甲南女子大・柴野ちりさ、全日本へ“12年越しのチャレンジ” 競技専念のため休学も
全日本フィギュアスケート選手権の予選となる西日本選手権が、10月27日から広島市で開かれる。甲南女子大学の柴野ちりさ(4年、大阪学院大高)は、高校時代に一時競技を離れていたが、大学に入って再びリンクに戻ってきた。競技に専念するため1年間の休学も決断。夢の舞台へ、12年越しのチャレンジに向かう。
全日本選手権がきっかけで始めたスケート
2022年10月。兵庫県で行われていた近畿選手権大会で、柴野はリンクサイドのドアの開閉係を行っていた。近畿選手権は柴野がノービスとジュニア時代に2度出場したことがある大会だ。いつも一緒に練習をしているチームメートや、他大学のスケーターの背中を見送りながら、「来年は絶対に出場する」と自分自身に誓いを立てた。
柴野がフィギュアスケートと出会ったのは、小学校1年生の冬、テレビで見た全日本選手権がきっかけだ。テレビでキラキラした衣装を着て舞う選手を見て、「やってみたい」と母親に頼み、家の近くにあった大阪府守口市のスケートリンクに連れていってもらった。
当初は休日に家族で滑りに行く程度であったが、次第にフィギュアスケートの魅力に惹(ひ)かれ、スケート教室に通い始めた。そして小学校3年生から選手として続けていくことにした。
練習を重ねていくごとに跳べるジャンプの種類が増えた。できることが増えていくのが楽しく、瞬く間にフィギュアスケートの虜(とりこ)となった。休日はほぼ1日をスケートリンクで過ごし、平日は授業が終わるなり、リンクまで親に車で送ってもらい、練習する生活をしていた。
両親はすぐに飽きてやめると言い出すだろうと思っていたが、一生懸命に取り組む柴野の姿を見て、リンクへの送迎など、柴野がスケートに集中して取り組めるような環境を作ってくれた。
バッジテスト不合格、壁にぶち当たる
小学4年生の時、地元大阪で全日本選手権が行われることになり、フラワーガールとして招集されることになった。間近でトップ選手が滑る姿を見られる機会であることはもちろん、柴野が所属するチームの最年長の選手が全日本選手権に出場するということもあり、「テレビで見ていたこんなすごい大会に出場するなんて……」と感銘を受けた。そして柴野自身も同じ舞台に出場したいと強く思うようになった。
そこからより一層練習に励み、中学1年生の時に6級を取得。ノービス最後のシーズンに全日本ノービス選手権に出場することができた。
ジュニア1年目のシーズン、ゆくゆくは全日本選手権に出場したいと思っていたため、出場条件の一つである7級取得に向けて練習に取り組んでいた。7級取得にはトリプルジャンプが2種類必要であり、その課題が柴野を苦しめていた。
ようやく夏ごろに2種類のトリプルジャンプがコンスタントに着氷できるようになり、バッジテストにチャレンジ。しかし結果は不合格。本番ではジャンプはもちろん、スピンやステップも含めた総合評価となるため、どれもミスができない状況というプレッシャーに打ち勝つことができなかった。
翌月もバッジテストにチャレンジするも同じ理由で不合格。全日本ジュニアに向けての第1次予選である近畿選手権でもミスが続き、西日本選手権に進むことができなかった。スケートを始めてからずっと伸び盛りであったが、ここで初めて大きな壁にぶち当たった。
ここを越えれば大きく成長できると、頭では分かっていたが、心はスケートから離れていた。柴野は両親に初めて、「スケートをやめたい」と打ち明けた。両親から「(目標の)7級を取得してからやめなくていいの?」と引き留められたが、柴野にはスケートを続けるという心の余裕が全くなく、そのままスケートから離れることになった。
「スケートはしないの?」と尋ねられたが……
高校は大阪学院大学高等学校へ進学。高校生活ではクラブ活動をやってみたいと思い、ダンス部や吹奏楽部など、気になったクラブをのぞいた。
色々体験した結果、バドミントン部に入部するも、スケートのように打ち込もうという熱い気持ちが出てこず、「何か違うな……」と早々に退部。放課後は勉強をしたり、友達と遊びに行ったり、スケートを習っていた時期にはできなかった過ごし方をし、高校生活を謳歌(おうか)していた。
高校2年生の時、授業の一環でスケートを滑りに行くことになり、家に置いてあったスケート靴を持参して授業に臨んだ。体育教師がそれに気付き、「少し滑ってみてほしい」と声をかけた。軽く滑ってみせると、体育教師やクラスメートから褒められた。
体育教師から、「スケートはしないの?」と尋ねられたが、「しないかなー……」と返事をした。忘れていた気持ちが少し思い出されたように感じたが、翌年に大学受験を控えているため、その思いは胸にしまい、勉強に励むことにした。
「もう一度スケートがしたいな」
高校3年生の秋ごろに指定校推薦で甲南女子大学に進学が決定した。大学のクラブ紹介のホームページを見た際に「スケート部」という文字に目が止まった。受験という大きな区切りを終え、気持ちに余裕が出ていたからか、もう一度スケートがしたいなという思いが蘇(よみがえ)ってきた。
バッジテストの手帳を見ると、7級の欄に「不合格」の文字が並んでいた。「7級を取得してからやめればよかったな」と、悔やむ気持ちが思い起こされた。
「入学したら一度スケート部を体験してみて、それから決めよう」と、大学生活の始まりを心待ちにしていた。
