主将・選手・HC「三足のわらじ」を履き、貫いたチーム理念 広島大・山本草大(上)
昨年12月に行われたインカレ(全日本大学バスケットボール選手権大会)。関東の強豪校がクローズアップされがちなこの大会で、珍しく地方の国立大学生が脚光を浴びた。広島大学の山本草大(そうた、4年、福岡大大濠)。バスケマンガの金字塔「SLAM DUNK」の藤真健司よろしく、主将、選手、ヘッドコーチ(HC)の三足のわらじを履き、少なくとも30年間は達成されなかったインカレ1勝に導いた男だ。
中学時代に全国優勝を果たし、高校は全国屈指の名門校でキャプテンを務めた山本が、関東の強豪でなく地方の国立大に進むと聞いた時は、勝手を承知で「もったいないな」と思った。しかし、この記事の執筆に際して山本に話を聞くと、彼が広島大でしか得られないものを吸収し、彼にしかできないことをやり、その上でしっかりと結果を残したとわかった。
競技環境や強化体制に恵まれ、全国優勝を目指せるチームは全国に一握りしかない。山本と広島大バスケ部の奮闘は、そうではない大多数のチームが目指せる一つの指針を示すものだった。
このチームなら自分の情熱を注げる
輝かしいキャリアを見ると意外だが、山本はプレーヤーとして自身の力量に自信がないという。
「ディフェンスを頑張るとか、プレー中に声を出し続けるとか、先生の考えを察して先回りするみたいなことは、誰にも負けない自信があるんですけど、シュートは入らないし、ドリブルは下手だし、能力もない。いろんな人から『そのキャリアでなんで広大?』って聞かれましたけど、高校時代からプレーには自信がなかったんです」
大学卒業後は指導者としてバスケに関わりたいと考えていた。教員養成の環境が整っていて、コンスタントにインカレに出場できるバスケ部がある広島大はうってつけの進学先だった。
多くの国立大学の体育会がそうであるように、広島大のバスケ部は、競技でなく学業成績で入学した部員が大半を占める。全国大会の出場経験を持つのは各学年1〜2人。県大会すら出たことがないという部員も少なくない。
競技環境もいたって普通だ。
HCはOBの大学院生が1〜2年の持ち回りでつとめ、体育館が使えるのは平日は2時間半、土日が3時間。「前の時間に使っていた部と2分くらいで入れ替わって、すぐにチーム練習。『自主練の時間はないんですか?』って先輩に聞いたら『当たり前やん』って顔をされました」と山本は笑う。
粒ぞろいの実力者が集い、思う存分練習ができた中高時代とはかけ離れた新生活だった。ネガティブな感情を抱いても不思議ではないが、山本は逆にわくわくしていた。部員たちの備える自主性と、努力をいとわない姿勢が何よりの理由だった。
「高3の夏に練習に参加させてもらったとき、しっかり声を出してハードワークして、出た課題を自分たちで解決する先輩方の姿を見て、『このチームなら自分の情熱が注げられる』と何の迷いもなく広大への進学を決めました。実際に入ってみても、やってきた環境は違ってもうまくなりたいという気持ちに大きな差はなかったし、むしろ『学生主体でこれだけやれるって、関東や関西の強豪校よりもすごいんじゃないか』って思ったくらいです」
チームと部員たちが備えている力に、バスケを突き詰めてきた自分の経験と知見が加われば、このチームは絶対にもっといいチームになれる。山本は入学時からそう確信していた。
1年生の頃から4年生に進言
全国トップレベルで幾多の真剣勝負を経験してきた男は、入部直後からアクセル全開だった。プレーの判断が間違っていたり、質が低いと感じたりしたときは、4年生を相手に意見を言い、練習を途中で止めて改善点を伝えた。
「広大生って大人で、脳のキャパもすごいあるので、正しいことを正しく主張すれば、それをきちんと受け止めてくれるんです。『ベンチの仕事をちゃんとしろ』と言われたことはありましたけど、意見をするなとは一度も言われませんでした。今思うと、それって当たり前のことじゃなかったなと」
これから共に過ごす同期たちには、いっそう遠慮なくものを言った。
「自分と違う道を歩いてきた人たちの空気感に無理に乗ろうとしても、本当の意味で仲良くなれないなって思ったので、逆にこっちの世界をどんどん発信してやろうと思いました。1年間は『こいつ大濠から来たからってなんだよ』って思われてもいいから、言いたいことをあえて全部言う。で、4年生になったときに『今お前が言ったことは違うと思う』って言ってもらえるような関係になれたら、きっとチームは強くなっていると思ったんです」
「全力」「礼儀・礼節」「地域貢献」をキーワードに
1年時のインカレでは、初戦で関東の強豪・白鷗大学と対戦した。スタメンのポイントガードとしてプレーした山本は試合後、激しく落胆した。55-91という大敗が理由ではない。
「試合後のミーティングで部員から出てきた言葉のほとんどが『負けて悔しい』みたいなことでした。このチームは素晴らしい力を持っているのに、最後に勝つか負けるかに価値を置いていることに気づいたんです」
勝つから楽しい。これは勝負ごととして当然の考えだ。しかし、勝つことに大きな価値を置くことは、強化体制や競技環境の整っていない地方の国公立大には大した存在意義がないと自ら言っているようなものだ。
山本は納得がいかなかった。
自分たちの意志でハードワークできる部員の姿勢は、全国屈指の環境でプレーしてきた山本が「どのレベル、カテゴリーでも大切なこと」ととらえているもの。また、津々浦々の強豪を知る彼が「このチームなら日本一を目指せる」と強く確信し、全国に広く発信したいと願っていたものでもあった。
しかし、肝心の当事者たちがその価値に目を向けていないのだ。
新チーム始動時のミーティングで、山本は動いた。
「『チーム理念を作りましょう』と提案させてもらいました。チームの存在意義というか、チームとして活動する目的を設定しないと、広大のいいところが伸びないなと思って。先輩たちも必要性を感じてくれました」
「全力」「礼儀・礼節」「地域貢献」というキーワードを盛り込んだ理念は、毎年少しずつアップデートされた。山本が最上級生になる際には、代替わりの約半年前から同期たちと話し合いを始め、以下のようにまとまった。
理念=関わるすべての人と応援し合えるチーム
行動指針=全力・感謝・謙虚・貢献
部員たちは、当たり前だと思っていた自らの取り組みに誇りを持ち、部や大会運営に関わる人々に思いやりをもって接するようになった。広島大に引っ張られ、中国学連に所属する他のチームの雰囲気も変わり始めた。
「こんなに素晴らしい人たちが集まっていて、みんなが一生懸命頑張っている組織は、絶対にもっと評価されるべきだって、僕はずっと本気で思っていた。だから全然大変だと思ったことはなくて、当然やるべきことって感じでした」
山本は軽やかに言った。