水泳

連載:監督として生きる

ライバル校に勝つために編み出した独自の強化策 新潟医療福祉大・下山好充監督2

下山監督(右)は創部してすぐに、短期、中期、長期で計画を立てた(写真は本人提供)

新潟医療福祉大学水泳部は2005年に創部し、今では日本代表選手も輩出するまでになりました。ゼロからチームを作り上げた下山好充監督(49)は、日本代表チームのコーチとしても活躍しています。連載「監督として生きる」ではそんな下山監督の現役時代も含め、3回にわたって紹介します。2回目は新医福大でスタートした監督としてのキャリアを追っていきます。挫折からはい上がるために打ち出した強化策の方向転換が、結果的にチーム力の向上につながり、当初の目標を達成する力となったお話です。

インカレで味わった7年連続0点という挫折

05年の創部当初、下山監督は全くのゼロからのスタートながら、試行錯誤しながら指導する日々は楽しかった。しかしながら、水泳だけではなく、多くの大学スポーツは関東圏に強い選手たちが集まる傾向にあった。当時は今以上のその傾向が強かった。そういう中で、新潟という環境を軸に、関東圏の大学とどう戦っていくのか。どうやって全国大会で活躍できる選手を育てていくのか。まずは戦略を練った。

「創部時の目標は、短期、中期、長期で計画を立てました。短期では2年で全国大会入賞者を出す。中期は4年間でインカレのシード権獲得、全国大会で表彰台獲得。長期では10年で日本代表選手の輩出、と考えていました」

短期の目標は、1年目でインカレの決勝進出者(松金祥子・女子200m自由形)を出すことができ、すぐに達成できた。その勢いで中期、長期も、と思っていたが、そうは問屋が卸さない。下山監督を絶望にまで追い込むほどの長い氷河期が待っていた。「創部2年目から男子選手もたくさん入部してきてくれました。女子も男子も少しずつ部員が増えてきてくれて、さあこれから、と思っていたんですが、男子は創部から7年間、インカレ0点だったんです」

これはさすがに堪えた。この間、日本選手権に出場した選手もいたし、県大会では決勝に進めるような記録を出せる選手もいた。しかし、インカレでは得点が取れない。シード権獲得を目標に掲げてやってきた自分の指導が間違っているのか、チーム作りが間違っているのか。悩みは尽きなかったという。

「インカレで男子は午後の決勝の時間、誰も泳がないわけです。でもほかの大学は、決勝に向けて準備をしたり、応援したり。そういうのを見れば見るほどつらかったですね。指導は向いていないのかな、自分には無理なのかなって。そんなことばかり考えていました」

個人の強化がチームの強化につながった

しかし、だったらなぜ新潟に来たのか。自分がやりたいこと、チャレンジしたいこと、それを実現できるチャンスをもらえたから新潟に来たのではないか。自分のことを信じて監督に推してくれた大学のためにも、ここで自分が折れるわけにはいかない。

そう決意した下山監督は、考え方の方向転換を行った。関東圏で常に上位で戦う大学と同じことをしていても結果は出ない。自分たちの大学としての特色、つまり新医福大独自の強化方針、強化策を打ち出すために行動を開始する。

今まではチーム全員で合宿に行ったり、県内の長水路(50mプール)を使って練習をしに行ったりしていた。これをやめて、チーム独自の標準記録を設定し、チームをふたつに分けて、定期的に長水路の練習に参加できるグループをつくることにした。「日本選手権や(日本選手権よりも少し参加標準記録のレベルが低い)ジャパンオープンに出場または入賞を狙うグループと、インカレ出場を目指すグループですね。細かい数字を言えば、ジャパンオープンの参加標準記録の+1%のタイムを標準にしました。部員の多くが、もう少し頑張れば手が届くというタイムです」

