ラグビー

早稲田大・小西泰聖 629日ぶりの復帰戦、「支えてもらう景色を見たのは僕だけ」

10月の日体大戦で復帰した早稲田大の小西泰聖(すべて撮影・斉藤健仁)

629日ぶりの公式戦だった。

10月2日、埼玉・熊谷ラグビー場で関東大学ラグビー対抗戦、早稲田大学―日本体育大学が行われた。世代を引っ張ってきた選手の一人、早稲田大のSH小西泰聖(4年、桐蔭学園)は後半21分からピッチに立った。病魔に襲われた小西にとっては2年前、国立競技場で行われた大学選手権決勝以来の早稲田大のファーストジャージー「アカクロ」を着ての公式戦となった。

試合後、「自分を少し褒めていいかな」

20分という短い出場時間だったが、パスやランなどでブランクをほとんど感じさせない動きを見せた。小西は試合後、「去年1年間はラグビーをしている自分が想像できない中で、ほぼデビュー戦みたいな感覚でしたね。誰かとパスしながらしゃべる時間も、誰かがトライするとき一緒に自分が走るのも、とにかくラグビーがしていることが楽しいにつきます!」と破顔した。

校歌を静聴していた時、スタンドを見ると両親は泣いていた。試合後、バスに乗ったとき小西は「今日ってすごい1日が起きたんだな……。多くの人に感謝しないといけませんが、自分はよく頑張ったなと。去年1年間は自分でもどこに進んでいるかわからない、積み上がっているか分からない中で、アカクロが着られて『小西、良かったぞ!』と言ってもらえた。本当に特別な1日で、629日間の自分を少し褒めてもいいかな」と思った。

現在は他のチームメートと練習できるまでに回復した

体調を崩しても、止まれなかった

小西は高校時代にラグビーをやっていた父の影響で、東京・葛飾ラグビースクールで競技を始めた。中学時代はベイ東京J.R.Cでプレーしながら陸上部にも所属し、高校は神奈川の強豪・桐蔭学園に進学した。

高校2年時からスピードとパスワークに長(た)けたSHとして活躍し、春の選抜では2連覇に貢献。高校3年時は主将として花園で準優勝し、ユースの代表にも選ばれた。セブンズでもユースオリンピックの銅メダル獲得に貢献するなど、世代のトップを走り、将来を嘱望されていた逸材だった。

桐蔭学園時代は主将として、「花園」で準優勝

早稲田大学に入学後も、1年から控えのSHとして存在感を示し、大学選手権決勝のピッチに立った。2年時は卒業した現・日本代表の齋藤直人(東京サントリーサンゴリアス)に代わるレギュラーSHとして連覇を目指した。しかし大学選手権決勝は天理大学に敗れ、シーズンを終えた。

「疲れやすい。思ったように走れない。ただ病的なものだとは思っていなかった」。小西が自分の体の異変を感じたのは、2020年シーズンの途中だった。ただメディアには「齋藤直人を継ぐSH」として書かれ、期待が大きかったこともあり、「結果を出すために、自分を見せるために頑張っていた1年だったので、体調を崩しても止まれなかった」と話す。

早稲田大でも1年から控えのSHとして存在感を発揮

一時、体重が72kg→59kgに

シーズン終了後、なかなか体調が戻らなかった小西は、精密検査を繰り返した。昨年2月末に病気が発覚。「屈辱の敗戦だった決勝戦の悔しさを晴らすために、もっと頑張ろう」と思っていた矢先の出来事だった。3年となり、4月から2ヶ月間の入院を余儀なくされた。「監督も代わって、『去年の自分とは違うぞ』と見せたいのに何もできない、何も取り返せない」という焦りや葛藤、悔しさがあった。

退院しても、ラグビーはドクターストップとなった。体重は72kgから59kgまで落ちた。結局、3年時は1試合どころか、1秒たりともピッチに立つことはかなわなかった。

ラグビーができなかった1年間を小西は「今まで僕のほとんどを占めていたラグビーがなくなって、奪われた形になって、本当に苦しかったですね。個人軸で考えると、どこにも進んでいない。どこに向かっているかもわからない。みんなが将来を考えて悩んでいるとき、自分にはそんな余裕はない。苦しい時間でした」振り返った。