しかし、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)に伴い、入学と同時に全てオンラインでの対応となった。楽しみにしていたクラブ活動も活動停止となり、慣れないオンラインでの授業も相まって、思い描いていた大学生活とかけ離れた現実に戸惑いを隠せなかった。
気分は落ちていたが、この状況を脱却しようと、スケート部のインスタグラムにDM(ダイレクトメール)を送った。スケート部は秋ごろから活動を再開しており、部の練習時間に体験をさせてもらいに行くことになった。久しぶりに練習として氷に乗り、かつて使用していたプログラムも練習させてもらえた。
やめる前と比べると体力不足や感覚がかなり鈍っていることを体感させられたが、スケートをやりたいという気持ちがふつふつと湧いてくるのを感じた。最後は部の監督に背中を押されるような形で入部を決意。再度7級取得を目標にスケートを再開することに決めた。
緊張の復帰戦で2位「楽しかった」
復帰後の初試合は関西の大学生のみで行われる試合で、過去に出場してきた大会を考えると規模は小さかった。しかし、5年ぶりに出場する試合を前に緊張はピークに。アップの仕方も忘れ、試合の雰囲気にものまれていたが、結果は2位。滑り終わると、「楽しかった」と思える復帰戦であった。
翌年の大学2年生のシーズン、様々な制限がある中での活動であったが、インカレへの出場権を獲得。しかし、大学に入ってから部活動以外では自主練習のみだったため、このままのペースでは7級取得は難しいのではないかと思い始めていた。
コーチをつけて定期的にレッスンを受けた方がいいと思ってはいたものの、その一歩が踏み出せずにいた。しかし、そのシーズンは縁あって笹原景一朗コーチ(同志社大学卒)にプログラムを作ってもらっており、手直しで何回かレッスンを受けていた。
しかも笹原コーチは中学生の頃まで在籍していたチームで一緒に練習をしていた仲間でもあった。「笹原コーチであれば昔のことも知っているし、相談にも乗ってくれるかもしれない……」。そう思い、笹原コーチに習うことに決めた。
笹原景一朗コーチに習い、7級合格!
チームによるリンクの貸し切りなどもあり、練習量は段違いに増えた。年明けのインカレでは6級で3位。自分に勝つことを目標にしており、結果にはこだわっていなかったが、結果がついてきていることがうれしく思えた。
大学3年生の秋ごろに、1種類目のトリプルジャンプの着氷に成功。「もう1種類成功させれば7級を受験できる」。その思いを胸に練習に取り組み、数カ月後に2種類目のトリプルジャンプを成功させ、7級のバッジテストに挑んだ。受験科目は必須エレメンツ、ショート、フリーの3つに分かれており、必須エレメンツは中学生の時に取得していた。まずはフリーにチャレンジし無事合格を果たした。
2023年1月にインカレに出場し、トリプルジャンプを決めて6級で優勝を飾り、その自信を胸に2月に7級ショートを受験。笹原コーチは別の大会に帯同していたため、1人で受験会場に行くことになった。不安もあったが、やるべきことをきっちりと行い、結果は合格。6年越しに7級に総合合格することができた。
1年間休学、アメリカで1カ月武者修行
7級を取得することを目標に練習に励んできたが、目標を達成した今はかつての夢であった全日本選手権の出場を新たな目標に掲げて頑張ることにした。
しかし、残された学生生活は1年しかなく、挑戦するにはあまりにも短いと感じ、1年間休学をしてスケートのために費やすと決めた。
「やらない後悔よりやる後悔。できることは全部やりたい」と、アメリカに1カ月練習に行くことにした。笹原コーチも同じような気持ちでスケートをしていたため、悔いなくスケートを練習するために取り組んだことを共有してくれた。そして柴野のアメリカ行きをサポートしてくれた。
アメリカでの生活は柴野の常識を覆すような出来事ばかりで、とても充実した日々を過ごした。
一番影響されたのは「マインド」だ。失敗をするとすぐに思考がネガティブになるが、ポジティブに考えられるようになった。また、練習中から表情を意識するようになり、練習の仕方やオフの取り方も学ぶことがきた。
「オールレベル4」を目標に全日本の舞台へ
帰国後、7級を取得してから初めての大きな大会である「げんさんサマーカップ」(2023年8月11日~14日)に出場した。テレビで見ていた選手が目の前でアップしていたり、スピード感や観客の多さ、会場の雰囲気にのまれかけたりしたが、「自分にできることをやるだけ」と奮い立たせた。
ショートプログラム(SP)で19位となり、目標だったフリーへ進出。フリーでは多少ミスもあったが、近畿選手権に向けての練習課題も発見することができ、かなり収穫を得た大会となった。そして全日本選手権の第1次予選である近畿選手権(2023年9月29日~10月1日)では、完璧な演技ではなかったものの、柴野が得意とする魅(み)せる演技で総合6位で通過した。
今季の目標は全日本選手権出場だが、「オールレベル4」も自身の目標としている。SPは昨年から継続の「Ancient Lands」で、柴野も滑り慣れているからこそ、魅せることにこだわっている。フリーは笹原コーチと作り上げた「The Golden Age」。男性ボーカルの曲で力強さが求められるが、そこに柴野の柔らかな表現も加えて魅せていく。
10月27~29日に広島市で行われる西日本選手権は、10歳の時に出たいと思い描いた全日本選手権への“12年越しのチャレンジ”となる。「オールレベル4」を目指し、夢の舞台へ挑戦する姿を見られるのが楽しみだ。