陸上・駅伝

特集:New Leaders2023

國學院大・伊地知賢造新主将 「てっぺん」を狙う覚悟と責任を持ち臨むラストイヤー

副将を経て主将になった伊地知。上に立つ責任の大きさを感じている(撮影・藤井みさ)

昨年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝で準優勝。箱根駅伝では4位と惜しくも表彰台に届かなかったものの、強さと存在感を見せつけた國學院大學。2023年度は、昨年度副将を務めていた伊地知賢造(4年、松山)が主将となった。伊地知に主将としての心構え、そしてこれからのチームについて聞いた。

副将となったときから翌年を見すえ行動

伊地知は3年で副将になったときから、次の年を見すえてチームの上に立つことを考えながら行動してきた。前主将の中西大翔(現・旭化成)は物腰やわらかく、誰からも慕われる人柄でチームをまとめていた。性格的に強い言葉を使ったり、注意をしたりなどは苦手なところがあり、その部分を伊地知が補う形でチームを作っていた。伊地知が23年度の主将にはっきりと決まったのは昨年の11月、全日本大学駅伝の頃。前田康弘監督からあらためて伝えられた。

「そのときに、『副キャプテンの雰囲気』じゃだめだなと。より自分も身を引き締めて厳しくやって、みんなが競技に集中できるような環境を作っていきたいなと思いました」。副将はあくまで主将のサポート。主将はその行動や言葉がそのままチームに反映される。そう考えて、上の代が抜ける前から責任感を持って行動するように心がけた。

しかし実際自分が一番上に立ってみると、あらためて責任が重くのしかかってくる実感があるという。「みんなが目指すチームを作っていきたいというのと、みんなが居心地良く、納得できるチームを作っていきたいとは日々考えています。でもやっぱりみんなそれぞれ意見があって、方向性も違うので。100%じゃなく、80、90%をどれだけ多くの人に納得してもらって作っていくかだと思います」

無名校から國學院へ、先輩との練習が転機に

小学6年のときに出場した駅伝大会がきっかけで、中学から陸上部に入った伊地知。「走った分、がんばった分実力がつくのがすごく魅力的だと思いました」と走ることにハマっていった。しかし中2のとき腰椎(ようつい)分離症を発症してしまい、選手生命も終わりか、というまでになった。幸いにまた走り始めることができたが、これが進路選びに大きく影響した。

高校進学時には県の強豪校からいくつか声がかかっていたが、もし選手としてやっていけなくなった時のことを考えると不安だった。勉強も頑張ろうと決め、県内の公立校で一番陸上が強かった県立松山高校へと進学した。

松山高校ではスピードを求めるというよりはロードでの走り込み、駅伝に向けての練習が中心だった。「今思えば、ここでしっかり土台を作れたのは大きかったと思います」。2年生の県新人戦では5000mで優勝、1500mでは5位だったが、インターハイなど全国大会とは無縁だった。國學院を選んだのは、高校時代実績がなくても、日本トップクラスで活躍するようになった選手がいると知ったからだ。高校の顧問の先生を通じて走りを見てもらい、入学が決まった。

コツコツと練習を積み強くなった選手だと前田監督も評価している(撮影・藤井みさ)

伊知地が入学した直後、新型コロナウイルスの影響により緊急事態宣言が出され、グラウンドが閉鎖されて全体練習はなくなった。前田監督は選手たちに自分たちで少人数のグループを作り、練習メニューも考えるよう指示。寮の食堂に集まりチーム決めをしているときに、当時の主将だった木付琳(現・九電工)が新入生の中では一番走れていた伊知地に「挑戦してみれば」と背中を押してくれた。一緒に練習をすることになったのは、臼井健太(現・マツダ)、藤木宏太(現・旭化成)、中西と、チーム内でもトップの実力を持つ3人だった。

「これがターニングポイントだったと思います」。練習メニューは藤木が考えたものを実行していたが、大学の練習に慣れていない伊地知にとっては毎日がキツいの連続だった。3000mのポイント練習で、最後の1000mで20秒も離されることもあった。けがをしないように前田監督とも相談しながら、とにかくボコボコにされながらも食らいついていった。