さらにもうひとつ、海外合宿に参加できるグループも作った。これは長水路での日本選手権の標準記録突破者とした。なお、競泳日本選手権の参加標準記録は短水路(25mプール)の記録と長水路の記録に分かれている。

「簡単に言えば、50人で使っていた強化費を5人や10人に絞って使うことができる。そうすると、今まで以上にいい練習環境を作り上げることが可能になったわけです」

下山監督は、インカレシード校を狙うのではなく、代表選手を作り上げるための施策をとったのである。

大学でチームを率いる以上、目指すのはインカレのシード権だと決めつけていた。しかしインカレのシード校になるには、得点を稼がなくてはならない。そのためには優勝者ひとり出すよりも、決勝に2人、3人残る選手を育てた方がいい。人数を集めるのは関東圏の大学の方が有利。同じ土俵で戦うのは、不利に決まっている。一方で代表選手を輩出するには、もちろん簡単ではないが、たくさん人を集めることなく、今いる選手たちをとことん強化していけばいい。それなら、場所は関係ない。「シード校よりも、日本代表を狙うようなチームがあってもいいんじゃないかと思ったんです。もちろんシード校も狙うけれど、まず先に代表選手を作ってもいいじゃないか、と」

佐藤(右)のような新医福大で育った選手が結果を出し、それがリクルートにもつがってきた(写真は本人提供)

その強化策は見事に的中。松井浩亮や水沼尚輝、佐藤綾(3人とも現新医福大職員)といった代表に入れる選手が現れ始める。それと同時期に、高校から全国レベルで活躍してきた将来有望な選手たちの入部数も増え始め、19年のインカレでは深澤舞(現4年、黒磯南)が200m平泳ぎで優勝を果たすなどの活躍もあり、女子総合7位で初のシード権を獲得。創部から15年目の快挙であった。

全国で優勝争いを繰り広げ、選手が育つ強豪校へ

創部当時の短期、中期、長期の目標を結果から言えば、達成できたのは短期目標のみ。中期目標に掲げていたシード権獲得は実際には15年、全国大会表彰台は10年。長期目標に掲げた日本代表輩出は、ユニバーシアード大会で11年、世界選手権には15年の歳月を費やした。ただ、時間は当時の想定よりも長くかかったかもしれないが、目標をきっちりと達成できるチームを作り上げたのである。

「改めて振り返ってから期を分けて見ました。苦しい時期の7年間を第1期。その後、強化の方向転換を図り、松井、佐藤らが入学してチームが徐々に強くなってきた2016年までの4年間を第2期と分けました。そして、2020年シーズンまでを第3期と位置づけて、第2期に行った強化策のレベルをさらに上げるように取り組んでいます」

今は平泳ぎの深澤に続き、バタフライの田中優弥(4年、前橋育英)に、インターハイで5冠を達成した大内紗雪(1年、日大藤沢)といった有望な選手たちが多く在籍。突出したトップを作り上げる強化を行ったことによって、結果的にチーム全体のモチベーションアップにつながったばかりか、「あの選手を輩出した大学で戦いたい」という選手も増えてきた。

「代表輩出という目標は第2期に達成しました。次は当然、世界大会でのメダル獲得。それを一番の目標として第3期の今、強化に取り組んでいます」

水沼は100mバタフライで19年の日本選手権を制し、同年のFINA世界選手権では9位だった(撮影・朝日新聞社)

昨年10月、コロナ禍の中で行われたインカレでは、2年連続シードを目指した女子は惜しくも9位でシードを逃してしまったが、深澤は200m平泳ぎで連覇を達成。男子は100mバタフライで田中が優勝を果たすなど、過去最高タイとなる総合12位となった。7年間、インカレで0点だったとは思えないほどだ。

今やインカレで上位に食い込むことが当たり前、シード権争いをするのが当たり前になるほどの強豪校へと変貌を遂げた新潟医療福祉大学。そのきっかけは、下山監督のひとつの挫折から始まったのである。

監督として生きる

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