中央大学・松岡大聖 関東でルーキー史上初のリーディングWR、成長し続け目指す聖地
大学アメリカンフットボールの春季オープン戦(交流戦)で、5月20日に関西学院大学と中央大学が対戦した。学生王者5連覇中の関学が力を見せ、今季初戦の中大を攻守で上回り、24-13で勝った。関学は攻守にWRの小段天響(大産大附)、CBのリンスコット トバヤス(箕面自由学園)ら1年生をスターターで起用し、若手が活躍。対する中大は、リンスコットと多くマッチアップしたWR松岡大聖(2年、横浜栄)の好プレーが光った。
昨年練習見学に来たリンスコットと再会
試合は第1クオーター(Q)に、関学QB星野秀太(2年、足立学園)が小段にタッチダウン(TD)パスをヒット。中大が1Q終盤にフィールドゴールで3点を返したが、直後のキックオフカバーで関学RB伊丹翔栄(3年、追手門学院)にキックオフリターンTDを決められて引き離される。後半第3Qに関学がFGを追加、第4Qに入り中大もFGを返したが、直後のシリーズで関学RB前島仁(4年、関西学院)に80ydのTDレシーブを決められて突き放された。
第4Q7分、24-6の18点差を追う中大は自陣ハーフライン付近からQB小林宏充(4年、佼成学園)が松岡へ36ydのロングパスを決めて敵陣へ。松岡に連続してパスを投げてTDを返したが、そのまま試合は終了し24-13で関学が勝った。
この冬、大学1年生ながら日本代表候補にも選ばれた松岡が、学生王者相手にどんなプレーを見せるのか。昨季、関東TOP8でリーディングレシーバーとなった男の存在感は、この試合でも出色だった。普段キャッチミスが少ない彼としては珍しくフリーのボールを落球するシーンもあったが、中大のメインターゲットとして活躍。7回のレシーブで86yd獲得は両チームで1位、松岡の高い能力を示した。しかし、本人にとっては満足からは程遠い内容だった。
春の初戦で楽しみな部分もあった。しかし、どこかでこれまでの試合との違いを感じた。
「ビビってたわけではないんですが、やっぱり(関学は)学生王者ということもあって、どこかフィルター掛かってて。よそ行きというか気後れがあれました」
多くのプレーで、トイメンのCBについたリンスコットとマッチアップ。2人は試合の最初に「久しぶり!」と声を交わした。2人が顔を合わせるのはこのときが2回目で、最初はリンスコットが昨年、中大の練習を見学に行った際だった。
「すごくうまいWRの人がいるな」。リンスコットは当時、松岡を見てこう思ったという。試合ではQBからCBに転向して3週間のリンスコットに対し、経験で勝る松岡が多くの場面で上回った。
CBとのマッチアップについて松岡は「プレーコールの勝ち負けはありましたけど、だいたい勝てた」と振り返ったが、終盤に負傷し退場。消化不良の試合だった。「(試合を通して)うまくいったのは2割くらいで、8割方はダメだったという実感です」と反省を口にした。
ひたむきに取り組む姿勢が身についた、家での決まり事
4人きょうだいの末っ子。九つ違いの長男、慶将(けいすけ)さんと八つ違いの修平さん、三つ違いの姫子さんの弟として育った。名QBとして活躍した伯父の秀樹さんと、その弟にあたる父の輝茂さんが日大フェニックス出身だったことに加え、兄2人がフットボーラーだったため、幼い頃からアメフトが身近にあった。当たり前のように、父や伯父、兄と一緒にキャッチボールをして育った。「いつかは自分もアメフトをする」。気づいたらそう考えていたという。
松岡家の教育方針に「やり始めたことは、最後までやりきること」というものがあった。小学校の頃から書道や水泳といった習い事に取り組む中で、友達と遊ぶために辞めたくなったこともあったが、卒業するまではやりきること。これが教えだった。部活をはじめ何事にもひたむきに取り組む姿勢は、このときに身に付いたと松岡はいう。
「あと、身長が伸びるように早く寝かされてました。結果、きょうだいみんな背がでかくなって、スポーツに生きましたね(笑)」
