横浜栄高の髙橋昭監督、「謙虚さを忘れず根拠ある自信を」公立校の雄に育てる
アメリカンフットボールで神奈川県立横浜栄高校を公立校屈指の強豪に育てた髙橋昭(あきら)監督(59)が今年度で定年を迎える。公立校で唯一出場した秋季関東大会(全国高校選手権・関東地区、9校出場)では初戦の2回戦(11月23日)で決勝へ進んだ早大学院高校に22-35で敗れたが、第4クオーター(Q)に入ってエースWR/SFの松岡大聖(3年)らが奮起。小学3年生からプレー経験があるQB廣瀬壮太(3年)がパスをWR陣に投げ分けて2TDを返すなど、ガッツ溢(あふ)れる追い上げをみせた。
私立2強の壁に挑み続け
横浜栄高は前身の港南台高時代からアメフト部があり、通算すると今年で49年目。ニックネームは「ハイテンションカレンツ」で、旧港南台高のグラウンドの前に建っていた、高圧電線の鉄塔のマークをモチーフにしている。1996年に保健体育の髙橋教諭が港南台高に着任した際、ユニホームとともに一新したものだ。
神奈川県は、長年上位2校が関東大会へ出場していたため、法政二高と慶應義塾高が立ちはだかった。私立2強の壁を越えるため、日本体育大学出身の髙橋監督は全盛期の日本大学ショットガンを参考に、独自のアレンジを加えたプレーを展開するなど、選手のサイズ不足を補う工夫をこらしてきた。2001年秋に初めて念願だった関東大会に出場したが、それ以降もなかなかチャンスはつかめなかった。
髙橋教諭は04年にいったん、横浜立野高へ異動となりそこでもアメフト部を立ち上げた。14年に港南台高と上郷高が統合(09年)した横浜栄高に戻り、再びハイテンションカレンツの指揮をとることになった。共学の公立校で部員数は多くても学年に10人ほど、練習場所も校庭の土グラウンドだ。卒業生がコーチとして戦術面を指導し、大学でプレー経験のあるOBが引退後にサポートに回るなど、選手とマネージャー、OBが一丸となってコツコツとチームをつくってきた。
関東大会の出場権が県3位まで広がった12年以降は関東大会常連校に。卒業後に関西学院大学でエースRBとして活躍した山口祐介らを擁した15年には、秋季関東大会で公立高として初めてベスト4に勝ち進んだ。18年には公立校として初めて県大会で優勝も飾った。
コロナ禍、大学関係者招き生徒みてもらう
20年から新型コロナウイルスの影響で試合数は減った。グラウンドを使った練習時間も90分以内に制限されるなどチーム作りに苦労した。副将を務める松岡は「グラウンドに出られる時間が少ない分、部員同士で話し合ったり、一緒に参考動画を見たりして共通認識をつくることを大事にしました。その結果他のポジションとも話す機会が増えて、相互理解を深めることができた」とアメフト生活を振り返った。
「公立高校なので、色んな子がいる。勉強を頑張りたい子、アメフトが強い大学に進みたい子など様々。だから生徒に『ここの大学に行け』というようなことは一切言っていない」。髙橋監督は生徒の希望に叶う道選びを手助けすることを大事にしている。
今年は、年始恒例の県選抜オールスター戦が開催されず、大学関係者から見てもらえる機会も減った。学生の選択肢を増やせるようにと、各大学に連絡をとり練習を見にきてもらう機会をつくった。髙橋監督は「それで進路が決まった生徒もいるのはよかった」と一息つくように話した。今年の卒業生で、スポーツ推薦により進路が決まった生徒は現在4人。彼らに加え一般入試で進学した選手がアメフトを続けてくれると、指導者冥利に尽きるという。
「卒業生が顔を出してくれることが何より」
教え子の大学での試合には必ず一度は足を運んでいたが、コロナ禍でそれも難しくなった。ときに厳しく指導することもあるが、生徒のことを第一に考えてきた。教え子たちは「自分たちがアメフトに集中できる環境を用意するために学校に働きかけ、やれることは全力でしてくれる」と感謝を口にする。髙橋監督の根底には自身が勝ちたいという強い気持ちがあり、その部分で生徒たちと深くつながってきた。
高校生には、アメフトをする過程で「自分で考えること、決めること、努力を続けること。その結果、謙虚さを忘れずに根拠のある自信をつけてほしい」と願ってきた。教員として、生徒が設定した目標を達成したときと、卒業生が顔を出してくれることが何よりもうれしいと話す。どうやったら生徒が成功体験を得ることができ、成長できるかを常に考えているのだという。来年度以降は未定だが、教諭を続けたいと思っている。
高校アメフトは純粋で、うれしさや悔しさといった感情がわかりやすく試合に出ることが魅力でもある。これからも横浜栄高をはじめ高校アメフト部から大学に進んだ選手の成長を楽しみに取材を続けたい。