バレー

特集:全日本バレー大学選手権2022

東海大・宮部愛芽世 代表で感じたもどかしさ、インカレは「強さ」をぶつける場に

代表メンバーの最年少として世界選手権を経験した東海大の宮部(撮影・田中夕子)

激動、かつ激変の1年を、宮部愛芽世(あめぜ、3年、金蘭会)は「あっという間だった」と笑顔で振り返る。

「代表では最年少。毎日ついていくのが精いっぱいで、たとえプレーでは貢献できなくてもとにかく明るく、自分ができることをしよう、と必死でした。でも大学ではいい意味で自分に矢印を向けられるというか、自分のプレーに集中して取り組むことができる。もうすぐ全カレが始まって、大学でのシーズンも終わるんですけど、自分個人としてはこの間合流したばかりだから、まだ終わりという感覚がなくて、大学も始まったばっかり、という感じ。びっくりするぐらい、この1年は早かったですね」

代表の日々を振り返り、こぼれた涙

バレーボールを始めて間もない中学時代から脚光を浴びた。15年には4歳上の姉、藍梨(姫路)が日本代表に選出されたこともあり、自身も「日本代表に選出されるような選手になりたい」と高校時代から公言してきた。まさに有言実行の今季、日本代表登録選手に初選出され、合宿にも参加したが、当初は「今の実力では選ばれるはずがない」と思っていた。

それでも現役大学生ながら、筑波大学の佐藤淑乃(3年、敬愛学園)と共に世界選手権の出場メンバー14人に選ばれた。シンデレラストーリーの始まり、とも言うべきスタートのように見えるが、日本代表として過ごした日々を振り返るうち、宮部の目から涙がこぼれた。

「どこかで自分自身が『私は絶対落ちる』と思っていたんです。だから、最初の合宿から参加していても、選ばれることが最終目標でしかなくて、いざ選出されてから『落選した人たちの分も日本の代表として頑張って戦おう』と思っても、そのイメージができていませんでした。初選出なんだから仕方ない、割り切ってやればいいよ、と言ってくれる人もたくさんいましたが、でもずっとプレッシャーがあったし、うまくやらなきゃ、っていう気持ちが消えなかった。そこはすごく、悔いが残っています」

代表メンバーとして活動する日々にはプレッシャーを感じていた(試合の写真はすべて提供・関東大学バレーボール連盟)

国際舞台を「成長の場にしていいのか」という葛藤

本来ならばオリンピック周期は4年。予定通りであれば2020年に東京大会が終わり、4年後、宮部が23歳で迎える24年パリ大会へのスタートは、21年に切られるはずだった。だが東京大会が1年の延期を余儀なくされ、パリへの始動の年となった今季は世界選手権が開催されることになった。

4年周期であれば、経験の少ない選手も最初の1年で国際大会に出場しながら、長所や適性を見極める時間もあるが、世界選手権はバレーボール選手にとって五輪に次ぐビッグタイトル、本気と本気がぶつかる勝負の舞台だ。

そこに自分が出場するだけの力があるのか。姉と共に選ばれた喜びよりも、焦りやプレッシャーばかりが上回った。
「リザーブのアウトサイドというよりも、ピンチサーバーというオプションの部分でしか活躍するところがない。見ている人はVリーグにももっといい選手がいる、経験値がある選手がいるのにと思っただろうし、実際そういう声も私の耳に入ってきたので、すごく申し訳ない気持ちがあって。世界選手権という舞台にピークをぶつけるのではなく、そこを成長の場として使っていいのか。そう考えると自信がなかったし、合宿を重ねてどんどん人数が絞られていく中、自分で自分を追い込んで、苦しめていました」

何もできないもどかしさと、力不足を痛感する日々。悔しさや苦しさを味わいながらも、一方では異なる感情も芽生えた。

「自分で自分を追い込んで、苦しめていました」と振り返る(撮影・田中夕子)

