陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2023

中央大学・千守倫央 チーム躍進の3年時、自身は不調 立ち直れた「悔しい」と思う心

今季は4年生で唯一、出雲、全日本、箱根の3駅伝を走った(撮影・加藤秀彬)

名門の中央大学で箱根駅伝は1年目から出場し、最終学年となった今季はチームの4年生で唯一、出雲、全日本、箱根と学生駅伝のすべてを走った。藤原正和駅伝監督からは厳しい指導を受けたが、それも大きな期待があったからこそ。最後の箱根のレース後「藤原監督から『4年間よくやってくれた。ありがとう』と言ってもらえたことがうれしかった」と語る千守倫央(4年、松山商)が大学での4年間を振り返った。

関東インカレ入賞から始まった4年目の快進撃

昨年5月の関東インカレ男子1500m決勝。千守は最終カーブからの直線で3人を抜き、8位に滑り込んだ。ぎりぎりの入賞ではあったが、中大チームに1得点をもたらし、ゴール直後には思わずガッツポーズを作るほどの達成感があった。

「4年間で一番と言っていいぐらい印象深いレースでした。チームに全く貢献できなかった3年目の状態から久しぶりに結果を残すことができた。タイムやレース内容ではなく、そこまでのプロセスが良くて自信になりました」

夏は卒業後に入社する大塚製薬の合宿に参加し、「チームに帰ってからも4年生として練習を引っ張りながら、メニューをこなせた」という。継続した練習ができれば、自然と結果もついてくる。

昨年の関東インカレ1500mで8位入賞を果たした千守(23番、撮影・藤井みさ)

今まで以上に自信を持って迎えた秋のシーズンで、千守はまず5000mで13分49秒41と2年ぶりに自己新記録をマーク。駅伝でも出雲、全日本、箱根の3本に出場し、それぞれ2区区間3位、1区区間3位、7区区間4位と好走している。

「長い距離があまり得意ではないので、箱根は心配でしたが、3本まとめられて良かったです。今年1年間は安定した結果を残せて、少しは成長できたんだなと感じます」。高校時代や1、2年時の箱根など、千守は駅伝で1区を任されることが多かったが、最後の箱根では7区に入り、「やっと駅伝ができた」と笑顔を見せる。

「1区は一斉スタートなので、ロードレースと同じようなもの。襷(たすき)をもらって渡したかったですし、しかも今回は同期の若林陽大(4年、倉敷)からもらって、同期の中澤雄大(4年、学法石川)に渡せたので、最後にすごく良い思いをさせてもらえました」

優勝には届かなかったものの、目標に掲げた3位以内を上回る堂々の準優勝。「先輩たちがチームの基盤を作ってくれて、後輩たちに支えられて最高のレースができました」と、千守は胸を張った。

最後の箱根路は同級生の中澤に襷を渡した(代表撮影)

1年生で箱根駅伝デビュー

千守は高校2年生と3年生のときにインターハイに出場。全国高校駅伝では3年連続でエース区間の1区を担った。いくつか勧誘があった大学から中大を選んだのは、顧問の濱田定幸先生から「お前は中大が合っている」と言われたからだ。中大は「箱根駅伝の名門校」ぐらいのイメージしかなかったが、濱田先生は「藤原正和駅伝監督の熱いところや、私生活を重視するところを学んでほしい」と考えていたのではないか、と想像する。

高校までの5000mの自己記録は14分31秒02で、中大では10人いた新入生の中で7番目。当初は「3、4年生で箱根駅伝に絡めれば」というのが目標だった。ただ、入寮して最初のポイント練習をこなせたことで、「意外とやっていけそうだ」とも感じたという。

関東インカレの前に故障がありながらも、夏以降は順調に練習を消化した。箱根予選会で惨敗し、「ハーフ(マラソン)の洗礼を受けた」ものの、本戦では主要区間の1区に抜擢(ばってき)された。

「今までの人生で一番緊張しました。朝、1人でいる時はずっと吐き気をもよおしていた感じです。レース内容としては、区間16位でしたが、その時の実力は出せたのかなと思っています」

千守(右)は1年のときから箱根駅伝を経験(提供・中央大学陸上競技部)

コロナ禍で感じた気持ちを維持する難しさ

より強い選手になるべく始まった2020年は、2月に丸亀ハーフで1時間2分37秒、3月に10000mで28分37分68と自己ベストを連発。しかし、その勢いは世界を襲ったコロナ禍に阻まれることになる。

「陸上選手にとって、レースで自己ベストを目指すのが最大のモチベーション。レースがなくなったことで気持ちを維持するのは難しかったです」

6月に全体練習が再開されたが、7月に食中毒にかかってしまった。夏合宿でも「タレてしまう」ことが多く、箱根予選会の選考レースでもあった学内タイムトライアルのハーフマラソンも思うように走れなかった。

10月から急ピッチで仕上げ、11月に5000mで13分58秒13、12月に10000mで28分15秒40と、それぞれ自己記録を塗り替えた。何とか箱根の本戦メンバーに名を連ねることができたが、再び任された1区は前回より順位を落とし、17位に終わった。

「11月と12月の記録会にピークを合わせていたので、箱根駅伝はピークアウトしていましたし、夏の走り込みも十分ではありませんでした。やはり箱根はごまかせません」

チームが往路19位に終わったのは「自分のせい」と千守は今も責任を感じている。

4年間で改めて「周りの人に支えられている」と感じた(提供・中央大学陸上競技部)

感謝の気持ちを胸に、次なるステージへ

2021年はチームが大きく飛躍するシーズンとなった。しかし、それとは反比例するように、千守はやることなすことがうまくいかなかった。

最初のつまずきは、箱根後の帰省中だった。地元の友人とジョグをした際に捻挫した。「そんなスタートだったから、ああいう1年になった気がします」と言うように、故障が治ってからも本来の走りができない。夏前からようやく調子を取り戻し、しっかりこなせた1回目の夏合宿を終えて、「やる気が出てきた」という矢先の8月、今度は新型コロナウイルスの陽性判定を受けた。

「20日間隔離されて、筋力や体力がめちゃくちゃ落ちました。やっと走れるようになったところだったので、気持ちが折れて、『陸上はもういいや、辞めた、辞めた』という感じでした」

8月末に練習に復帰できたものの、15分走ろうと思ったジョグは、5分で息が切れた。「走れなくて悔しいとか、もっとやらないと、という気持ちにならず、コロナのせいにしたことが、その後もズルズルいった原因だと思います」

千守が足踏みを続ける中、チームは全日本大学駅伝と箱根駅伝で10年ぶりにシード権を獲得した。「複雑な気持ちだった」というのは本心だろう。でも、同期が活躍する姿が誇らしかった思いもあった。「そこでやっと悔しいと思えたことが、4年目に結果を残せたことにつながりました」

中央大での4年間を終えて改めて感じるのは、「自分は周りの人に支えられている」ということだ。

「とくに3年生で自分がふてくされていたときなど、見捨てずに練習を見てくれたコーチの花田俊輔さんには本当に感謝しています。高校の濱田先生や親、同期のみんなにも心配かけて、自分が大事にされているんだと感じました」

自分の中で掲げた「走りで恩返しする」というテーマは、4年目の快進撃を後押しした。「常に周りの人に感謝することを忘れずに自分の根底にとどめて、これからも生きていきたいです」。何事も感謝の気持ちで取り組むことは、これからの競技人生、そして、人生においても生かされると千守は信じている。

中央大学・中澤雄大 駅伝で外さない「仕事人」、4年間で得た「自分本位でいい」思考

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