陸上・駅伝

つくばマラソン優勝、一橋大学大学院出身・佐々木海「日本一マラソンの速い弁護士に」

「日本一マラソンの速い弁護士」を夢に掲げる佐々木海(写真はすべて本人提供)

「日本一マラソンの速い弁護士になりたい」。佐々木海(かい、25)は将来の夢を語る。2022年11月のつくばマラソンに出場し、2時間26分27秒で初優勝を果たした。今年3月に一橋大学大学院法学研究科法務専攻を修了し、7月に司法試験を受験した。11月に結果が発表される。高いレベルで文武両道の実現を目指す佐々木に、これまでの競技人生や今後の目標について聞いた。

中学時代、野球から陸上に移行

佐々木は、埼玉県出身。2歳上の兄の影響で小学3年から中学3年まで野球を経験。ポジションは投手と遊撃手などを務め躍動した。小学校では「中心にいるタイプ」で、キャプテンを任されチームをまとめあげた。中学校では、体が小さかったため、野球よりも陸上の方が向いていると感じ、中学3年の6月の野球部引退を機に陸上に移行した。

小学1年の頃から毎朝走るのが日課だった。「速く走れるようになりたい」と練習を重ね、小学校のマラソン大会でも優勝できるほどの成長を遂げた。中学3年秋には地元の大会に5kmの部で出場し、入賞する活躍を見せた。「陸上は走れば走るほど結果が出て楽しかった」と思い出す。

野球少年としてはつらつとしたプレーで存在感を放った

高校で文武両道を目指す

高校は大東文化大学第一高校に進学した。東京の高校に通えること、陸上で都内上位の成績を残していることに魅力を感じた。佐々木は、勉学にも長(た)けていたため、特別進学コースに在籍し、文武両道を目指した。

陸上部は平日の朝と放課後、週末も練習があった。練習後は予備校へ通い、移動時間や大会の待ち時間の隙間時間も利用し、勉強に励んだ。他の人たちに「負けたくない」と闘志を燃やしていた。

高校3年の時には、キャプテンを務め、「成長していくチームをまとめるのが楽しかった」と、走り以外でも選手たちを鼓舞し続けた。高校最後のレースとなった11月の東京都高校駅伝では、6区区間5位と健闘するも、チームは8位に終わり、上位6チームが進める関東大会への出場を逃した。

「3年間で一度も関東大会に出場できなかったことは悔しかった」と佐々木。「チームは良いチームにできたが、走るのが苦になってしまった」と高校時代を振り返った。

高校最後の駅伝で健闘した

「箱根に出場したい」

1年間の浪人を経て、一橋大学法学部に入学した。浪人中も自主練習を怠らず、日曜は10km走るようにしていた。入学後は、「箱根(駅伝)に出場したい」と、迷いなく陸上部を選んだ。一橋大学は津田塾大学と合同練習しており、総勢60~70人で活動している。色んな人の価値観に触れたことで、「陸上に対する考えが変わった」と話す。「走れる時は走れる、走れない時は走れない」と気持ちを振り切れるようになった。

また、1974年アジア大会男子10000mを制し、京セラ陸上競技部の初代監督などを務めた故・浜田安則(やすのり)さんとの出会いが自分を変えてくれたという。浜田さんは外部コーチとして佐々木を指導してくれた。

「自分のできる範囲で、決して無理はしない」「8割を積み重ねる」ことの大切さを教えてくれたという。

その教えを胸に、佐々木は大学1年時から箱根駅伝予選会に出場し、チームトップで駆け抜けた。同年12月の日体大記録会でも10000mで自己ベスト更新し、波に乗った。大学1年時の終わりにひざのけがをするも、「ポジティブ思考」で復帰まで粘り強く回復に努めた。大学2年時も箱根駅伝予選会に出場し、チームトップの活躍を見せ、5000mでも自己ベストを更新した。

一橋大学では長距離ブロック長としてチームをまとめあげた

海外ドラマをきっかけに弁護士を志す

箱根予選会後に、長距離ブロックの長に就任。「組織の真ん中でチームをまとめたい」と、リーダーとしての任務にも勤(いそ)しんだ。

大学3年時の2月に神奈川ハーフマラソンで好記録をマーク。順調に記録を伸ばしていたが、新型コロナウイルスの影響で、大会が延期や中止になる日々が続いた。だが佐々木はコロナ禍でも普段通りの練習メニューを崩さずに取り組んだ。