慶将さんと修平さんは横浜南陵高校でアメフトをはじめ、それぞれWRとQBで活躍してともに中大に進学。年子のふたりは高校時から「松岡兄弟」として注目される存在だった。兄とは年が離れているので可愛がられて育ったとおもいきや、聞くと「結構いじめられてました」と笑う。そして「小さい頃は力で勝てないのが悔しくて……。でも、今思うと、この経験が負けん気の強さを育ててくれたのかなと。今こうしてやれてるのも、兄たちのおかげかなって思います」と言った。
「世代が違うので変な言い方ですが、兄は2人で話題になっていたところがあると思うんです。でも、自分は1人でもっと活躍してやろうとずっと思っていました」。兄に負けん気を鍛えられた末っ子は、これを着実に実行してゆく。
高校は兄2人とは違い、姫子さんが進んでいた横浜栄へ。姉からアメフト部顧問の髙橋昭先生が良い先生だと聞いたことが決め手になった。初めて防具をつけて取り組んだアメフトの感想はこうだ。「アサインメントはわからないし、防具は重くて。難しいスポーツだなあ」。それでもボールを捕るのは楽しく、すぐやっていけそうだと思った。長男はWRの技術を、次男はQBの目線でアドバイスをくれた。
公立高校なので部員が少なかったが、下級生からWRとDBとして活躍。攻・守・蹴で出ずっぱりで、ベンチに戻るのはハーフタイムのみ。
高校時代の松岡を見ていた中大の須永恭通(たかゆき)ヘッドコーチ(HC)は、「土のグラウンドでも全部ハンドキャッチで、パスを捕ればTDという感じ。すごい選手だと思いました」と話す。新型コロナウイルスの影響で、例年2年生の冬にある県選抜対抗のオールスターゲームがなかったこともあり、松岡は早い段階で誘いを受けた中大に進学を決めた。
同期のメンバーにも恵まれ、集大成の3年秋には関東大会に出場。人数が少ない中でも奮闘し、ガッツあふれるプレーで活躍した。
当時、横浜栄高校でコーチをしていた花田悠太さんの話だ。「大聖は高い能力を持ちながら素直なのが良いところで、人から何かアドバイスされると『まだ改善できるな』と考えられるんです。高校の時も明らかにトップだったのに、ずっとコーチとルート取りの話とか、相手のカバーの話をしてたのが印象的でした。結局チームが勝たないと楽しくないから、チームで勝つために自分が出来ることを必死にやる。常に挑戦し続ける3年間だったのかなと思います」
中大進学後もすぐに頭角を現し、秋にはルーキーながらWRのエース格として活躍した。フィジカルは未熟だったが、巧みなコース取りとシュアハンドでナイスキャッチを連発し、相手チームの上級生DBを圧倒。シーズンを通して37回のパスレシーブは、関東TOP8のWRで首位。1年生がレシーブ部門で1位になるのは、現行の1、2部制になった1981年以降で松岡がはじめてだった。
初めてだった「自分が一番下手」な経験
コロナ禍が収束に向かった今春、大きなチャンスを掴(つか)む。2020年3月にアメリカ・テキサス州であった日本代表対TSL(The Spring League)選抜以来、3年ぶりに日本代表チームの結成が決まった。IVYリーグ選抜と対戦する「ドリームボウル」の代表候補選手に選ばれたのだ。学生からは12人(うちWRは6人。複数ポジション者含む)が指名された。松岡自身、このことを先輩から送られてきたツイッターのスクリーンショットで知ったという。
「チームメートやコーチ、高校の同期たちから頑張ってこいと応援してもらいました。最年少ということもあったので、たくさん吸収して、思いきりやろう」
日本トップレベルともなると、うまいのは当たり前で「みんな突出した武器を持ってました」。最終メンバーには残れなかったが、国内トップクラスの選手と取り組む練習は学びが多かった。
「自分が一番下手っていうのが初めての経験で、早いうちにああいう場に行けて本当によかったなって思います。周りの誰を見てもまねできる、全部吸収できて成長しかないって。でも、ハイボールの競り合いは通用しました」
