アメフト

京都大学・藤田智ヘッドコーチ 社会人の強豪で積んだ経験生かし、母校復活にかける

HCとしての初戦となった同志社大戦で京大の選手たちに語りかける藤田智さん(すべて撮影・篠原大輔)

すっかり「古豪」という冠が定着してしまった。6度の甲子園ボウル制覇を誇る京都大学ギャングスターズは、1996年を最後に関西王者から遠ざかる。3月1日、その京大に新たなヘッドコーチ(HC)が就任した。OBで富士通フロンティアーズのHCとして4度の日本一に導いた藤田智(さとし)さん(55)だ。日本を代表する指導者の一人である藤田さんの加入で京大は変わるのか。今年の学生フットボール界のトピックの一つだ。

花形のQBで苦しんだ学生時代

4月22日、京都・宝ケ池球技場。同志社大学との「今出川ボウル」では柔和な表情で後輩たちの戦いを見守る藤田HCの姿があった。いいプレーをした選手がサイドラインに戻ってくるときは手を差し出して出迎え、前半終了時のハドルではオフェンス、ディフェンス、キッキングの3部門でハーフタイム中に修正すべき点を端的に伝えた。かつて京大のコーチだったころの様子とはずいぶん違う。20-19で同志社に勝つと、「可能性がいっぱいある。伸びしろしかない」と2023年のギャングスターズを評した。

「京大時代はQBとして活躍」。藤田さんの学生時代を何げなくそう書いた記事をいくつも目にしてきたが、決してそうではない。1986年に京大文学部に入って東海高校(愛知)までの野球から転向し、QBとなったが、2学年上に「怪物くん」と呼ばれた東海辰弥さんがいて、2年連続で京大を日本一に導いた先輩の大活躍を眺めるばかり。3年生からエースとなったが鳴かず飛ばず。けがも重なり「正直、しんどかった」と振り返る。ふてくされて、当時の水野弥一監督とぶつかったこともあった。

18年ぶりに戻ってきた京都で充実の日々を過ごしている

留年が決まって「アメフトはもうええわ」と思っていたら、小中学生のタッチフットを指導していた知り合いに誘われ、練習に顔を出した。子どもたちが楽しそうにプレーする姿を見て、大きく心を動かされた。1991年春の卒業後もチームに残り、オフェンスのコーチとなった。当時は鬼コーチだった。練習でパスを落とした選手を夜中に呼び出し、暗闇の中で捕らせたこともあった。「未熟でした。当時の選手たちには申し訳ない思いでいっぱい」と藤田さんは振り返る。

自転車で25分かけてグラウンドに通う日々

京大で1995年度の日本一を支え、Xリーグのアサヒ飲料へ。ここで初めてHCとして日本一を経験した。再び京大に戻ってオフェンスのコーチをしたあと、2005年に富士通のHCになった。なかなか勝ちきれず、10年かかって14年度に初の日本一。18年度に富士通として4度目の頂点に立つとHCから身を引き、今年2月までディレクターを務めた。

富士通のHCをやめたころはもう疲れきっていて、「もうええわ」と思っていた。京大から「HCとして戻ってきてくれ」と声をかけられても断っていた。しかし去年ぐらいから、「学生のHCならもう一回やってもええかな」と思い始めた。いくつか話をもらった中から、今年に入って京大に連絡を取った。

この春、法政二高(神奈川)アメフト部のキャプテンだった次男の豪さんが法政大に進学。子育てに一区切りがついたのも、決断のきっかけになった。かつてギャングスターズのマネージャーだった妻の佳代さんに相談すると、「生活がちゃんとできるならええよ」と言われた。こうして四条烏丸のマンションでの単身赴任生活が始まった。京大の練習場所である農学部グラウンドまでは、自転車で25分かけて通う。18年ぶりの京都は様変わりしていて、「全然違う街へ来た感じ」と笑う。近所に行きつけの飲食店をつくるために、日々、新規開拓中だ。

QB泉が自らのキープでTDするプレーの前にニヤリ

ラストイヤーのQB泉岳斗をどう生かすか

藤田さんのHC就任は絶妙のタイミングといえる。鳴り物入りで京大へやって来たQB泉岳斗(都立西)がラストイヤーを迎えた。キャプテンとなり、「今年はランもパスもタイトルが取れるぐらいにやって、チームを勝たせたい」と意気込む。泉について藤田HCは「プレーヤーとしてすごいし、頭もいい。なかなかいない素材だと思う」と手放しでほめる。課題については「リスクマネジメントだけですね」と語った。藤田HCがどう泉を生かすかが見ものだ。

社会人2チームでHCを経験して身につけたものを尋ねると、藤田HCは「アメリカ人のコーチと一緒にやって、かなり勉強になった。フットボールの理解力はかなり上がったし、ファンダメンタル(それぞれのポジションにおける基本)を身につけるためのドリルもたくさん教えてもらった」と語った。そして以前の京大コーチ時代のように、やみくもに怒らなくなった。「選手とはトシも近くない。ちょうど自分の子どもの世代だし、どんな感じかは分かってます。子どもと思えば、ちょっと俯瞰(ふかん)できる。選手たちはちゃんと僕を受け入れてくれてると思いますよ」。京大時代の恩師である水野弥一さんは「藤田は選手をやる気にさせるのがうまい」と話している。

京大のエースQB泉は藤田さんの京大時代と同じ17番をつけている

1年生の指導に京大同期の依藤容直さん

指導する上で、自分が考えていることをどう伝えていくかを大事にしようと考えているという。「同じ考えに立ってやってくれる人が必要です。全体の仕組みを作ってしまって、ガーッと押していきたい」。試合中の役割については「いっちょかみでいこうと思う」と表現した。オフェンスコーディネーターを兼任してしまうと、全体が見えなくなる。あくまでHCとしてギャングスターズを率いていく。

京大のHC就任にあたって、大学時代の同期だった依藤容直さんをチームに誘った。進学校の高槻高(大阪)で教諭となり、アメフト部を3度の関西王者に導いた人だ。ほとんどがフットボール未経験者の1年生を指導するフレッシュマンコーチに就いてもらった。「ヨリは高校レベルで関学や立命に勝つことに取り組んで来た。どうやってたのか教えてもらってます。1年生の指導はまさに適任。助かります」と藤田HC。依藤さんは「藤田に頼まれて断れんわな」と笑う。

高槻高校を3度のアメフト関西王者に導いた依藤容直さん退任 商社マンから物理の先生に

京大のHCしては1年目だが、もちろん泉のいる今年が大きなチャンスととらえる。藤田HCは「僕も55歳やし、何十年もやろうとは考えてないんで」。大学時代のあの日、小学生の笑顔に触れなかったら、指導者の道を歩むことも、いまの自分もなかった。あらゆるきっかけをくれた京都で、最後の勝負に出る。

同志社大の橋詰功HC(左)とは酒を飲みながらフットボールを語り合う仲だ

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