「先生のおかげで対抗戦に入れた」 帝京大が感謝する亡き先人の功績
ラグビーの全国大学選手権で早大を破り、2連覇を果たした帝京大は、背番号の上に黒の喪章をつけて8日の決勝を戦っていた。
かつて帝京大監督を務めた増村昭策・名誉顧問が3日に88歳で亡くなった。
増村氏は1974年度に帝京大ラグビー部監督に就任。現在の強豪に駆け上がる礎を作った。岩出雅之・前監督は「人望のある方で、その姿そのものが勉強になった」と振り返る。
70年創部のチームが関東対抗戦グループに入れるよう、当時の明大・北島忠治監督(故人)らに働きかけ、実現につなげたのも増村氏だったという。
司令塔のSO高本幹也(4年)は試合後、「帝京大が対抗戦に入ることが出来たのは増村先生のおかげと聞いている。感謝している」と語った。
就任1年目の相馬朋和監督は「私を帝京大に誘ってくれたのは増村先生」と話した。学生時代のスクラム練習では、実際に組みながら指導を受けたこともあったという。「先生が首の使い方を教えてくれた。今はそれを私が学生たちに教えている。そうやって、(思いを)つなげていければ」
相馬監督が入学した時、帝京大は対抗戦グループに入っていたものの、慶大との対戦が組まれないなど、定期戦の考えを基礎とする伝統校同士の枠組みに完全には加われない時期があった。
それが今回の大学日本一で、全国大学選手権の優勝は早大16度、明大13度に次ぐ11度に。いまや押しも押されもせぬ、大学ラグビー界を引っ張る存在だ。先人の努力と苦労に後輩たちが応えた結果だ。
(野村周平)=朝日新聞デジタル2023年01月09日掲載