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連載:監督として生きる

段階を踏んで人もバレーも成長する、だから中学校の教員に 早稲田大・松井泰二監督2

大学での指導を志すも、大学の恩師の言葉で松井監督(右端)は中学校の先生になった(すべて写真は本人提供)

男子バレーボール関東1部リーグの早稲田大学を率い、昨年の全日本インカレでは3連覇を達成。ユニバーシアード男子日本代表でも監督を務める松井泰二監督(53)。連載「監督として生きる」ではそんな松井監督の現役時代も含め、4回にわたって紹介します。2回目は教員という道を選び、中学校教員として学んだことについてです。

「人のために何かをしたい」と考え、教職へ

もともとは医師になりたかった。看護師だった母の影響を多大に受け、大変な仕事でも人が回復していく過程に寄り添う医療従事者の力がいかほどか。そして寄り添いながら、元気になっていく人をうれしそうに看護する母の顔が「とてもいい顔だった」こともあり、自身も同じ世界に進めないかと考えた。

だが、医学を学び、医師として後々病院を経営していくことまで考えると、様々な壁が立ちはだかる。仕方なく医師の道は断念するも、「人のために何かをしたい」という思いは変わらず、次にはマスコミを目指した。文字や映像の力で世の中を動かす、と大層なことは言わずとも、ドキュメンタリー製作に興味があり、マスコミ就職読本を買ってはテレビ業界に勤める早稲田大のOBを訪ねるなど、現実的に動き出した。影響力の大きさや、1本の映像を作るための労力やこだわり。マスコミに対する興味は変わらなかったものの、別の思いも頭をよぎる。

「メディアの発信力は素晴らしいですよ。僕もスポーツで育てられた人間なので、何かを伝えたいという思いが強くありましたが、同時に、何かを通してではなくその人に直接何かをしてあげたい、伝えられないだろうか、と。ではその濃い密度で関われる関係は何かと考えた時に、『教員になりたい。大学の先生になりたい』と思うようになりました」

成長過程を知るために中学校の先生へ

なりたい将来が定まり、目指すべき場所へどんな道をたどるか。早稲田大を卒業後、そのまま研究室に残るのが最も一般的であろうと考えたが、恩師から返ってきたのは意外な言葉。そして、その一言が、松井監督の指導者人生を大きく変えるひとつのポイントでもあった。

「『大学の先生を目指すからといって、いきなり最初から大学の先生になればいいわけじゃない。子どもたちには成長過程があって、当たり前のように大人になっているわけじゃない。その過程を見て、知った上で大学の先生になりなさい』と言われたんです。僕はもともと本が好きで、学生と関わりながらひとつのことを追求してみたいと思って大学の先生を志したのですが、そうじゃないだろう、と。それならば、と思い教員採用試験を受けることになり、せっかくなら(教員採用試験は)高校ではなく中学校を受けよう、と。それで受けたらたまたま受かった。そこからが始まりでした」

成長する学生たちの側で、松井監督(左から3人目)も指導者として日々、学びを得ていた

中学校の教員として最初に赴いたのは、母校の市川市立第八中学校(千葉)。体育の教諭として授業を持つ傍ら、ALT(外国語指導助手)の男性が英語を教えてくれたおかげで、体育の実技や保健体育の授業だけでなく英語の授業を持っても支障がないレベルまで英語力も鍛えられた。バレー部の顧問としても、自らの経験を生かした基本を重んじる指導により力をつけ、県大会に出場するレベルまで引き上げた。

段階を経て指導、子供たちに成功体験を重ねさせる

そして振り返れば自身の中学時代と同様、ここでも奇縁が重なった。県総体で2位になり、関東大会へ出場。2回戦で優勝候補の大本命である駒形中(東京)と対戦した。当時の駒形中のエースを務めたのが、現在、駿台学園高男子バレー部監督の梅川大介氏。今も互いに高校、大学の指導者としてバレーに携わり、駿台学園の卒業生が早稲田大でプレーするなど、縁の深い間柄ではあるが、当時は対戦相手の監督とエース。その時のことを今でもよく覚えている、と松井監督が笑う。

「うちの選手たちは、身長が高い子はそろっていたけれど中学からバレーを始めた子たちばかり。みんな思いっきり高いところから打つ、ぐらいしかできないのに、当時の梅川くんはバレーをよく知っているし、フェイントとかタッチアウトが上手でね。うちの選手たちは『何が起こったんだ?』と呆然とした顔をしているんです(笑)。15点制で7、8点しかとれなくて瞬殺されましたが、そういう経験の一つひとつがつながって、鍛えてもらいました」

今も時折、当時の駒形中を率いた日笠智之監督から「中学生の強化のために(大学生と)練習試合をしてほしい」と依頼を受けることもあるが、「いつでもいい」と快諾すると本当にいつでも来る、と松井監督は笑う。「当時駆け出しだった僕は、たくさんのことを教えてもらいましたから。梅川先生の高校から選手も来てくれるようになって、つながりがあるのは本当にありがたいこと。まだまだ恩返しにもなりませんね」

小学生からバレーを始めた選手もいれば、中学生からスタートする選手もいる。体の成長期でもある中学生への指導は「基本」に重きを置くことはもちろん、松井監督の中で最も大切にしてきたことは何か。

「これは今、早稲田でも同じことなのですが、『うまくさせる』『できるようになる』ということです。最初はみんなできないところからスタートしますが、そのままではつまらないですよね。でも自由にやらせる中で、『その動きはもうちょっとこうしてみたらいいんじゃないの?』とプレーの構造を易しい言葉でかみ砕いて落とし込む。そうするとできるようになるんです。できなかったことができるようになれば、次はいかにして達成感を味わわせるか。ハードルを一気に上げるのではなく、ひとつずつ、これができた、今度はこっちもできた、しかも試合でできた、と成功体験を重ねていけば、自ずと選手が次のことにチャレンジしようと考え始めるんです。それは選手だけではなく僕も同じで、指導者としてキャリアがないから、優れた指導者の方々がどんなことを教えているのか。実際、足を運んで教えてもらう。大人も子供も背伸びしたくなりますが、今の段階はどこにあって、自分は何者かを知ることが、一番大切なことだと思います」

2つの中学校で指導し、いよいよ大学へ

目の前の生徒たちと向き合い、さらなるレベルアップを求め、指導者としても学びを続ける。その成果は着実に現れ、市川八中と同様に初心者ばかりの2校目でも県大会優勝。バレーだけでなく、教育者としても教科書から学ぶことのみならず、エイズの予防教育や生徒指導にも積極的に携わりキャリアを重ねた。

少しずつ段間を踏んで選手たちを鍛える。その節目で選手自身が達成感を得られるような声かけにも、松井監督(中央)は気を配った(写真はJOCジュニアオリンピック千葉選抜のスタッフ時のもの)

1校目を終えた時点で、「中学生が分かったので(大学の)研究室に入れてほしい」と大学時代の恩師に嘆願した時は「まだ早い」と断られたが、2校で指導した実績と経験を経て、ようやく前進。念願だった大学で教鞭をとるための準備として、まずは大学院へとスタートを切る。だがここでもまたいわゆる“普通”とは違う、新たな刺激と学びの機会が待っていた。

監督として生きる

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