ラグビー

明治大学・福田大晟 「一日小さな一生」を胸に、紫紺の「7番」を背負う覚悟

福田は2年生となった今季、初めて背番号「7」を背負った(すべて撮影・斉藤健仁)

2018年度以来の王座奪還を目指す明治大学ラグビー部。昨季は多くの1年生が紫紺のジャージーを着てデビューを果たし、2年生になった今季もチームの主力として躍動中だ。9月18日の日本体育大学戦で、関東大学ラグビー対抗戦で7番を背負って初めて先発したのがフランカー(FL)福田大晟(2年、中部大春日丘)だ。

1年春は、チーム内のMVPに

「強みとしているディフェンスだけでなく、アタックのボールキャリーのスキルも上がってきた」。福田は、そう力強く話した通り、前半22分にはゴール前で相手の隙を突いてトライを挙げて勝利に貢献。成長の跡を示した。続く10月2日の立教大学戦でも、オープンサイドFLとして先発し、88-0の快勝に貢献した。

福田は昨季、「学年に関係なく運動量とディフェンスでアピールしないといけない」と話していた。1年生ながら春のチーム内MVPに輝き、活躍が大いに期待されていた選手だった。同じバックロー(FL、NO8の総称)出身の神鳥裕之監督は、「一貫性がある」と高く評価し、1年生ながら春からスタメンで起用し続けた。

しかし「好事魔多し」だった。昨季の対抗戦開幕直前の練習試合。開始早々、逆ヘッドでタックルし、首をけがしてしまった。

昨季は対抗戦で復帰できず、戻ってきたのは大学選手権の準々決勝だった

時間的も、エリア的にも、そこまで激しいタックルをする必要のないシーンだった。けがをした直後、福田は「やばい!」と感じたものの、幸いにも、その後のラグビー人生に大きく影響があるような重傷ではなかった。5日間ほど入院し、その後は「一から鍛えた」ため、試合に本格的に復帰するまで3カ月ほどかかった。

「(試合に)出たい、出たいという気持ちから焦ってしまって、不本意なタックルで行ってしまった。コーチや父からも言われましたが、『正しいスキルでタックルしないといけない』と改めて思いました」

ライバルを見つめた大学選手権決勝

「1年生のときは満身創痍(そうい)でしたが、いろんな人の支えがあって、ギリギリ復帰できた」と当時を振り返る福田。昨年12月の大学選手権の準々決勝では3分間出場し、準決勝も7分間の出場を果たした。ただ「本調子ではなかったかも」と言う通り、帝京大学との決勝では、メンバーに名を連ねることはできなかった。

一方、福田の同期で同じバックローの木戸大士郎(2年、常翔学園)は、春だけでなく秋の対抗戦でも先発で出続け、決勝でも6番を背負った。福田は国立競技場のスタンドから、同期のプレーを見守ることしかできなかった。「けがは自分のせいですが、嫉妬というか、悔しい部分があった。ライバルなので今後も競い合えたらいい」と正直に吐露した。

福田(中央)は大学選手権の準決勝も、わずかながら出場した

大学選手権の決勝は、帝京大に14-27で敗れた。そこで今季、チームとして週5日行うジムでのトレーニング時間を、1時間から1時間半に増やし、フィジカルの強化に努めている。体重は2kgほど増えて95kgほどになった福田も、入学当初は120kgほどだったベンチプレスの最大値が、135kgまで上がるようになった。

結果はすぐに現れ、途中出場した今季の春季大会の帝京大戦は、35-26でリベンジを果たした。ただ夏合宿の練習試合は、19-54の大敗。福田は「敗因は細かいミスで、フィジカルの部分では負けていなかったと思います。ミスを少なくしていこうというのがチームの課題です」と前を向いた。

今季は木戸(右)と一緒にプレーする時間も多い福田(中央)

「姫野2世」と称された高校時代

姉が2人いるという福田は、愛知県豊田市出身。競技は名古屋学院高校(現・名古屋高校)、名古屋学院大学でプレーしていた父の影響で、小学校2年生頃、半ば強引に豊田ラグビースクールに連れていかれ、始めたという。幼少期はサッカーもやっていたが、徐々にラグビーにのめり込んでいった。

中学に入ってもスクールでプレーを続けて、愛知県スクール選抜に選出。部活では「体を鍛えるため」に柔道部にも入った。センター(CTB)などBKでプレーしていたが、中学3年時、「器用な方ではなかったし、体を当てるのが好きだったし、ボールに絡んだりするシーンが多かった」ため、本格的にFWに転向する。

高校は県外の強豪校への進学も考えたが、宮地真監督に誘われて、中部大春日丘に進学。通学には、1時間半ほどかかった。日本代表のナンバー8(NO8)・姫野和樹(トヨタヴェルブリッツ)の母校としても有名な愛知の強豪校だ。

中部大春日丘時代はチームを「花園」のベスト8に導いた

高校からボディービルダーの野沢正臣さんの指導のもと、本格的にフィジカルトレーニングを始めた。1年からNO8として、チームの中軸となった。「姫野2世」とも称され、U17日本代表に選出された。

高2、高3年と「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場。3年時はキャプテンを務め、中部大春日丘史上、初めて花園でベスト8に導いた。「コロナ禍で難しい中、最終的には(中部大)春日丘の歴史を塗り替えることができた」と胸を張った。

これからもバックローの選手として

大学は、当時の田中澄憲監督(現・東京サントリーサンゴリアス監督)に誘われ、「日本一に近づけるレベルの高い大学に行きたい」という本人の思いもあり、明治大に進んだ。身長173cmとFWとしては体があまり大きくないため、大学入学と同時にフッカー(HO)転向も頭をよぎった。だが田中監督から「フランカーに挑戦してみろ!」と言われ、バックローとしてプレーを貫いている。

昨年6月、福田と同じバックローとして活躍した神鳥監督が就任し、よくアドバイスをもらっているという。「(FWコーチの)滝澤佳之さんにもいろいろ教えていただいていますが、監督には試合後に動画を見ながら『もっとこうすればよかったのでは?』とコミュニケーションを取っていただいています。同じポジションの監督がいて良かったです」

フッカー転向もよぎったが、当時の田中監督監督の言葉を胸にフランカーを貫く

座右の銘は、高校3年時のチームがスタートしたときに、高校時代の恩師・宮地監督から言われた「一日小さな一生」。一日一日大事にしたら大きな結果が生まれる、という意味の言葉だ。福田の好きな選手は自身と同様、身長が大きくなくてもタックルやジャッカル、ボールキャリーで世界的に活躍しているオーストラリア代表FLマイケル・フーパーだ。

福田は大学卒業後も「バックローとして評価してくれるところで、ラグビーを続けていきたい」という希望を口にした。今季は、同じポジションの上級生の台頭もあり、昨季と比べてリザーブからの出場が多くなっている。その現実を本人は理解しており、強みのタックル、運動量に磨きをかけつつ、課題のアタックにも取り組んでいる。

「大学では、相手が大きくなったので正面に当たっても抜けない。フィジカルを上げつつ、ステップを踏んだり、相手をしっかりずらしたりすることが大切になってくる」。今季の関東対抗戦、序盤からフルスロットルの福田はディフェンスだけでなく、攻撃面でも前に出ることで、紫紺の7番を背負うためのアピールを続ける。

これからもバックローにこだわる

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