アメフト

慶應義塾大QB水嶋魁 初勝利も「うれしさ2、悔しさ8」、逆境を力に変えるチームに

「こう見えて(体重が)重いんで、走って思い切り突っ込むのは得意です」(すべて撮影・北川直樹)

アメリカンフットボールの関東学生TOP8は、10月14日に第4節で中央大学と慶應義塾大学が対戦した。ここまで1勝1敗の中央と0勝3敗の慶應。序盤戦で苦戦を強いられている両チームにとっては、絶対に落とせない試合だった。

勝敗を分けたのは、慶應が試合開始時に決めたキックオフリターンタッチダウン。中央のキッカーが蹴ったスクイブキックを、リターナーの前列に入った倉田直(2年、南山)が拾い上げ、そのままエンドゾーンまで84ydを走り切った。第1クオーター(Q)終盤にフィールドゴール(FG)で3点を返されたが、4点差を守り切った慶應が接戦を制した。

守備陣が中大にTDを許さず、今季初勝利

今シーズン、ここまで全敗の慶應にとって、この日も苦しい戦いだった。攻撃はファーストダウンの獲得が8回、獲得距離は146ydに押さえ込まれた。主将のDL鎌田泰成(4年、慶應義塾)を中心とした守備陣が踏ん張り、中大の得点をFG1本にとどめた。第4Qの終盤には苦しいフィールドポジションを強いられ、エンドゾーンまであと4ydのところまで攻め込まれた。このピンチをしのぎ切り、攻撃へ。残った時間は5分53秒。

集まりのいい慶應の守備。中大にTDを許さなかった

ここで攻撃が粘りを見せた。QB水嶋魁(かい、3年、海陽学園)が自らのランでダウンを更新する。時計を回してじわりじわりと進み、中大を追い込む。パントを蹴ってボールオンを押し戻し、中大の最後の攻撃。計時は残り10秒。ほとんどの時間を使い切る、ナイスシリーズだった。中大にタイムアウトは残っておらず、3回のプレーを守った慶應が初勝利を挙げた。

5月にあった不祥事により主力の4年生は数人を残してほとんどが退部。部の活動自体も停止となった。この十数年は関東で屈指の部員数を誇ってきた慶應だが、この日の登録人数は100人を割り込む83人。試合前のハドルもいくぶん小さく、寂しさを感じさせるほどだった。

活動が再開されたのは、8月に入ってからだった。限られた時間でチームを立て直し勝ち星を挙げたことは、逆境を乗り越えてきた部員たちにとって大きな自信となったに違いない。

この春多くの4年生が退部した。主将の鎌田(右)は、若いチームをまとめ上げている

開幕1カ月前に再始動、練習とミーティングに没頭

「初めての勝ちなんで、うれしいのはうれしいんですが……。オフェンスで点が取れなくって、うれしさ2、悔しさ8です。これ、ほぼほぼ悔し涙です。情けないです」。QBとして攻撃を率いた水嶋は言う。

慶應はここ数年、複数のQBを並行して起用する攻撃形態をとってきた。昨年は3人のQBが出場し、今年は水嶋と松本和樹(慶應義塾)の3年コンビがこれまで出場してきた。この試合は松本が欠場したため、水嶋が1試合を通して率いた。

「通しで出てると、自分でペースを作れるのは良いんですが、ずっと中なので客観的に守備のカバーを見られない面もあって。見切れない場合は自分で走ったりして打開しました。でも、個人的には丸々出られる方が楽しいですね」

慶應では1年生の頃から試合に出てきたが、主にオプションプレーをやってきた。パス攻撃にしっかり取り組むようになったのは、昨年になってからだという。この試合では手応えを得るプレーもあった。反則で取り消しになったが、WR丹羽航大(3年、慶應義塾)に決めた約50ydのTDパスだ。「勝負のときに用意していたプレーでした(反則でTDは)無くなっちゃいましたが、それでも通せたのは自信になりましたね」

「めちゃくちゃ練習したパス」をWR丹羽に決めたが、反則でTDは取り消しに。それでも一番気持ちよかったプレーだ

ここまで苦しいことがたくさんあった。活動が制限されてフットボールができない時期は、座学で戦術を練った。しかし理論上うまくいくはずの戦術も、いざグラウンドに出られるようになって合わせてみると、全然かみ合わない。「頭の中で整理できてても、11人でその通り実行するのが難しかったです」と水嶋はいう。

秋の初戦に向けて動けた期間はちょうど1カ月。「4年生がほぼいなくなって、スキルポジションも全員3年以下になりました。『やるしかないじゃん、これで乗り切ったら来年めっちゃ強くなれる』と、皆で前向きに頑張ってきました」。全員でがむしゃらに取り組んだ。

