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特集:第74回全日本大学バスケ選手権

東海大、「ジャズ」のようなバスケで制したインカレ 変革重ねて一枚岩になれた理由

2年ぶり7度目の優勝を喜ぶ東海大の選手たち(撮影・松本麻美)

第74回全日本大学バスケ選手権 男子決勝

12月11日@ 国立代々木競技場 第二体育館(東京)
東海大学 54ー51 白鷗大学

インカレ優勝記者会見の直後、東海大の陸川章監督は今年のチームを「ジャズ」にたとえた。NBAチームのユタ・ジャズのことではない。音楽のジャズだ。

「去年のチームは、個人で打開できる力をみんなが持っていましたが、今年は、複数が融合したときにすごい力を発揮できるところがジャズっぽいと言いますか。『今はこいつが乗ってるから、思い切りやらせよう』『次は俺が行くよ』と、うまく融合している感じを受けました」

決まっているのはテンポとコード進行くらい。楽譜には音符すらほとんど書かれていない。プレーヤーごとの即興演奏をあうんの呼吸でつなぎ合わせていくようなジャズのプレースタイルは、確かに東海大のインカレの戦いぶりに通じるものがあった。

決勝で光ったチームケミストリー

決勝の白鷗大戦は、開始直後からその強みがいかんなく発揮された。第1クォーターから、激しいディフェンスとガードの島谷怜(4年、東海大札幌)の果敢なアタックで15-2とビッグリードを作り、第2Qは島谷に変わって投入された黒川虎徹(3年、東海大諏訪)が、西田公陽(3年、福岡大大濠)との同学年コンビで攻撃を引っ張った。

誰が活躍しても全員で喜ぶ姿が団結力の強さを感じさせた(撮影・松本麻美)

後半は出だしからエースの金近廉(2年、関大北陽)が連続得点でチームをもり立て、金近のディフェンスの負担は小玉大智(4年、実践学園)、張正亮(4年、東海大諏訪)、前野幹太(2年、東海大札幌)がカバー。キャプテンの松崎裕樹(4年、福岡第一)は声掛けとプレーで常にチームのトーンをセットし、自らもアグレッシブに得点を重ねた。

誰かが前に出れば、誰かが自然にサポートする。誰かが作った流れを次の誰かが引き継ぎ、さらに増幅させる。“5人のメンバー”がひとつのチーム”として有機的に結合し、同じ意志を携えて前へ前へと進んでいく。そんな強固なチームケミストリーが、彼らの強さの源だった。

前回大会直後から始めた変革

昨年のスタメンが4人抜け、なかなか勝ち星を挙げられなかったチームが、最後の最後で全国の頂点に駆け上がる――。まるで漫画のようなストーリーを現実のものにするため、東海大はさまざまな変革を実施した。

核となったのは、前述したチームケミストリーの醸成だ。昨季のチームで、コンスタントにスタメンとしてプレーしたのは松崎のみ。今大会でスタメンをつとめた西田と、アシスト王と優秀選手賞を獲得した黒川に至っては、昨年のインカレはメンバー外だった。圧倒的に足りない経験と練度を補うため、松崎はオフシーズンの取り組み方から変えたという。

「去年の4年生は、オフシーズンに特別指定でBリーグの考え方や技術をチームに持って帰ってきてくれたんですけど、試合に出ていた選手が少ない今年は、オフシーズンからしっかりとチームコンセプトの落とし込みを行って、1年間戦えるチームを作ろうと考えました。特別なことも難しいこともやってないんですけど、今までやってきたことを徹底することと、今年から新しく導入したシステムをチーム全体に浸透することを考えて、オフを過ごしました」

松崎(右)は決勝のコートでもリーダーシップが光った(撮影・松本麻美)

松崎が話すように、ここ数年の東海大の主力は、インカレ後からシーズンインを迎える3月までの間、部を離れるのが通例だった。しかし今年の選手たちはこの時期を、本腰を入れてトレーニングに励み、チームメートとの結束力を高めるために使うことを選んだ。松崎と共にチームを引っ張った島谷は「僕と松崎は、全員がそろって練習することが重要だと思っていたので、この時期に基礎体力を高めたり、コンセプトを落とし込んだりということに全員で取り組めたのがよかったと思います」と振り返る。

監督が感じた手応え 「ハッスル」したチームに成長

陸川監督は、選手たちの特性に合わせて、チームのスタイルを変えた。緻密(ちみつ)なハーフコートバスケから、粗削りながら爆発力を秘めたオールコートバスケへ。強固なディフェンスからアップテンポなオフェンスに移行するこのスタイルを徹底するために、練習量を増やし、練習の強度も高めた。

