フィギュアスケート

特集:フィギュアスケート×ギフティング

櫛田一樹が現役続行!もう一度全日本の舞台で滑りたい 関学大卒、23歳の決意

現役続行を決めた櫛田一樹(すべて撮影・浅野有美)

フィギュアスケート男子の櫛田一樹(倉敷FSC)が現役続行を発表した。2022年春に関西学院大学を卒業後、現役を続けてきた23歳。昨年12月の全日本選手権直後は引退を決めていたが、周りから惜しむ声が上がり撤回。有川梨絵コーチからは「一樹らしいものを見せて」と背中を押された。全日本選手権の空気感をまた感じるために、櫛田は再スタートを切った

ラストイヤーと決めた1年

フィギュアスケーターにとって全日本選手権は特別な場所だ。大きな会場で、たくさんの観客の前で演技をする。ジャンプが成功したときは大きな拍手で応援をもらい、失敗したときでも、励ましの拍手が選手の背中を押すこともある。1度その舞台で演技をすると、その温かい空気感が忘れられなくなり、またこの舞台に帰ってくるために頑張りたい……そう思える場所だ。

大学生の集大成として望んだ2021年の全日本選手権では、ショートプログラム(SP)で初めて4回転ジャンプを決めるなど櫛田自身が「楽しかった」と納得いく演技内容だった。しかし、フリーでは練習でもやったことがないほどミスを連発し、「このままじゃ終われない。もう一度全日本という舞台で滑りたい」とフリーを滑った直後に、現役続行を決めた。コーチにも相談をし、「現役を続けるのであれば、期限を決めた方が頑張って取り組める」というアドバイスをもらい、「この1年でラストにしよう」と覚悟を決めた。

ラストイヤーと決めてシーズンをスタートさせた

納得いくまで練習できた

2022年春に関西学院大学を卒業し、生活リズムをスケートが軸になるように整えた。空いた時間で筋力トレーニングに励み、スケーティングやジャンプも時間に縛られることなく、納得いくまで練習することも出来るようになった。

筋力もアップしジャンプに安定感が出た頃、不運にもけがに見舞われた。シーズン初戦のげんさんサマーカップの直前ということもあり、一時は棄権することも考えた。しかし、ステップやスピンのレベルが狙い通りに取れているかの確認も兼ねて、ジャンプ構成を落として出場することに決めた。

げんさんサマーカップ2022では5位に入った

いつもは演技の最初から最後まで100%の力で滑っていたが、けがをしていることもあり、コーチから「スケーティングは6割くらいの力で」と言われ実践すると、力を入れなくてもスケートが伸びることを実感し、体力が最後まで持つことにも気付けた。けがをしたことは不運だったが、収穫を得られた大会だった。その後、全日本への予選である中四国九州選手権大会ではショート・フリーともに4回転を決め、高得点での優勝となった。

続く西日本選手権大会ではフリーで途中靴ひもが解けていることに気付かずに転倒が続いたが、ぎりぎりのところで全日本選手権への出場権を得ることが出来た。

全日本SP24位でフリーへ

大阪府門真市で行われた全日本選手権の会場は観客席も多く、世界選手権などの選考会も兼ねているために選手たちの緊張感も他の大会とは違うものだ。その会場全体の独特の雰囲気にのまれてしまい、SPの練習時から緊張していることに気付いた。演技直前の6分間練習でもエレメンツが乱れ、不安が残ったままでの演技となった。冒頭の4回転トーループが3回転となり、ルール上、後半に予定している3回転トーループを2回転にしなければならず、点数に影響が出ることが頭によぎった。トリプルアクセル(3回転半)は絶対に決めなければSP落ちしてしまうという思いから力が入りすぎてしまい、激しく転倒してしまった。

最後のステップでは会場の温かい手拍子が背中を押し楽しく滑れたが、演技後に点数「59.98」を見た瞬間、櫛田の中では全てが終わったと思った。

早々に会場を後にし、1人ホテルで過ごしていると、櫛田のことを気にかけてくれていた先輩スケーターから1本の電話があった。「今すぐに結果を見るんだ」。そう言われて確認をすると「ショート24位」の文字が目に飛び込んだ。フリーに残るのは無理だと完全に諦めていたが、「また滑らせてもらえるんだ……」と安堵(あんど)の涙が流れた。

フリーは「マイケルジャクソンメドレー」を演じた

中1日空けてのフリー。調子はいい方ではなかったが、24位より下がることはないと自分自身に言い聞かせ、フリーに挑んだ。全日本の会場で苦戦していた4回転が自身最高の出来で成功し気持ちも高まり、4分間を通して大崩れすることなく、やり切ったと思える内容だった。キス&クライに戻ると、いつも「あそこはもっとこうしたかったね」など、有川コーチから「次の試合」に向けてアドバイスをくれるのだが、今回は無言で背中に手を置かれたのみだった。コーチからのアドバイスがないことでこれが最後の演技だったのだと実感が湧き、溢(あふ)れる涙を止めることが出来なかった。

「一樹らしいものを見せて終わりに

競技終了後、今までお世話になった連盟の方や、合宿先でのコーチにあいさつをしに行くと、全員が口を揃(そろ)えて「今競技をやめるのはもったいない」と言った。櫛田はスケートを開始する年齢が周りに比べると遅く、スケートをしている年数を考えると、今は伸び盛りの位置にいる。櫛田自身は年齢を考えて競技生活を終えようとしていたが、スケートをしている年数を考えるともう少し出来るのかもしれないと思えてきた。しばらく考えた末、もう一度全日本の舞台で滑りたいという気持ちが勝り、すぐにコーチに連絡をした。

櫛田の美しいスケートを見たいファンは多い

これが本当にラストシーズン。コーチに「一樹らしいものを見せて終わりにしましょう」と、ラストシーズンに目指すものも決まった。

空気感が好きという全日本選手権の舞台に向けて、櫛田の最後の1年が始まる。

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