「もっと自分がうまくなって、ちゃんと選ばれる選手になって活躍して自信をつけたい、と思ったんです。世界選手権で(古賀)紗理那(NEC)さんがけがをして、代わって出た(石川)真佑(東レ)が活躍した。真佑さんが一生懸命練習してきた姿を見てきたので、私もすごくうれしかったけれど、もしも自分が同じ立場になったらどうなるかと考えたら、今のままでは怖かった。そんなレベルで『活躍したい』なんて言えないので、もっと強くならなきゃいけない、と今まで以上に強く思うようになりました」

秋季リーグでつかんだ初めての感覚

さらなる成長を誓い、臨んだ最初の舞台が秋季リーグだった。

世界選手権が開催されたオランダから帰国した直後、10月15日の東京女子体育大戦で宮部は途中出場を果たした。疲労も重なりコンディションが万全ではないことを考慮し、藤井壮浩監督は当初、「出す予定はなかった」と言う。ただ、2セットを先取される展開に、宮部自身が「自分から『出たい』と切り出そうと思っていた」。どんな状況でも、出られる準備だけはしていた。劣勢での出場となったが不思議なほど冷静で、やるべきこともクリアだったと振り返る。

「私、意外と臆病で、普段だったら『このまま負けるのかな』とか、余計なことを考えてしまうタイプなんです。でもあの時は全くそういう気持ちがなくて、ものすごく集中してプレーができた。誰が決めた、どういう展開だったと細かく思い出すことはできないけれど、自分のプレー、1本1本のスパイクはハッキリ覚えています。あんな感覚は初めてでした」

もう一つ、鮮やかに残るのはサーブを打つ時のこと。

「オランダ(の世界選手権)で戦った、代表メンバーのことが頭に浮かんできたんです。大学と代表、場所は違うけれど、頭の中ではすごく重なって、強気で打つことができました」

サーブを打つとき、代表メンバーのことが頭に浮かんだ

全員がおのおの役割を果たす「丸いチーム」

昨季に続く連覇、さらには春、秋リーグと東日本インカレに続く四冠を目標にする以上、全日本インカレは1戦1戦にこれまで以上のプレッシャーもつきまとう。だが、久しぶりに初戦から有観客で行われる大会、より多くの人に見てもらえる中で戦うこと自体が、宮部にとってはそれ以上ない活力だと笑う。

「去年の全日本インカレも準決勝から有観客。チーム関係者の席よりも一般入場席にたくさんお客さんがいて、『うわーすごいな』と思ったら、(女子の後で行われた)男子の試合を見るために席を取りに来た人たちで、女子の試合が始まったらほとんどの人が試合を見ていなかったのが悲しくて。それも現実なんですけど、でもだからこそ考え方も変わりました」

東海大は一般生として入学してきた部員も多く、県大会に出場したことがないという選手もいる。部員数も多く、普段の練習は1面のコートで行うため、中には自分の練習ではなく、試合に出る選手のサポートに回る選手もいる。
「みんなが一生懸命やることをやって、応援してくれる。そういう仲間と一緒に勝ちたい、日本一になりたいと思ったし、日本一を目指す経験が人生の中でなかった人たちに、どれだけ夢を見せられることができるか。それは私やキャプテンの(中川)つかさ(4年、金蘭会)さんの使命だと思うので、このチームみんなで優勝したいし、日本一になるという目標をかなえたい、と強く思うようになりました」

東日本インカレを制したとき、主将の中川にメダルをかけてもらった

上下関係がきっちり分かれたピラミッド式のチームではなく、全員がおのおの役割を果たす丸いチーム。それが東海大の特徴であり強さだ。「全員が、『チームのためにこれができた』という小さな要素をつなげて、『一緒に戦ってきてよかった』と思えるような結果をつかみたいです」

東海大のエースとして、そして現役大学生で日本代表として戦ったプライドも胸に、3度目の全日本インカレに挑む。

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