「ディフェンスから走れるチームを作るには、体力が必要なので。常に走り続けてプレーするとか、速い展開の中で頭を使ってバスケをするとか、いろんなことをやり込みました。ウェアラブルデバイスで計測したところ、運動量は去年の1.6倍程度でした」

そのように説明する陸川監督は、5月の関東学生選手権が始まる少し前にやり取りしたメールで、チームについてこう記していた。

「今年も楽しみにしていてください。とてもハッスルしていますから」

「東海は弱い」と言われても信じ続けた言葉

シーズン序盤は勝ち星に恵まれなかった。春の関東大学選手権はベスト16止まり。新人戦でもベスト4入りを逃し、今年から新設された新人インカレには出場できなかった。大学バスケ関連の動画コンテンツには、バスケットボールファンから寄せられた「今年の東海は弱い」といった趣旨のコメントが散見されたが、選手たちは「インカレ優勝」という目標のみを見つめていた。

松崎は当時の心境を振り返る。

「自分は本当にここ(インカレ)で優勝することしか考えてなくて、それこそなんて言うんだろう、負けても…もちろん、ネガティブな感情は持つんですけど、陸さん(陸川監督)の考え方だったりだとか、チームが積み重ねてきたことに疑問を持つことがなかった。1年間ずっと『自分たちはやれる』と思ってました」

2点リードで残り10秒余り。真価が問われる場面で、松崎の鋭い視線がコートに向けられていた(撮影・小俣勇貴)

陸川監督は「チームとしての経験がなかったので春先は負けが続きましたが、彼らのポテンシャルや能力はきちんと磨けば光るし、絶対弱いと思っていませんでした」とコメント。金近は「まわりから『弱くなった』と言われても、陸さんは春からずっと 『このチームは強い』って言い続けてくれて、その言葉に僕たちが追いついていった感じです」と話した。

金近をけがで欠きながら奮戦を見せた新人戦。アジアのレベルを肌で感じた「ワールドユニバーシティバスケットボールシリーズ」。例年以上にハードだった夏の練習。接戦を制す試合が増え、3位という結果を残した秋のリーグ戦。一つひとつプロセスを踏みながらチームは一枚岩となり、有終の美を飾った。

リードを守り切り、歓喜の瞬間を迎えた(撮影・小俣勇貴)

完成した個性とフォア・ザ・チーム精神の融合

今年の東海大のメンバーには、主力がそのまま大学オールスターという例年のような豪華さはない。それでも最後に彼らが笑えた理由を考えるにあたって、陸川監督の「自分の個を発揮しつつ、みんながフォア・ザ・チームの精神を発揮できるチーム」という言葉がヒントになった。

島谷はリーグ戦後、「接戦になった時は、自分でなく調子のいい選手を使ってほしい」と陸川監督に直訴し、インカレ中は黒川と積極的にコミュニケーションをとって彼の緊張を和らげた。金近のバックアップセンターをつとめた小玉は、インカレで急きょセンターとしてプレーした金近に、留学生センターを相手にしたディフェンスを逐一アドバイスした。学生スタッフたちは分析データに基づいてプレーヤーを勇気づけ、4年生は、下級生が物を言いやすい環境を作り、彼らのメンタルが揺らいだときは「大丈夫だ」と言い続けた。

このような自己犠牲の精神は、東海大が連綿と育てあげたカルチャーの一つでもある。

2001年に陸川監督が就任し、初のインカレ優勝を達成したのが4年後の2005年。陸川体制の発足から7度の日本一を達成してきたなかで、プレーヤーだけでなく、コーチ、トレーナー、マネージャーなど、さまざまなポジションの最前線で活躍する人材が巣立っていった。

決勝後、選手へ声をかけ続けてきた陸川監督の声はかれていた(撮影・松本麻美)

学生たちの可能性を信じ抜く陸川監督の求心力を礎に、部員たちは切磋琢磨(せっさたくま)し、自分がやるべきことを自然と見いだし、ときに寝る時間も惜しむほどにバスケットボールに身を捧げる。近年の東海大の部員たちを見ていると、「大人のスタッフたちが放っておいてもある程度勝手に育つのでは」と思うことがあるが、これはきっと、20余年の歴史の中で上述のような土壌がしっかりと育ったがゆえなのだろう。

結果が出せない時期も、それぞれがなすべきことに全力で向き合い、「優勝できる」と励まし合いながら、劇的な優勝を手繰り寄せた。そんな今年の4年生に、3年生の黒川は「東海大がどういうチームかを示してくれた」と感謝を述べ、「これからさらに一回りも二回りもチームとして成長していきたい」と抱負を口にした。確かに受け継がれた“東海大シーガルス”のカルチャーとプライドが、来季どのように進化していくかが楽しみだ。

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