビーだけではなく、学生を成長させて、目の前も充実させて、未来も充実させて、育てて社会に送り続けていた。3、4年でそのようなことができるのかわからないですが、今あるものを大事にしながら、時間をかけてそういうことをしていきたい」と話した。

大事にしている言葉は「一生懸命」という相馬監督に、改めて大学生を指導する楽しさを聞くと「学生たちとグラウンドで時間を過ごすと、毎日、いろんな発見があります。昨日まで、できなかったことができたり、チャレンジしていなかったことにチャレンジしたり……。そういう発見が毎日いくつもある。(ワイルドナイツでは)40人くらいの集団でしたが(帝京大は)3倍くらい。喜びも3倍ですが、大変も3倍。これからもずっと、こういった幸せが続くと思います」としみじみと語った。

相馬監督のもとでチームを引っ張る松山千大主将

大学ラグビー界には、PR出身の監督はあまり多くない。現役時代より体重が10kgほど増えたという相馬監督は、グラウンドでも大きな存在感を放つ。「今あるものは、岩出先生が26年間で作られたもの。10年後も20年後も、その基礎がわかる人に、今よりいい状態でバトンを渡したい」。名将の後を継ぎ、連覇という重圧がかかる中で、体重130kgを誇る新監督の挑戦は始まったばかりだ。

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