陸上・駅伝

特集:第99回箱根駅伝

吉居大和&近藤幸太郎が中学から切磋琢磨 「TTランナーズ」から箱根、そして世界へ

今年の第99回箱根駅伝2区でトップを走る中央大の吉居大和(左、代表撮影)と、昨秋の全日本大学駅伝7区を走る青山学院大の近藤幸太郎(撮影・古沢孝樹)

今年の箱根駅伝2区の主役を演じた3人のうち2人が、愛知県豊橋市にある「TTランナーズ」というクラブの出身だった。

吉居大和(中央大学3年、仙台育英)、近藤幸太郎(青山学院大学4年、豊川工)、田澤廉(駒澤大学4年、青森山田)のデッドヒートは、激戦が多かった2区でも間違いなく名勝負として語り継がれる。

区間賞(1時間06分22秒)の吉居が4位からトップに躍進し、区間2位(1時間06分24秒)の近藤は7位から3位に浮上した。区間3位の田澤も1時間06分34秒で、日本人3選手が1時間7分を切ったのは初めてのことだった。

吉居と近藤は中学生の間、学校の部活動と並行してTTランナーズで練習していた間柄で、他にも順天堂大学7区の浅井皓貴(2年、豊川)、大和の弟で中央大4区の吉居駿恭(1年、仙台育英)も同クラブ出身である。吉居と近藤はどんなトレーニングを行い、どんな指導を受けていたのだろうか。

第99回箱根駅伝。戸塚中継所の直前で駒大の田沢廉(右)を抜き、トップに立つ中大の吉居大和(手前)。左は青学大の近藤幸太郎=23年1月2日午前10時9分、横浜市、代表撮影

2区を走り切り、抱き合った吉居と近藤

2区のレース中に吉居と近藤の関係を示すシーンがあった。14kmで近藤が吉居を抜いて前に出たが、そのとき近藤が左手で「一緒に行くぞ」と吉居に合図した。

ちょうど上りが終わり、吉居が得意とする下りにかかっていた。吉居は近藤の後ろでリズムを取り戻した。吉居は中継後に「幸太郎君のおかげでした。あれがなかったらマジで終わっていました」とチームメートに話している。

19km過ぎには逆に吉居が前に出て、21km付近では近藤をリードした。しかし近藤も粘って22.9kmで吉居に追いついた。上りが続く地点である。トップを行く田澤も、2人の目の前に迫っていた。中継所100m手前で吉居がスパートして近藤を引き離すと、すぐに田澤も抜き去ってトップで中継した。

走り終わった吉居は、運営管理車の藤原正和監督からの「大和よくやった、区間賞だ!」という言葉にガッツポーズで応えた後、近藤に駆け寄って抱き合った。

「田澤さんと幸太郎君と一緒に走ることができ、すごく幸せな時間でした。最後は勝ちきることができてうれしかった」

第99回箱根駅伝。戸塚中継所で、たすきを渡した後、抱き合う青学大の近藤幸太郎(手前)と中大の吉居大和=23年1月2日午前10時9分、横浜市戸塚区(撮影・吉田耕一郎)

「兄弟」のような二人が基礎を作った時代

吉居は1学年上の近藤のことを「幸太郎君」と話す。それはTTランナーズ時代にそう呼んでいたからだ。

TTランナーズの仲井雅弘代表は自身も早稲田大学4年時に箱根駅伝7区区間賞(1984年の早大総合優勝時)を取った競技歴を持つが、「(抜くところで)幸太郎が何かやるだろうな」と思ってレースを見守っていたという。

「幸太郎は誰に対しても壁を作らず、親しく接することができる選手でした。大和に限らず、下からもすごく慕われていましたね」

吉居の父・誠さんも以下のように話している。

「大和は幸太郎君の影響をすごく受けて、しゃべり方まで似ていた時期もありました。大和が高校に進学した後に敬語で話すようになったのですが、幸太郎君が『それイヤだな』と言って、また普通に話すようになったみたいです」

2人が兄弟のような関係になり、そして一番は競技の基礎的なところが作られたのがTTランナーズ時代だった。

中学時代の近藤幸太郎(左から2人目)と、仲井雅弘代表(左から1人目)(TTランナーズ提供)