一方で人数が減った影響は大きかった。ポジションごとに行うインディ練習を回す人数が大幅に減り、活動制限明けということもあって故障者が多発。さらに負荷がかかるジレンマに陥り、練習がまともにできなくなった時もあったという。とにかくしんどかった。

「IQが高かった4年生がいなくなったので、練習以外の時間はひたすらミーティングをしました」。ウォークスルーの練習も増やして、とにかく動きをあわせることに注力した。長いときは、ミーティングと練習に合わせて10時間以上かけた日もあったという。

こうして全員でもがいてきた結果が、ようやく勝利につながった。水嶋の表情には、確かに達成感が見えた。

大げさ喜ぶことなく、あくまで冷静だった試合後の水嶋

スイスでフラッグフットボールを始め、京大に憧れ

外交官の父、光一さんの赴任先のアメリカで生まれ、海外で育った。かつて東大アメフト部でQBだった父のすすめで、スイス在住時の小学2年から4年の頃にフラッグフットボールをやった。当時からQBとしてプレーした。

中学受験に際して、日本に帰国。愛知県にある全寮制の中高一貫校、海陽学園に進むことになった。「見学にきたときに、目の前に海が見えてきれいだなぁって思いました。アメフト部もあるし、いいじゃんこの学校って感じで決めました(笑)」。こうしてアメフト部に入部。顧問の先生は、京都大学ギャングスターズOBの西村英明監督だった。

西村監督にはアメフトのイロハから、物事の考え方の基礎を学んだ。何か壁にぶつかると、すぐに答えを示さずに考える時間を与えられた。自分たちで導き出した答えを持っていくと、理由を詳しく説明してくれた。与えられた練習や課題をただやるのではなく、なぜやるのかを考え抜く力と癖が身についたと水嶋は言う。

「こういう指導法の西村先生の下でアメフトをやってると、アメフトするなら京大以外あり得ないなみたいな考えになってくるんです。まあ、めちゃくちゃ怖いんですけどね(笑)」。京大への憧れは日増しに大きくなった。

一番覚えているのは、引退がかかった高3春の東海地区決勝、南山高との試合前に話されたことだ。「いいか、お前ら。けがなんかしようが、病にかかろうが、そんなものはいつか治る。でも悔いは一生残るから、思い切りぶつかってこい」。この言葉でチームがまとまった。「こういう考えとかも、京大の水野(弥一)監督のもとで身につけたんじゃないかなって思うんですよね。やっぱすごいなと」

南山戦の残り時間、約20秒。得点は3-7。敵陣40ydで水嶋がスクランブルし、25ydほどゲインした時、タックルを受けて足首を骨折した。そのまま試合には戻れず、負けた。「みんなを引退に追い込んじゃったんです。この試合で、大学では絶対に活躍すると心に誓いました」

大学は迷わず京大を志望した。無論、一般入試を突破しなければ京大には入れない。そのため、京大アメフト部ではギャングスターズを目指す高校生向けに受験勉強の指導をしている。

「勉強合宿でギャングスターズのクラブハウスに通って、ひたすら勉強を教えてもらいました」。主に、Kの川勝瑞祥さんに学習面のサポートを受けた。「すごくよくしてもらいました。海陽に戻ってきてからもマメに連絡をしてくれて、気にかけてくれました」。現役では合格を果たせず、浪人が決まった。もちろん次の年も京大を目指した。「浪人中は東京でメシに連れていってもらって。もうそういうのも含めて、どんどん(京大に)ひかれていっちゃう感じです」。しかし京大合格はかなわずに、慶應への進学が決まった。

慶應のエースとしてユニコーンズを引っ張る

QBがめちゃくちゃうまければ、調子は上向く

慶應に入った2021年はBIG8だった。TOP8に戻った昨年、シーズン序盤はスタメンだったが、けがで欠場してるときに序列が下がって悔しい思いもした。ここにきてようやく調子が出て、結果にも結びついてきた。

「オフェンス全体としていいじゃん、ダメじゃんみたいなのってあるんですけど、QBがめちゃくちゃうまければそんなことに関係なく調子が良くなると思うんですよ。常にパフォーマンスを維持できて、仲間を鼓舞できる選手になりたいです」。これが水嶋の目指す理想のQBだ。

好きな選手は、NFLフィラデルフィア・イーグルスのQBジェーレン・ハーツ。「彼はアラバマ大2年の全米王者決定戦で途中交代させられ、翌年はスタメンから外れるんですが、SEC(サウスイースタン・カンファレンス)チャンピオンシップに交代で出て逆転勝利するんです。めちゃくちゃ逆境に強い。こういう生き様は憧れですね」

逆境を力に変えて、勝つチームをつくる。水嶋は燃えている。

ロングパスを投げ込む強肩も魅力だ

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