東日本国際大・大山凌 「2季連続防御率0点台」でも得られなかった自信、今は確信に
大学野球界において地方のリーグからプロの世界に進み、スターと呼ばれるような選手が生まれるケースは珍しくなくなってきている。今秋のドラフト候補にも地方リーグでプレーする逸材が多数おり、東日本国際大学の大山凌(4年、白鷗大足利)はその一人だ。最速153キロを誇る直球が最大の武器で、カーブ、スライダー、カットボール、スプリット、チェンジアップ、ツーシームと6種類の変化球を操る右腕。全国的に知名度が高いとは言えないリーグで、実力を磨いてきた。
大学で成長、リーグ戦では無双状態
栃木県で生まれ育ち、高校は県内の強豪・白鷗大足利でプレー。当時から最速142キロと速球が持ち味で、2年秋には背番号「1」を背負ったものの、高校3年間で目立った実績は残せなかった。
「高校生の頃は全然実力がなかったので、プロを目指して大学に進んだわけではありませんでした」。幼少期からぼんやりとプロ野球への憧れを抱いてはいたが、明確な目標になるまでには時間がかかった。
東日本国際大が加盟する南東北大学野球連盟は、同じ東北の仙台六大学野球連盟、北東北大学野球連盟と比べるとNPBに輩出した選手の数では劣る。東日本国際大の出身者では、2018年に埼玉西武ライオンズからドラフト4位指名を受けた粟津凱士投手が初のNPB選手で、その後2人を輩出している。
大山は1年秋からリーグ戦で登板し、2年秋は防御率0.36、奪三振率9.59。3年春は防御率0.35、奪三振率10.38と圧倒的な数字を残した。特に3年春は名実ともにエースとなり、優秀選手賞、最多勝利投手賞、ベストナインに輝く活躍ぶり。2年冬からウェートトレーニングを強化したことで、球速も大きく向上した。
それでもなお、確固たる自信は持てなかった。大山は「正直に言うと、南東北は全国的に見るとレベルが高くない。どうしても東京の方の大学と比べられてしまう。リーグ戦で結果を残しても意味がないと言ったらおかしいですけど、全国でどれだけ通用するか、その時点では分からなかった」と話す。
「全国で通用」証明した圧巻の3勝
心境が変化したのは昨年6月。全日本大学野球選手権で初めて全国大会のマウンドに上がった時だ。3試合に登板し、3勝、防御率2.84をマーク。2回戦の金沢学院大学戦では当時の自己最速となる151キロを計測し、強力打線を擁する大阪商業大学との準々決勝では完投勝利を挙げた。
全国の強豪校相手に好投を続け、15年ぶりとなる4強入りに貢献。大山の名は一気にドラフト戦線へ浮上した。本人も「間違いなく打者のレベルは高かったので、自信になった」。自信を得るとともに、「プロ野球選手になる」との目標が明確になった。
昨秋はリーグ開幕戦の試合中に右ひじを痛め、長期離脱を余儀なくされた。約5カ月間は全力で投げることができず、投球練習を最小限にしてリハビリや体づくりに精を出した。
今年2月下旬から本格的な投球練習を再開し、春のリーグ戦で復帰。防御率0.56、奪三振率10.97とまたしても驚異的な成績をたたき出し、文句なしで最優秀投手賞、ベストナインの二冠を獲得した。チームを4季連続のリーグ優勝に導き、2年連続の全国切符もつかんだ。
2度目の全国、垣間見えたエースの自覚
今年の全日本大学野球選手権は初戦の仙台大学戦に先発し、6回3安打3失点(自責点1)で敗れた。五回まで粘って無失点だったが、六回は四球が絡み3失点。自己最速を更新する153キロを計測するなど直球が走った一方、7四死球を与え制球に苦しんだ。
大山は試合後の取材で「あれだけ四死球を出していたら、ヒットを打たれているのと変わらない。自分の実力不足です……」と言葉を絞り出した。下級生内野陣の失策からリズムが崩れるシーンも複数回あったが、「そういうミスも出る大会。後輩のミスを自分のピッチングでカバーできなかったのが悔しい」と自らを責めた。
全国大会が、地方リーグでプレーする選手にとって絶好のアピールの場であることは間違いない。ただ、大山は単にドラフト候補の投手として「実力不足」を悔いたわけではない。チームのエースとして悔いる姿がそこにはあった。昨秋はけがで登板できない中、チームはあと一歩のところで明治神宮大会出場を逃し、大きな責任を感じた。一度戦列を離れたからこそ、エースの自覚は昨年以上に強まっていた。
「全国大会に行きやすい、試合に出やすいといった地方リーグならではの面もあるけど、結局は自分次第だと思う」。明治神宮大会はドラフト後に開催されるため、今後全国大会でアピールする機会はない。それでも、これまでに技術面、精神面の成長は十分に示してきた。自らの力で「全国で通用する」ことを証明した大山には、揺るぎない自信がある。