「最強早稲田」と言われる今、選手の可能性を広げるために 早稲田大・松井泰二監督4
男子バレーボール関東1部リーグの早稲田大学を率い、昨年の全日本インカレでは3連覇を達成。ユニバーシアード男子日本代表でも監督を務める松井泰二監督(53)。連載「監督として生きる」ではそんな松井監督の現役時代も含め、4回にわたって紹介します。最終回は早稲田大で指導する今についてです。
意識が低かったチームに「受け入れる」大切さを伝え
自由を重んじ、個を尊重する。松井監督が2012年に早稲田大男子バレー部コーチに、14年に監督就任後、早稲田大は「人」を育てるだけでなく、なおかつ春、秋リーグや全日本インカレを制する強い集団へと進化した。目先の結果だけでなく、勝ち続けることで評価だけでなく高校生からの関心も高まり、「自分も早稲田でプレーしたい」と望み、入学を希望する選手も増えた。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、今季は春季リーグや東日本インカレが中止となり、まだ試合の機会はない。だがルーキーには水町泰杜(たいと、鎮西)や荒尾怜音(れおん、同)、伊藤吏玖(りく、駿台学園)など高校時代に全国の舞台を沸かせた面々もそろい、早稲田大の新戦力として期待は高まるばかりだ。他校からは多少ならずの嫉妬も含め「あれだけ選手がそろえば勝てて当然」と見られることもあるが、勝負の世界はそれほどたやすいものではなく、振り返ればコーチとして2年、監督として6年、松井監督が歩んできたこれまでの8年も、平坦なものではなかった。
コーチとして就任したばかりの頃、当時のチームはまだ2部から1部に昇格したばかりで、最初の春季リーグは2勝7敗。結果だけでなく、バレーに取り組む意識も浅く、喫煙している選手や、練習直前までカップラーメンを食べている選手もいたほど。新参者のコーチに対しても、学生からは「どうせ何かが変わるわけではない」とか「俺はこれだけキャリアがあるんだから本当はできるけれど、お前は何ができるんだ」という目が向けられる。そんな学生に向け、松井監督がまず説いたのは「受け入れる」ことだった。
「日中平和友好条約を結んだ際の周恩来首相を例に、それまでは絶対に日本を受け入れることのなかった中国の首相が否定せずに受け入れた。その結果どうなったか、という話をしたんです。君たちは高校までやってきたことがあって、こんな練習は無駄じゃないかと思うかもしれないけれど、この練習にはこういう目的がある。練習方法は様々で、絶対にこの方法でなければ駄目、というものはなく、大事なことは目的を明確にしてできるかどうかだよ、と。ひとつの方法しか知らなければ、違う方法に対して違和感が生まれるし不安を覚えるのは当たり前ですから、そうじゃない、まず松井を信じて受け入れてみようよ、という話は散々しましたね」
準決勝で敗れた4年生たちの涙を見て
効果は驚くほどのスピードで現れ始めた。コーチ就任1年目の12年秋季リーグは6勝3敗と勝ち星を大きく伸ばし、全日本インカレは3位。その翌13年、早稲田大は秋季リーグで27年ぶりの優勝、そして61年ぶりとなる全日本インカレ制覇をなし遂げるのだが、松井監督にとっても「忘れられない」と振り返るのが、コーチ1年目の全日本インカレで3位に入った代の4年生たちの姿だ。
高校時代にキャリアを擁する下級生と比べ、4年生たちは高校時代に全国大会へ出場しても、上位進出を果たすほどの選手はいない。だが、それでもコツコツ練習を重ね、どうなればチームとしてもっとうまく回るのか。日々悩みながらバレーと向き合う最上級生の中心が、主将でセッターの伊藤康宏。責任感が強く、正セッターの座は譲ることになっても、縁の下の力持ちとしてチームのために献身的に尽くす選手だった。決してエリートではなかったが、真摯にバレーと向き合う。その結果、最後の全日本インカレで準決勝まで勝ち進むも、柳田将洋(現・サントリーサンバーズ)を擁した慶應義塾大学に敗れ、3位決定戦へ。
それまでの4年間を振り返れば十分立派な成績だ。満足して翌日の3位決定戦に挑もうとしているのかと思いきや、4年生を見ると、みな泣いていた。本気で勝ちたい、勝てると思って臨んでいたからこそ流す悔し涙を見て、当時コーチだった松井監督は胸が潰れそうな思いになりながら、翌日の試合に向け、4年生を鼓舞(こぶ)するために会場となったとどろきアリーナ近くの武蔵小杉駅前のお好み焼き屋へ誘い、お好み焼きをたらふく食べた。