学生最後の箱根駅伝予選会は、チーム3番目でゴールするも、箱根への道は叶(かな)わなかった。「学生連合を目指していたが、かすりもしなかった。色んな経験をした4年間だった」と総括した。

弁護士を目指したのは、「SUITS/スーツ」という弁護士をテーマにした海外ドラマにハマったことがきっかけだった。大学2年の終わりから司法試験の勉強を開始。「周りにも心配されましたが、決意が固かったです」と話し、大学院の進学への試験も同時進行で計画を立てて取り組んだ。

大学2年時の箱根予選会でチームトップの快走を見せた

練習の成果が出たつくばマラソン

無事、一橋大学大学院法学研究科に合格。他の大学院の合格をもらっていたが、環境を変えたくなかったため、同大学院への進学を決めた。当時陸上部はなかったが、「勉強でも陸上でも本気で取り組みたい」と熱い思いがあり、自ら陸上部の発足に尽力した。関東学連にも承認をもらい、正式に「一橋大学大学院陸上部」をつくった。

大学院ではマラソンに挑戦した。高校で1学年下の後輩だった寺田健太郎が、さいたま国際マラソンで優勝したことに影響を受け、意欲が湧いた。

初マラソンは大学院1年時の2月に行われた大阪マラソンだった。けが明け約3週間の調整で挑んだが、約30kmで異変。「前半ペースを上げすぎて後半は目も当てられないくらいふらふらになった。距離を追い求める練習を行っていたので、動きが悪くなっていた」と、不甲斐(ふがい)ないレースを反省した。

2回目は、大学院2年時の8月にあった北海道マラソン。「中盤きつくなる時があったけど、抑えて最後まで元気に走れた」と自信をつけた大会になった。3回目は11月のつくばマラソンで、東京マラソンにエリート枠で出場できる、2時間20分に目標タイムを設定した。

レースはスタートから先頭のペースが上がらない。佐々木は序盤集団を引っ張ったが、約4kmで後ろに下がり体力を温存した。25km付近で順位狙いに切り替えて前に出た。「調子に乗って上げすぎると後半痛い目を見る」と過去のマラソンの経験を踏まえ、ペースをコントロールしながらレースを展開した。そして2位に約1分半の差をつけ初優勝をつかんだ。「素直にうれしかったです」。練習の成果が存分に出せた大会になった。

22年11月のつくばマラソンで初優勝を飾った

それから4カ月後、学生最後のレースとなった3月の学生ハーフマラソンは1時間8分48秒でゴールした。「約6年間で学んだことを出せたレースだった。勉強でも陸上に対しても一橋での経験は、自分を変えてくれたきっかけになった」と充実の約6年間を振り返った。

ウルトラマラソンにも挑戦したい

司法試験は7月12~16日に行われ、水曜と木曜、土曜に論文、日曜に短答式の試験があった。「当日はひたすら問題を解いているので体がバキバキになった」といい、試験がなかった金曜は走りにいった。「とにかくマイナスなことを考えないように過ごし、常に平常心を意識した」と話す。

口にするのは家族への感謝。予備校代、参考書代、大学院の学費などをサポートしてもらった。「家族がいなかったら、今の自分はいない。将来は弁護士としてお金を稼いで、おいしいものを食べさせてあげたり、旅行に連れて行ったり、恩返しをしたい」と話した。

自身を変えるきっかけとなった6年間だった

陸上も続けており、11月末のつくばマラソンに出場し、2連覇を目指す。「来年はウルトラマラソン(100km)にも挑戦したい」と自身の成長を貪欲(どんよく)に追い求めていく。

競技と勉強の両立に悩む人に向けて、「頑張りすぎない、できる範囲で継続していくことが大切」とアドバイスした。

何事もコツコツと続けて、結果を出してきた。現状に満足せず、常に次の目標を掲げる佐々木の今後の活躍に期待したい。

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