中学時代からフォームが抜群に良かった近藤

TTランナーズの選手が、昨年の全日本中学選手権男子800mで1・2位を占めた。仲井代表は「すごい練習をやっている、と思われるのは本意ではありません」と苦笑いをする。

「このタイムで行け、この距離を走れ、という練習はやりません。常に自分の感覚で動くように、という指導です。全国大会に参加できる記録を出すために、体の成長度合いを無視したような練習はしませんよ。まずは強い体を作ろう、そして楽しくやろう、と言っています」

強靱(きょうじん)な体を作るのは、中学生段階で強い練習を行うためではなく、将来的に強度の高い練習を行うことができるようにするためだ。

近藤は中学2年までは背が低かった。3年生になって伸びたが、それでも「160cmなかったかもしれない」(仲井代表)という。

「でも動きは抜群によかったですね。腰高で」

TTランナーズが重視するのは“動き”と“スピード”である。中学生段階で速く走ることよりも、その二つを身につけていくための基礎や考え方を持つことが、「その後の競技人生を左右する」からだ。

仲井代表は実業団のトヨタ自動車監督を務めたことがあり、スタッフには全国トップレベルで走っていたトヨタ自動車のOBが多い。

「フォームが崩れそうになったら走るのをやめさせます。前かがみになって頑張り出したらストップサインですね。変なクセがついたらその後の成長に悪影響が出ますから。そうならないように、走る練習の前に跳んだりダッシュしたりして、気持ち良く動くことができるイメージを持たせます。一番良いフォームを維持できる距離を1000m、2000m、3000mと徐々に伸ばしていけば、タイムも自然と上がっていく」

その点で近藤は「理想的な成長過程を見せている」と仲井代表。中学時代は全国大会に出場していないが、体の成長段階を考慮してハードな練習はしなかった。

それでもレースでは記録を狙って積極的に先頭を走った。終盤でペースダウンしたが、その姿勢を高校入学以降も持ち続けた。

「腰高の良い動きを崩さずに力をつけて、体幹が徐々にしっかりして、体ができてきた高校2年生から大きく伸び始めました」

TTランナーズの練習は週に4日行うが、すべて異なる場所で実施している。日曜日のメニューは坂や階段も走るクロスカントリーで、「自身の感覚で動かす」ことを狙いとしている。近藤は中学卒業後も週末にTTランナーズの練習に参加して、良い動きを意識していたという。

「クロスカントリーや階段上りは、自分の体をどう動かせば効率的に進むのかを、意識しやすい練習です。ゆっくりすぎるジョグは動きが崩れますが、クロスカントリーのように不整地や坂を走るのなら、ゆっくりでも自身の体の使い方を工夫します」

スピードも当初はそれほどなかったが、メイン練習の後に必ず「70mの全力ダッシュを4、5本」行っていた。最初は近藤一人が特別メニューとして行っていたが、徐々に加わる選手が増えていった。今では日本インカレ5000mを2021、22年に連覇するほど、ラスト勝負にも強くなった。

中学時代の近藤幸太郎(左)(TTランナーズ提供)

「吉居は歩き出したときからつま先で接地していた」

現在の吉居は学生長距離界きってのスピードランナーだ。大学1年時には5000mで13分25秒87のU20日本記録(当時)を樹立し、日本インカレ5000mも制した。20年吉居、21、22年近藤と、TTランナーズ出身選手が日本インカレ5000mを3連覇中なのだ。2区の区間1・2位独占と同等か、それ以上の価値があることかもしれない。そのスピードを生かし2年時には、箱根駅伝1区で15年ぶりに区間記録を更新している。

その吉居も中学時代は、全国大会には出場していたが入賞まではできなかった。

「大和はまだ体が細かったですね。でも、動きが柔らかかった」と仲井代表。「当時からキプチョゲ(ケニア。03年世界陸上パリ大会5000m金メダル&リオデジャネイロ、東京オリンピックマラソン金メダル。マラソン世界記録保持者)の動きに似ていました。上体がブレないで、接地時間が短く蹴った後の後脚の戻しが速かったですね」

吉居のその動きは天性の部分が大きい。父親の誠さんによれば「大和は歩き出したときからつま先で接地していました」。足裏の前部分で着地するフォアフット走法が、小学生の時にはできていた。だからキプチョゲの動きができるわけではないが、通じる部分は多分にあっただろう。

