バドミントン

明治大・武井優太・遠藤彩斗組 1度解散して分かった「強み」 見据えるオリンピック

バドミントン・男子ダブルスの武井優太(左)・遠藤彩斗(右)組

バドミントン・男子ダブルスの未来を担う武井優太(4年、埼玉栄)・遠藤彩斗(4年、埼玉栄)組。小学4年からペアを組み、12年たった今、日本代表として世界をフィールドに活躍し始めた。小学生の頃からのプレースタイル・ノーロブと、築き上げられたコンビネーションの相乗効果は唯一無二の強みである。成果を上げる現在までにあったのは、2人にしかない軌跡だった。

チャンスはあと1回 現実と向き合いつかんだ日本代表の道

武井・遠藤組の飛躍は大学3年。日本ランキングサーキット3位、全日本学生選手権団体戦・個人戦ともに優勝、全日本総合選手権で3位に。そして1月には2022年度の日本B代表に選出された。実力発揮の裏にあったのは「1回しかチャンスがないという危機感」(遠藤)だった。

1年時のインカレ個人戦はベスト16と振るわなかった。2年では、新型コロナウイルスの流行に伴い、体育館での練習がままならない状況を強いられた。大会も行われず、インカレも中止。モチベーションの維持が難しくもあった期間「誰かと一緒なら練習を頑張れるけど、家にいて1人で頑張れる人はあまりいない。ここで自分が一番頑張れば、一番強くなれるのではないか」(遠藤)。武井は「現状から落ちたくはない。本気で体づくりをしようと思った」。厳しい状況を味方にし、継続したトレーニングでフィジカルを鍛えた。

迎えた3年。大学卒業後も競技の一線に立つには、結果を残さなければならなかった。そこで、先を見据えた個々の努力がものをいう。相手に向かっていく気持ちを貫いて大会をモノにし、自身の存在を大いに示す。実業団から声が掛かり、国内トップチームへの進路も開けた。そして、見事日本代表入りを果たした。

コロナ禍の逆境を力に変え、代表入りを果たした

解散を機に パワーアップした2人の強み

武井は幼稚園の年長、遠藤は小学2年からラケットを握り始めた。ジュニアのクラブチームで毎日のように練習に励み、小学4年からダブルスを組み始めた。

当時、2人には20歳の自分に向けて手紙を書く機会があった。遠藤の手紙にはバドミントンへの思いが表れていた。「『20歳だから就職のこと考えているよね。トップの実業団に入ってしっかり頑張れよ』みたいなことが書いてありました。20歳で世界選手権優勝と書いてありましたが、まだ現実を分かってなかったですね(笑)」。10歳ながら、バドミントンで生きていくことが頭の中にあった。そんな中で、子どもらしい一面もあった。武井は「よくけんかしていました。彩斗は悪くないです。でも、口でけんかを売ってくるんですよ(笑)。それで自分が手を出してしまうみたいなことが、3日に1回くらいはあったかな(笑)。中学生になってもけんかしていて、大会前にけがしたこともあって。それでも関東2番になりました」と笑顔で語った。やんちゃなところもあったが、中学高校時代を経て内面もプレーも成長を遂げていく。

2人は中学高校の6年間を強豪・埼玉栄で過ごした。中学3年の全国中学校バドミントン大会で優勝。ペアを組んで以来、初めてつかみ取った全国の頂点だった。だが高校で武井・遠藤組は解散。武井と中学時代にナショナルチームでペアを組んでいた加藤太基(現・JR北海道バドミントン部)が埼玉栄に入学したことを機に、ペアを組み替えた。

高校2年で加藤・武井組は、JOCジュニアオリンピックカップと称される、全日本ジュニアバドミントン選手権大会で準優勝を果たした。しかし、負けず嫌いの武井の中では、優勝した中山裕貴(現・敬和学園大学)・緑川大輝(現・早稲田大学)組に敗れた悔しさが勝った。同期であり、なかなか白星を挙げることのできない相手でもあった。「自分の力では勝てない」。遠藤と組んでいたときと異なり前衛を担っていた武井は、得点につながる球をつくることに難しさを感じていた。「どうすれば中山・緑川組に勝てるかなと考えたときに、攻める方がいいと思って」