大学駅伝皆勤賞、悔しさもうれしさも経験

伊地知は現在まで、20年から開催された大学駅伝すべてのメンバーに選ばれている。1年目の全日本大学駅伝は雰囲気にのまれ6区区間10位で、順位も8位からシード圏外の9位に落としてしまった。平常心で走れた箱根駅伝は8区で区間9位。ルーキーのシーズンを終えたあと、「自分が主力にならないといけない」という自覚を強くした。

2年時には出雲駅伝の5区で区間2位と好走。リベンジのつもりで臨んだ全日本大学駅伝はアンカーの8区で区間賞を獲得し、チーム順位も7位から4位に押し上げた。「区間賞を取れたうれしさもあったんですけど、それ以上にチームに貢献できたという手応えがあったので、それがやっぱり一番うれしかったですね」。続く箱根駅伝ではエース区間の2区を任され、100%の力を出したと自分では思えたが、区間12位と他校のエースに歯が立たなかった。

3年時は、5月の関東インカレ2部ハーフマラソンで大学初のタイトルを獲得。7月には10000mの自己ベストも更新した。駅伝では出雲、全日本大学駅伝ともに準優勝、個人でも区間2位だったが、出雲では優勝を見すえた上での2位に悔しさを感じた。対して全日本では1区17位と出遅れからの、全員駅伝での準優勝に「やりきれた」という気持ちが大きかった。箱根駅伝では入学時から走りたかったという5区に配置されたが、全日本大学駅伝後にけがをした影響もあり、十分な準備ができぬまま臨んだ。低体温症ぎみにもなってしまい、区間7位にとどまった。「やっぱり、一筋縄ではいかないなって思いました」

走りたかった区間だったが、箱根の山の厳しさと準備の難しさを感じた(撮影・吉田耕一郎)

駅伝シーズン後にはマラソンに挑戦するつもりだったが、箱根駅伝の疲労が取りきれていない中で走り込みをした結果、右のくるぶしの上部分を痛めてしまったという。「今はまだ、ポイント練習には復帰できていません。ここからけがが癒えたら上げていきたいなと思っています」。前半シーズンは無理せず、夏合宿で走り込みをして、3大駅伝で区間賞を獲得したいと話す。

メリハリを大事に、高め合うチームに

今シーズンのチームスローガンは「てっぺん〜まだ見ぬ赤紫の快進撃」、目標は「三大駅伝表彰台」だ。てっぺんはもちろん、去年達成できなかった優勝を目指すことを表現。「赤紫」は、伊地知が入れたいと考えていたワードだという。「『國學院のたすきの色って何?』って言われたときに、青学だとフレッシュグリーン、東洋だと鉄紺、というようにぱっと出てくる色がないなと思って。学校のカラーが赤紫なので、それを定着させたいと思いました」

目標については、昨年度は準優勝、準優勝、4位とあと1歩で達成できなかったものを、あらためて達成したいと表した。「一昨年、昨年と比べてもチーム力が上がっているので、3番で満足するチームにはしたくないと思います。國學院って、主力が頑張ってあとをつなぐ、というイメージだと思うんですが、そのイメージも崩していけるようなチームにしたいですね」

伊地知を支える副将は平林清澄(美方)と山本歩夢(自由ケ丘)の2人の3年生だ。「一緒に戦って、上を目指す仲間が副将になってくれるというのはすごく頼もしいです。自分の目が届いてないところを見てくれたり、自分じゃ思いつかない言葉をかけてくれたりすることもあって、バランスが取れているのかなと思います」と信頼を置く。

やるときはしっかりやる、メリハリのあるチーム作りでさらに上を目指す(撮影・藤井みさ)

前田監督からも「型にはめるのではなく、自分のチームを作っていってほしい」と言葉をもらっている。木付主将のときは上下関係が比較的しっかりしており、「やるときはやる」という雰囲気だったが、中西主将のときは上下関係が取り払われて、仲間意識の中で「駅伝でチームに貢献したい」という雰囲気が生まれていた。伊地知はその2つのカラーをうまく融合しながら、メリハリを大切にしたチーム運営をしていきたいと話す。

「誰が駅伝を走ってもおかしくない、というぐらい力は拮抗しているので、みんなが高めあってやっていけたらもっといいチームになるんじゃないかなと思っています」。チームの成長とともに、伊地知自身も大きく成長してきた。常に強い責任感を持って行動、競技に臨んできたのだと言葉の端々から感じられた。伊地知が引っ張る新チームを楽しみにしたい。

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