「最後だから開き直ってやろうよ、データだけはちゃんとそろえるから、って。相手はエリートぞろいの専修大でした。だからとにかく最後は楽しく終わってくれればいいと思っていたら、勝っちゃうんですよ。その姿を見た後輩のやんちゃ軍団は『俺たちもやれる』と思ったんでしょうね。いくつもポイントはありますが、本当のターニングポイントはそこ。ちょっとずつ、ちょっとずつでも人は変われる、と僕が学ばせてもらいました」
コロナ禍で「当たり前ではない」と知った今だから
小さな変化が積み重なり、そこに結果もついてくる。知らぬ間に「強豪」とか「常勝軍団」と呼ばれるようになったが、どんな状況にあってもその時々、越えなければならない壁はあり、問題も課題も山積している。
どれほど連勝を重ねてもそれが「勝たなければならない」とプレッシャーになれば、力を発揮することすらできず敗れることもある。さらに言うならば今年度のように、ウイルスという未知なる敵の前に、試合ができないまま終えてしまうのではないか。そんな漠然とした不安を抱く選手も決して少なくない。いかなる状況でも、指導者にできること、やらなければならないこととは何か。松井監督はこう言う。
「どれほど一生懸命練習しても、しなければならない、と思っていたら選手は何もできないんです。だからそれを取って上げるのが僕の仕事であり、今年のチームに関して言えば全日本インカレの組み合わせが決まったとしても、もしかしたら前日になって大会中止という事態もあるかもしれない。色々な可能性が考えられます。でも、だからこそ大切なのは、自分たちができる準備をして、自分を鍛えることに特化しよう、と。それは勝つためではなく、もうひとりの自分に勝つ。今までは試合ができることが当たり前だったのに、それすら分からない。こんな苦しい状況はありません。ならば一つひとつを大事にしながらゆっくり一歩一歩踏んでいくべきだと思います。(全日本インカレ)3連覇ももはや過去。これだけ試合ができないわけだから、ハンディがあるわけではない代わりに、プレッシャーもないんだよ、というのはZoomを使ったミーティングで何度も話をしてきました」
選手に対して過度なプレッシャーはかけない。それが松井監督の大原則であり、求めるのは「今」の成績ではなく、これからどうなりたいかという「未来」。
「学生たちって若いでしょ。若さってめちゃくちゃ可能性があるんです。だから夢をいっぱい語ってほしい。外に目を向けて、垂直思考ではなく水平思考で物事をとらえ、今まで考えられなかったようなこともどんどんアイディアとして出してほしいですね。今の時代、リモートが主になっていますが、絶対キーになるのは人なんです。人を育て、人から何かをもらって、人の良さを確認する。改めて人と向き合う時代だと思います」
若い人が飛び立てるように整えるのが僕らの役割
秋季リーグに向け、各大学が限られた練習環境で鍛錬を重ねているが、授業の大半がリモートで、中にはまだ全体練習ができていないチームもあり、今後の感染状況も含め、先のことは誰にも分からない。情報共有も兼ねてリモートでの監督会議も行っているが、リスクを考えれば「(大会開催は)やめた方がいいのではないか」という意見も挙がるが、いかなる状況でも、「経験させることを諦めては駄目」と松井監督は言う。
「若い人たちにないのは経験。だから、経験のある年寄りは彼らに経験をさせないといけないんです。大会もやらないといけないし、自信もつけさせないといけない。その安全を守るのが我々の仕事で、僕らの役割は環境を整えることです。若い人が飛び立つまでは滑走路をいっぱい掃除して、長い距離をつくってあげて、落ちないようにメンテナンスしてあげる。可能性はたくさんありますから。それを広げる作業が、楽しいんですよ」
苦しい時こそ前向きに。先を走るのではなく、伴走者として学生たちに寄り添う。自らが重ねた経験を、夢あふれる若者へ伝え続ける。その日々はきっと、「最強早稲田」を強固にするだけでなく、バレー界の明るい未来へとつなげられていくはずだ。