武井なりに考え、たどり着いた答えは「遠藤と組みたい」。組んでいない期間を経たことで、遠藤の前衛のプレースタイルこそが強みになるはずだと思うようになった。加藤とのペア解散について「『ジュニアオリンピックカップで2位になったのに解散するの?』と言われて。周りの人はびっくりしていました。顧問の先生たちとも話し合って、1週間くらいかけて決めました」。武井から声をかけ、武井・遠藤組が再結成された。

「お互いにできることが増えて帰ってきた」

高校3年のインターハイ。またも中山・緑川組が頂点に立ち、結果は準優勝だった。高校時代にタイトルには恵まれなかったが、一度の解散により、2人は強くなっていた。「お互いできることが増えて帰ってきた」(武井)。武井は前衛のスキルを得た。遠藤は固定の相方を持たない中で、今まで経験のなかった後衛に回ったり、その都度パートナーに合わせてプレーをしたりすることで、幅広いプレーを身に付けた。

当時のことを遠藤は「同期は5人で自分以外は全国トップなので、立ち位置としては本当に苦しかったです。でも、自分はそういうときの方がモチベーションが高くて。できないことや苦手なことを頑張ってやっていました。その期間は無駄ではなかったと思っています」と振り返る。再結成後、お互いに組みやすさを感じるとともに、過去の自分たちとの違いを実感する。「中学生の頃はノーロブでチャレンジして、駄目なら負けてしまってもろかったです。でもそのプレースタイルが崩されにくくなって」(遠藤)。おのおのの経験値が進化をもたらした。

インターハイは準優勝だった

結果を残すことでより高い目標へ 目指すはオリンピック

個人の努力や経験がバネとなり、強くなった武井・遠藤組。大学3年の2月から国際大会を経験し、これまで11大会に出場している。秋には最後のインカレで個人戦優勝、連覇を達成した。

今なお躍進する2人には「自分を強くして、パートナーも強くする」意識がある。「ダブルスといっても、個が強ければダブルスは強いと思います。でも、自分たちは個で見ると身長も小さくてパワーもそれほどなくて、自分1人が強くなって強いダブルスになれるかと言われてもそうではないと思っていて」(遠藤)。個々の力ではなくコンビネーションを武器に戦う2人にとって、お互いを高め合うことが強さの秘けつとなる。試合後には「ラリーごとに今のはどうしたらいいよね」(武井)と、2人で試合の動画を見ながらプレーを細かく振り返るという。武井は「自分の動画を見るのは好きではなかったけど、足りていないことが分かって勉強になるので続けるようにしています」。自分を見つめ、自分たちを見つめることで、止まらぬ成長を見せるに違いない。

2028年のロサンゼルスオリンピックを見据える

結果を求めて戦った日本代表1年目は、4大会で優勝。世界ランキングを49位にまで上げた。経験を多く積むことで「自分たちで考える力が付いて成長できた」(武井)。来年からはグレードの高い大会に出場し、これまでよりもランキング上位のペアと戦う機会が増える。「出場する大会で一つでも多く勝ち、世界ランキングを32位以内に上げA代表入りすること」を来年の目標とする。

また、この1年で2人に大きな目標ができた。世界ランキングを上げ、オリンピックが見えてきた。「夢ではなく目標になった」(武井)。日本代表として活動する中で、オリンピックや世界選手権を目標にする選手たちと関わることができる環境にいることも、彼らを後押ししている。2028年のロサンゼルスオリンピックを見据え、2人そろってメダルを取ることを将来の目標に掲げている。「目標の幅が広がると、もっと上を目指そうと思えます。目標が尽きるまで強くなりたいです」(遠藤)。次世代エースへの道を、2人なりに進んでいく。

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