吉居がTTランナーズの練習に参加したのは土日だけで、平日はトヨタ自動車で実業団選手として経験がある誠さんが指導していた。平日は交通渋滞が激しく、吉居家のある田原市から豊橋市まで往復するのに時間がかかった。「睡眠時間を確保する」(誠さん)ことを優先した。

誠さんは「1週間に走る距離は50kmを超えないようにした」と言う。

「週に1、2日は完全休養にしましたし、プールなどを使って脚に負担をかけすぎないトレーニングができました。ジョグは基本6kmで、ペースは選手たちに任せていましたが、1km4~5分で、4分より速くならないように指示をしていました。1500mの自己記録が4分くらいでしたから、1km4分なら遅すぎず、負荷もかけすぎず、というスピードになります。週に1、2回行っていたペース走は1km4分ペースで、最後の1kmは3分を切るペースに上げました。TTランナーズではない子どもたちも預かっていましたが、その練習でどの選手も伸びたと思います」

注目したいのはジョグを“遅すぎない”ペースで行っていたこと。「長い距離をたらたら走ると動きが崩れる」(仲井代表)というのが、2人の指導者の共通理解だった。

日曜日のメニューであるクロカンや坂、階段の走りでは、吉居は特に下りで強さを見せていたという。

箱根駅伝2区でも下りでペースを上げて近藤をリードした。仲井代表は「下りは得意でしたね。あの回転でバンバン行くんです。上りも弱くはありませんが、幸太郎や田澤君と比べるとどうか、というところだと思います」と2区の走りを見て感じていた。

「坂道ダッシュ」練習風景(TTランナーズ提供)

2人に共通する「フォームの良さ」「スピード」「陸上好き」

近藤と吉居に共通するのは“動きの良さ(フォーム)”、“スピード”そして“陸上競技が好き”ということだろうか。これらはTTランナーズ時代に基礎ができた。

動き(フォーム)の良さは、必ずしも一つの型にはめ込むことを意味しない。選手個々に最善の動きは違って当然で、スピードが出る動き、というところに着目して指導をする。

そして選手が良い動きに変わって行くプロセスを、TTランナーズのスタッフが見逃さずに評価する。

「記録の良しあしなら誰でもわかります。だから他の選手との記録の比較や勝ち負けの評価ではなく、我々(日本トップレベルの)経験者ができるのは、どういうフォームに近づいているか、を理解して評価する。一緒に考えてアドバイスしていきます」(仲井代表)

その選手の中で成長している部分を周囲が評価してあげれば、子どもたちは陸上競技自体を好きになることができる。

「箱根駅伝など高いレベルの大会は、走ること自体を好きにならないと目指せません。親に言われて頑張るようでは本当の頑張りにはならない。好きになってやることの方が、レベルが高くなる。それでやり過ぎてしまってはいけないので、我々が手綱を引くわけです」

世界を見据え、アフリカ勢に匹敵する選手に

TTランナーズは2002年に創設され、今では東三河地区の各中学のトップ選手が入会するようになった。

「自分の学校では一番でも、クラブに来ると上には上がいるわけです。高校生や大人もいる。速いなーと感じて、自分がまだまだの存在だと認識でき、肩の力が抜けて気持ちが楽になります。小学生や障害をもった選手とも一緒に練習することで社会性を育むこともできる。競技を突き詰めていく上でも、その後の人生を生きる上でも大変重要なことだと思っています」

近藤は4月から、実業団のSGホールディングスで競技を続ける。今後は世界を目指す立場になる。吉居は最終学年を迎え、インカレと学生駅伝で活躍するのは当然だが、8月の世界陸上ブダペスト大会出場も目指す。

大学2年時からすでに、世界トップレベルの選手が複数所属するバウワーマンTC(米国)に何度も武者修行に行っている。今年も箱根駅伝後に、さっそく渡米した。

「2人にはもう、世界を狙ってほしいですね。大和は“目指せキプチョゲ”でやってほしい。子どもの頃から(クロスカントリーを練習に取り入れたりスピードと動きを重視したり)アフリカ勢と似た環境でやって来たのは、アフリカ勢に匹敵する選手に育ってほしいと考えたからです」

いよいよTTランナーズ出身選手たちが、世界に挑戦する。

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