2年のときの大学選手権決勝で、味方にパスを送る小西

「ラグビーをやり切って周りの人に迷惑をかけるのであれば、ラグビーをやめよう」という思いが、頭をよぎった。高校の恩師である桐蔭学園の藤原秀之監督に相談すると、応援の言葉と同時に「ラグビーをやめて(他の大学や学部に入って)大学に8年行くという選択肢もあるんだぞ?」とも言われ、「そういう選択肢もあるのでは……」とも考えた。

それでも小西は、ラグビーを続ける覚悟を決めた。「僕がラグビーをやりたいという思いを理解してくれる人、応援してくれる人、必死で動いてくれた人がいて、そういう人たちに誠実に応えたいと思った」

離脱中は、グラウンド外でチームに貢献

2021年8月は東京オリンピックが開催され、ユースオリンピックでチームメートだったWTB石田吉平(現・明治大学4年)が躍動した。「僕がまったく動けないとき、オリンピックがやっていて、石田のプレーはすごく刺激になりましたし、励まされました。一緒に戦っていた同期、仲間からの応援が力になりました!」

また小西は離脱している間、「チームのためにグラウンド外で、何かできないかを探しながらやっていた」という。昨季の帝京大学戦前には、モチベーションビデオを作ったり、人材育成に関わったり、ファンや地域の人々と交流する「北風祭」では2年連続で中心の一人として携わったり、今年は実行委員長も務めた。

「グラウンド外での機会をもらったことで、当たり前にラグビーができることのありがたさ、多くの人に支えてもらっている景色を見ることができたのは、選手の中では僕だけだと思うし、財産になりました。『当たり前って当たり前じゃないな』と、見える景色が変わりました。それに尽きますね」としみじみと語った。

離脱中はコンタクトプレーができず、1人で練習することも多かった

今年7月からコンタクトプレー再開

これまでは、競技生活を終えた後のセカンドキャリアを具体的に考えたことがなかった。いまは「チームマネジメントやスポーツマネジメントにも関わってみたい」と小西。ラグビーができなかった1年は、決して無駄ではなかったと思えるようになった。

今年に入り62kgほどまで体重を戻した小西は、春頃から医師と相談しながら徐々に体を動かすことができるようになった。今でも食事制限があり、朝昼は自炊し、夕食も寮で用意されないときは自分で作る。個人練習はせず、全体練習の中で集中してトレーニングする日々だ。

なかなか体重を増やすことができず、お腹が空いても食べることができず、どうしても寝られないときは、夜中に寮の周囲を散歩して気を紛らわした。

7月、長野・菅平での合宿前に、やっと医師からコンタクトプレーをしてもいいという許可が出た。8月27日、同志社大学とのCチーム同士のメンバーに選ばれ、翌日はBチーム同士の練習試合で控え出場を果たした。

さらに体重も66Kgまで増えた9月25日、東海大学との大学ジュニア選手権で、途中出場から高いパフォーマンスを見せた。この姿を大田尾竜彦監督に評価され、10月2日の日体大戦で、ベンチ入りを果たした。「コンタクトプレーのOKが出たときはうれしかったですね! 公式戦復帰は自分が思っていたよりも早かったです」

1年の時以来となる大学選手権優勝をめざす

早慶戦、早明戦に照準

スポーツ科学部で勉強している小西の卒業論文のテーマは、「ラグビーのパスにおける回転動作」で、ゴルフや野球、陸上の投てきなど、他の競技の動作との比較も行っている。また卒業後の来春からは、リーグワンのチームでプレーする予定だ。

病気を患い、「ラグビーは自分から切り離すことのできない大事なもの」と気づかされた。現在の目標は、日本代表となって「5年後の2027年ワールドカップに出場すること」だ。「客観的に今の自分を見て、トッププレーヤーとは思いませんが、今はラグビーをしている時間がシンプルに楽しい。僕が楽しくラグビーをしている姿を見せるのは、家族や応援してくれた人、支えてくれた人に感謝を示す方法の一つかな」

王座奪還を目指す早稲田大の戦力になりつつある小西は、「ラグビーに戻るときめたときからターゲットにしていた」という11月23日の慶應義塾大学との「早慶戦」、12月6日にある明治大学との「早明戦」に照準を合わせている。

「4年生だから、ラストイヤーだから頑張ろうという気持ちはないです。大学1年生のときから、あと3年あるとは思っていなくて、いつも最後の年のつもりでやっていました。ただ(4年になり)アカクロが着られる時間が少なくなったのは寂しいです。何としてもアカクロをつかみたいし、勝ちたい」と言葉に力を込めた。

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