サッカー

特集:駆け抜けた4years.2023

明治大・福田心之助 先輩を追い続けた「万能型」 長友佑都、室屋成に続くSBめざす

福田は京都サンガF.C.に進み、世界をめざす

元日に、国立競技場で――。今季、明治大学の選手たちが口をそろえて語った目標への挑戦は、まさかの幕切れを迎えた。応援に駆けつけた父母の前で喜びを爆発させる仙台大学の選手たちを横目に、福田心之助(4年、北海道コンサドーレ札幌U-18)が流した涙は、常に先輩たちの姿を追い続けた4年間の終わりを意味していた。

関東王者の早すぎる最後

2年ぶりの栄冠をつかんだ関東大学1部リーグ戦最終節から約1カ月後、明治大は仙台大との全日本大学選手権(インカレ)初戦に臨んだ。地力で上回る明治大が押し込む展開だったが、前半31分にセットプレーから失点。以降は焦りもあってかミスが目立ち、リードを許したまま折り返した。サイド攻撃を徹底した後半12分に右サイドの正田徳大(4年、柏レイソルU-18)のクロスを太田龍之介(3年、ファジアーノ岡山U-18)が合わせて同点に追いついた。その後も決定機を何度も作り続けたが決め切ることはできず。試合終了間際、仙台大にこの試合初めてのCKを与えると、ファーサイドからの折り返しを押し込まれて決勝点を献上。明治大の日本一への挑戦は、幕を閉じた。

フル出場した福田は、同点ゴールの場面で正田とゴールの起点になるなど、右サイドで圧倒的な存在感を発揮していた。しかし延長後半、相手GKとの1対1で、ワンタッチで合わせたシュートはクロスバーの上へ。決定機を逃し「後輩たちに日本一の景色を見せることが4年生の最大の使命だったので、こういう結果で終わってしまったことは素直に悔しい」と涙を流した。その悔しさは、3年前に史上初の大学5冠を成し遂げた「最強明治」をスタンドから見ていた最後の世代として、新たな伝説を後輩たちに残さなければいけないという思いがあったからこそ、ひときわ強かった。

インカレではまさかの初戦敗退に終わった

先輩たちの影に隠れた3年間

1年のときにスタンドから見ていた5冠。「強いのは分かっていたが、いざ5冠をされると『とんでもない大学に来てしまったな』と思った」。その光景は福田に衝撃を与えるとともに、4年間追い続ける理想の姿となった。

「先輩たちを押しのけてトップチームで試合に出る」。そんな目標とともに始まった明治大での生活だったが、すぐに大学サッカーのレベルの高さを思い知らされた。福田が1年のときに右サイドバック(SB)のレギュラーをつかんでいたのは、中村帆高(現・FC東京)。2学年上には常本佳吾(現・鹿島アントラーズ)、1学年上には岡庭愁人(現・大宮アルディージャ)がおり、3年までのリーグ戦スタメン出場は5試合のみ。ベンチに甘んじる時間が続いた。

それでも「自分の負けず嫌いな性格があって小中高とステップアップしたことが今につながっていると思う」と本人は言う。「もう負けたくない」という思いから、北海道コンサドーレ札幌の下部組織に入団。しかし全国大会では負けが続き、「今度こそ」という思いで明治大へとやってきた福田。大学で待っていたのは先輩との競争に敗れる日々だったが、「もう負けたくない」という思いは激しい競争の中でも挫折しない、福田の支えとなった。

今季はキャプテンマークを巻く試合もあった

たどり着いた万能型の境地

先輩たちの影に隠れる日々が続いたが、その背中から学ぶことは多かった。

「学年が上がれば試合に出られるだろうと思っていたら、毎年すごい先輩がいて、どの先輩も特徴やタイプは違うが、どこかが突出していて、自分なりの『明治の2番』としての責任や誇りを持ってプレーしていた。常に(中村)帆高さんだったらここはどうしているとか、この先輩ならこうするだろうけど自分はこうするとか、相手との勝負だけでなく先輩方との勝負でもあると思っていた」

常に先輩たちの姿をイメージし続け、長所を吸収した。その結果、福田がたどり着いたのが、全てを兼ね備えたSBだった。「自分は先輩たちと比べると全部が平均点で、じゃあその平均点を先輩たちに追い付けるくらいまで上げようと思っていた。全部が中途半端になってしまう怖さもあったが、常に誰かをイメージしながらできたことがここまで成長できた大きな要因だと思う」。万能型という理想の姿を築き、偉大な先輩方から「明治の2番」の系譜を受け継いだ。

成長するため、一番の転機となったのが最上級生になったことだった。「3年生までは先輩の背中を追っていた中で、自分が4年生になり、明治の2番を背負って後輩たちから追われる立場になり、これまで通りのシーズンを送ってはいけないと思った」。明治大の象徴となることが求められる最終学年。それまでは先輩たちの姿を目標に誰かを追いかけ続けていたからこそ、チームを背負って後輩の手本となる姿を見せることは、プレッシャーだった。シーズン途中にはけがで離脱したキャプテンの林幸多郎(サガン鳥栖U-18)に代わりキャプテンマークを巻くことも。チームの勝利への責任を一身に背負いながら理想のSB像を追求することで、栗田大輔監督も「一気に成長曲線を上げた」と評するほどの成長を遂げた。

その結果、後期リーグ戦では圧倒的な存在として他大学のSBを凌駕(りょうが)。10月には京都サンガFCへの加入内定も発表され、リーグ戦ではMVPも受賞した。

「自分が下級生の頃に思っていた先輩たちに追いつけるのかなというのを、逆に後輩に『福田さんには追いつけなかったな』と思わせられるぐらい圧倒したい」。インカレの前にはこう意気込みを語っていた福田。自身が明治大を日本一に導く姿を後輩たちに残す。そんな思いが強かっただけに、インカレでの初戦敗退は悔いが残るものとなった。

リーグ戦ではMVPを受賞した

「やるからにはW杯優勝を目指したい」

プロ入りに向けて福田は「まずはJ1優勝を目指したい」と目標を語った。内定先の京都サンガFCは、昨季まで流通経済大でコーチを務めるなど、大学サッカーへの理解が深い曹貴裁氏が率いる、サイドがカギとなるスタイルのチーム。「練習参加の際にこのチームなら自分に合うし、このチームでやりたいと素直に思えた」と、この上ない環境でプロのキャリアをスタートさせる。

「先輩たちに明治では追いつけなかったが、4年間で自分も成長して、ここまでできるようになったというのを見せたい」。Jリーグの舞台では、在学中に背中を追いかけ続けた先輩たちとの対戦も実現。成長を見せつける準備はできている。さらに栗田監督が常に福田と比較し続けたのは、長友佑都(現・FC東京)と室屋成(現・ハノーファー96)。明治大から世界に羽ばたいた2人をも追い越し「やるからにはW杯優勝を目指したい」。史上最高の明治の2番となり、世界の頂へ。福田は階段を上がり続ける。

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