東海大学・山本龍 1年から活躍する盟友に「歯がゆさ」、練習重ねインカレ決勝で対峙
全日本インカレのセンターコート。決勝の舞台に立ったのは初めてだった。
日本一をかけた激闘から2カ月が過ぎ、ユニホームの色は、東海大学の「青」から、内定選手として合流したサントリーサンバーズの「赤」に変わった。今は「もっと試合に出たい」と貪欲(どんよく)に、目標を達成すべく日々、ボールを追いかけている。東海大の主将を務めた山本龍(4年、洛南)が最後の全日本インカレを振り返った。
今でもふと思い出す「あの1点」
「今はサントリーでまた高いレベルの中に置かれ、刺激だらけなのであまり考えることはないけど、それでもふとした時に思い出します。あそこで1点が取れていたら、ストレートで勝てたかもしれなかったな、とか。でもほんと、最後まで必死でした」
2022年12月4日。男子バレーのインカレ決勝は、10年ぶりの優勝を目指す筑波大学と、11年ぶりに優勝すれば春季リーグと東日本インカレとの三冠を達成する東海大が激突した。
第1セットはサーブ&ブロックで筑波大の攻撃を封じた東海大が、25-16で先取し、第2セットも10-6で序盤からリードした。中盤に筑波大が追い上げたが、東海大が引き離し、このまま東海が連取か、と思われた終盤、驚異的な粘りを見せた筑波大が追いつき、25点では決着がつかずジュースに突入した。
2度のセットポイントもブレークが取れず、エースの樋内竜也(4年、崇徳)のスパイクが止められ26-27、この試合で初めて筑波大にリードを許した。直後に1回目のタイムアウトを要求したが、セッターの山本に迷いはなかった。
「結構(ブロックに)止められてはいましたけど、樋内しかないよな、と。エースは樋内やから、止められても攻めるしかないと思っていました」
2本続けて樋内のスパイクが決まり28-27で、再び東海大が一歩リードした。今度は筑波大がタイムアウトを取り、サーバーは樋内。タイムアウト明けの独特な緊張感が漂う中、躊躇(ちゅうちょ)なく攻めた1本はエンドラインを割ってアウトになり、28-28。
このシーンこそが、山本が振り返る「あの1点」だった。
「サーブを入れて、狙った選手にレシーブをさせて(ブロックで)ハメる。そういう形もありました。でもあの場面でその選択肢はなかったので、とにかく攻めよう、と。ここまでずっと僕らは常に攻めるのを大事にしてきたし、アウトになったのも攻めた結果だから仕方ない。でもそこから、筑波の勢いがすごくて、レシーブしたボールがそのままこっちのコートに返ってきたり、前半は止まらなかったブロックにかかるようになったり。ここでそんなんあるんか、というプレーに押されました」
筑波大の主将、垂水優芽(4年、洛南)のサーブから、勢いと流れを持っていかれた。試合中も敵と味方とはいえ、山本はネット越しに目が合うたび、互いに高校時代からの道のりを思い出していた。学生最後の決勝でネットを挟んで戦う状況がうれしくて、思わず笑みを浮かべてしまった、という盟友のサービスエースで28-29とリードを許した東海大は、最後も垂水のバックアタックから29-31。接戦を制した勢いをそのまま持続させられ、3、4セットも失い、筑波大に10年ぶりの優勝を決められた。
周囲の助けで乗り越えたキャプテンの責務
振り返れば3年前、大学1年時は、高校時代ともに全国制覇を成し遂げた垂水と大塚達宣(早稲田4年、洛南)が決勝で対峙(たいじ)するところを会場で見た。ただただ歯がゆくて、自分だけ置き去りになっていることが悔しくて、そこから必死で練習に明け暮れた。コロナ禍で練習どころか大学内に入ることもできずにいた時期も、ウェートトレーニングや個人でもできる練習を地道に重ね、体も一回り大きくなった。
