陸上・駅伝

駒大・花尾恭輔 上尾ハーフで悔しいチーム4番手 箱根は「悔いのない走りをしたい」

7カ月ぶりの復帰レースは悔しい結果に(撮影・中西真雪)

第36回上尾シティハーフマラソン

11月19日@埼玉・上尾運動公園陸上競技場とその周辺
大学生男子の部(駒澤大学勢)

7位     白鳥哲汰 1時間2分14秒
8位     庭瀬俊輝 1時間2分15秒
11位   安原太陽 1時間2分34秒
13位   花尾恭輔 1時間2分39秒
22位   小山翔也 1時間2分59秒
64位   植阪嶺児 1時間4分09秒
173位 唐澤拓海 1時間6分20秒
202位 赤津勇進 1時間7分08秒   

駒澤大学の中で「箱根駅伝の選考レース」とも呼ばれる上尾シティハーフマラソンが11月19日に埼玉県上尾市で行われた。けがで7カ月ぶりの復帰レースとなった花尾恭輔(4年、鎮西学院)は1時間2分39秒の全体13位、チーム内では4番手だった。目標としていた62分台にはまとめたが「きつかった。負けたくはなかったが、体が動かなかった」とまだまだ本調子ではないようだ。

1年で鈴木芽吹と誓った「全部勝ちたいね」

2季連続3大駅伝三冠がかかる駒澤大を語る上で、花尾の存在は欠かせない。大学3大駅伝デビューは1年次の全日本大学駅伝。その年の出雲駅伝は新型コロナウイルスの影響で開催中止になったため、実質最初の駅伝から出場したことになる。チームは優勝を勝ち取ったが、花尾は2区区間11位。「反省が多い。課題が残るレースになった」と振り返った。しかし優勝を経験したことで、欲が出た。同じく当時1年生の鈴木芽吹(4年、佐久長聖)と「あと何回も駅伝があるけど全部勝ちたいね」と話したという。

その後は優勝のゴールテープを切った3年次の全日本大学駅伝まで3大駅伝皆勤賞。たとえエース級の選手でも、けがや調子が合わないこともあり、すべての駅伝に出場することは難しく、珍しい。その点、花尾は継続して練習を積み、駒澤大を支えてきた。

3年次には接戦を制し、全日本大学駅伝のゴールテープを切った(撮影・長嶋一浩)

駅伝以外では特にハーフマラソンで記録を伸ばした。2年次の2月に行われた第50回全日本実業団ハーフマラソン大会で1時間01分37秒の自己ベスト。これは現役の駒澤大の選手の中で3位の記録だ。

2度の疲労骨折 けがや体調不良に泣き幾度も駅伝を逃した 

順風満帆に見えた花尾の陸上生活に影が差したのは、3年次の箱根駅伝。12月上旬に新型コロナウイルスに感染し、そこから調子を戻せず出走することができなかった。当日はサポートメンバーとして参加し、7区を走った安原太陽(現4年、滋賀学園)への給水を担当。前日にふざけて「ラーメンを入れてきてほしい」と言った安原を笑わせるため、花尾は「ごめん、ラーメンを入れてくるのを忘れてきた」と声掛けをし、X(旧Twitter)上でも話題を呼んだ。

しかし駒澤大初の3大駅伝三冠を成し遂げたお祝いムードの中で、自身は箱根駅伝の優勝メンバーになれず、悔しい思いをした。

4年生になって4月には、約1年ぶりとなるトラックレースとして世田谷陸上競技会5000mに出場。自己ベストとはならなかったが、しっかり13分台でまとめて強さを見せた。

雨が降りしきる中、世田谷陸上競技会では5000mを走った(撮影・中西真雪)

実はこのレース、翌月に控えていた第102回関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)のハーフマラソンの調整のために走った。試合後には「万年2位(2年、3年ともに2位)なので、来月の関東インカレで今年こそは優勝できたらいいなと思う」というコメントをもらっていた。

当部としてもかなり楽しみにしていたのだが、いざ関東インカレのメンバーが発表されると、花尾の名前がなかった。けがをしたのだとすぐに想定できた。

4月に脛骨(けいこつ)の疲労骨折。練習を再開したあと、7月には仙骨の疲労骨折とけがに泣いた。8月末に夏合宿取材に伺った際には1人で別メニューをこなしている姿があった。しかし練習の再開が遅く、出雲駅伝は間に合わなかった。

夏合宿では1人別メニューを淡々とこなした(撮影・中西真雪)

「全日本大学駅伝は走りたかった」。良い練習を積んでいた中で、体調不良に見舞われ、全日本大学駅伝でも出走を逃した。大八木弘明総監督の中では、箱根駅伝に向けて走らせておきたいという気持ちもあったようだが、体調面を考慮して藤田敦史監督が「外す」と言った。

対して大八木総監督も「良いと思う」と答えた。「今ここで使って体調を崩すより、しっかりと箱根駅伝に向けて練習を積んだ状態で挑んでほしい」という思いからだ。花尾は「走れるところまで来ていたので、走りたかった。ただ、ずっと駅伝を走ってきた立場としてサポートになって分かることもある。学びがあった駅伝だった」と振り返る。

7カ月ぶりの復帰レースは満足できず 箱根に向け切り替え

全日本大学駅伝から2週間。箱根駅伝前最後のハーフマラソンとなる上尾シティハーフマラソンに出場した。思い返せば7カ月ぶりの復帰レースになった。前回大会は円健介(当時4年)が日本人1位、赤星雄斗(現4年、洛南)が日本人2位の好成績を収め、箱根駅伝の出走を勝ち取った。駒澤大の中でも箱根駅伝のメンバー選考に関係する重要な位置づけだ。

当日の天候は快晴、風も穏やかでタイムを出すための条件はそろっていた。そのため藤田監督はレース前に「やっぱり勝ち負け。そういうレースができるかどうか。駅伝になった時は速さだけではなく、強さがないと勝ちきれない」とチームに伝えて戦況を見守ったという。

花尾の当日の調子は「ぼちぼち」。スタートしてから先頭集団でレースを進めるが、夏合宿で練習を積めなかったツケもあり、15km手前で先頭集団から離れ、勝負できなかった。目標は1時間2分台だったため、1時間2分39秒という記録に関して言えば予定通りだが順位を見れば、チーム内では4番手。

「レース自体が7カ月ぶりと復帰戦だったので、ひさしぶりのレースできつかった。選考レースというのは意識していた。負けたくはなかったが、体が動かなかった」と悔やんだ。

箱根駅伝まであと1カ月。走りではもちろんのこと、花尾の明朗快活な性格がチームにもたらした影響は大きい。藤田監督からもその貢献度は評価されている。実際に取材していると感じるが、周りにファンがいようといまいと、取材用のカメラが回っていようと回ってなかろうと、花尾は本当にあのままの“花尾”なのだ。チームにそのような存在がいることは大きいのではないか。

カメラを向けると持ち前のはじける笑顔でピースをしてくれた(撮影・宮澤希々)

箱根駅伝に向けて「走らないといけない立場。最後、後輩に残せるものを残せるような走りができたらいいと思う。昨年度出られなかった悔しさと、今年1年の苦しさをぶつけたいし、最後なので悔いのない走りをしたい」と意気込みを語った。

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