2020年の代表でキャプテンを務めた近江克仁(立命大卒、IBM)や、松井理己(関学卒、富士通)らから直接指導を受けることができた。彼らは練習後のアフターの時間も使い、松岡に親身にアドバイスをくれた。
「ダイナミックさがすごい。長いリーチとスピード、力強さがあってあんな選手になりたい」。松岡が憧れと話す松井は、松岡に対して次のようにアドバイスを送る。
「彼が選考から外れてしまった後、グループLINEで『自分のプレーに対してアドバイスください!』と発言していて、すごく素直でいい子だなと思いました。サイズもあってキャッチは間違いなく上手なので、自分の強みを理解した上で迷いなく勝負できる自信と、自分だけのスタイルを身につけてほしい」。松岡には、学生ナンバー1のWRを目指してほしいと松井は言う。
ミスにへこたれず、倍返しする根性
中大で師弟を組む須永HCは、松岡のことをこう話す。
「普通の選手だと、たとえばミスをするとそれで『ダメだった……』と、その日が終わってしまうことがある。でも、彼は絶対に活躍する。ミスにへこたれず、2倍、3倍にして返そうとする。本当に根性があると思います。自分がこうしたい、こうしてほしいということもハッキリと言えますし、コミュニケーションが上手です。WRとしての上手さやファンダメンタルはまだまだですが、一流になる資質がある選手ですね」
自身の現役時代を含め、オンワードや日大、ノジマなどで日本トップレベルのWRを指導してきた須永HCにとっても、松岡のポテンシャルは群を抜いているという。
「大学1、2年生時点ということでいうと、私が見てきた選手の中で一番ですね。同期の梶山(龍誠、元・シルバースター、第1回ワールドカップ日本代表)よりも上です。ただ、たくさんの選手を見てきて、卒業するまで伸び続ける選手というのは本当に一握りだと思うんです。途中で周りに評価されてしまって、成長が止まる選手をたくさん見てきました。だから4年まで伸び続けよう、伸び続けたいって話はしていて。松岡はそういうハングリーさは失っていないと思います」
須永HCは長いコーチ経験で、うまく伸ばしてやれなかった選手もたくさんいたと話す。激しい競争の中、こぼれていく選手を救えなかったことも多かったという。いままでの失敗や反省、見聞きしてきたことを活かしながら、選手とともに成長していく。そのために、今は常にコーチングをアップデートし、選手を引き上げることを大事にしている。
松岡も、須永HCに対して信頼を口にする。
「コーチと選手ですが上下関係がビシっとあるとかではなく、なんでも相談しやすいですね。須永さんから頼ってもらっているというのも感じています。今日も試合中に、相手から見えない場所で話をして、どっちのサイドに入るとか相談したりしていました。良い意味で『お父さん』のような存在で、コミュニケーションが取りやすいです」
厚い信頼関係とともに、素直で真摯(しんし)な姿勢が、2人の話からは感じられる。
自分の成長でチームを引っ張る
中大が中堅を脱却して上位を目指すにあたり、松岡が考えていることがある。それは周囲の環境に変化を求めるのではなく、自分たちから変わって成長していくことだ。
「誰でもいいグラウンドで練習したいし、いい道具を使いたいし、いいサポートをされたいとか色々あると思います。でもそれは選手では変えられない部分もある。自分らで変えられるのは、人の雰囲気。どんな人たちと、どんな練習をするか。先輩がうまければ、後輩もうまくなると思いますし、後輩が『絶対食ってやる』って思ったら先輩も焦ってうまくなると思うんです。こういう変化を作っていきたいです」
変えられる環境を、自分が中心になって作っていく。自分が活躍することでチームを良くする。これが松岡の考える流儀だ。
「今日みたいに負けてる試合は、やっぱりチームの雰囲気が悪くなってしまう。そういうときに状況を変えられる選手になりたいです。『アイツ、まだ2年生なんだ』って言われるような活躍をしたいですね」
松岡が語る言葉には、自分の成長でチームを引っ張っていくという気概に満ちている。目線のその先には中大未踏の聖地、甲子園がある。