それでもなかなかタイトルには届かず、再開したリーグ戦でも全日本インカレでも味わうのは悔しさばかりだった。4年になり、キャプテンに任命された時はうれしさよりも背負う責務と重さに押しつぶされそうだった。
覚悟を決め、歴代の先輩たちがつけた東海大の「1番」を背負った。苦しいことも大変なことも数えきれないほどにあったが、乗り越えられたのは「全員がキャプテンだと思って戦おう」と常に支え合い、練習中からそれぞれのリーダーシップを発揮してくれた同期の存在。日常生活から上下関係を超えた関係を築き、公私ともに仲良く過ごした後輩、卒業して行ったOBの存在。そして4年間、厳しくも温かく自身の経験を伝え、信頼してくれた恩師の存在があったからだ。
「積山(和明)先生はいつもどっしり、偉大な存在なんですけど、小澤(翔)先生は年齢が近いこともあって僕らにとっては距離が近かったんです。しかも僕らの代は、先生にも自分たちから絡みに行くことが多くて、試合が終わると(小澤)先生はいつも自販機でジュースを買うんですけど、そこに僕と樋内、主務の3人で行って『ありがとうございます』って待っていると、またかよ、とか言いながら先生がジュースを買ってくれる(笑)。そういう距離感ってなかったと思うんですけど、自分らにとってはそれが普通だった。だから今、改めて思うと小澤先生を優勝監督にしたかったな、って。悔しいですね」
一人ひとりに声をかけながらメダルをかけた
決勝の激闘を終えた直後、コートで表彰式が行われた。感染対策として、優勝、準優勝のメダルは役員からではなくチームの選手、スタッフ間で掛け合った。その役割を担った主将の山本は、メダルだけでなく、一人ひとりに笑顔で声をかけた。
「池ちゃん、今日よかったよ。ありがとうな」
「樋内、ナイススパイク。ありがとう」
向かい合う前から涙する同級生と、正面に立つ前から泣き崩れる後輩の姿が見えて、「泣くなや」と声をかけながらも、気づけば自分も泣いていた。
選手だけでなく学生コーチ、マネージャー、スタッフとしてともに戦い、支えてくれた仲間に感謝を伝える列の、一番最後にいたのが小澤監督だった。
「すいません、金じゃないですけど。先生、ありがとうございました」
そして最後の最後、山本の胸に小澤監督が銀メダルをかけた。
「龍、ありがとう。よくやったぞ」
ポンポン、と小澤監督が頭を2度たたいてねぎらった。悔しさと、感謝と、これで最後、という寂しさがあふれ、何度も、山本は両手で涙を拭った。
「日本のセッターは山本龍だ」と言われるように
高校で日本一を成し遂げ、大学でも頂点を目指したが最後は準優勝。インカレ翌週に行われた天皇杯でもVリーグのパナソニックパンサーズとフルセットの大熱戦を繰り広げ、学生バレーに幕を閉じた山本。新たな挑戦の場として選んだのがサントリーサンバーズだった。昨年、一昨年とVリーグで連覇を成し遂げた、まぎれもなく日本一のチームだ。
1月から合流し、なかなか出場機会がない現状に「早く試合に出て経験を重ねたい」と焦りも見せるが、レギュラーチームと試合形式で行うAB戦でも課題と収穫が得られ、加わる刺激が「もっとこんな選手になりたい」と新たなスイッチを押している。
「トスドリルをしていても、まだVリーグで戦う体力がないからしんどいし、トスだけでなくブロックやレシーブもまだまだ。自分が出るために課題はたくさんあるけれど、試合に出たいと思う気持ちがなかったらバレーボールをする意味がないと思うので、その気持ちは絶対忘れたらあかんな、って。セッター、司令塔は攻撃の中心であることを東海大で学んだし、それが自分の強みだと思うので、もっと強気に攻めるところは攻める。サントリーでもっと試合に出られるようになって、近い将来、25歳になるまでには『日本のセッターは山本龍だ』と言われるような選手になっていたいです」
東海大で育み、培われた熱さと戦う心を武器に。山本はこれからもさらなる高みを目指して、挑み続ける。