関西学院大WR鈴木崇与 偉大な祖父に見せたかった晴れ姿、ボールへの執念は負けない
アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は11月26日の関関戦がラストゲームとなる。6戦全勝ですでに60度目の優勝を決めている関西学院大学ファイターズは5勝1敗の関西大学に勝てば単独優勝で全日本大学選手権に進む。「関大のディフェンスはスピードがある。それでも球際だけは絶対に勝つ」と意気込むのが、関学のWR鈴木崇与(たかとも、4年、箕面自由学園)だ。
春は関大に敗戦「挑戦者であることを忘れない」
鈴木は第6節まで16回のキャッチで246ydをゲインし、1TD(タッチダウン)。関学のWRでは五十嵐太郎(2年、関西学院)の19回に次ぐ2番目のキャッチ数となっている。今春の関関戦はけが明けで数プレーの出場にとどまった。秋に向けての準備期間である春のシーズンとはいえ14-17で敗れた試合を振り返り、鈴木は「悔しい思いをしたので、絶対関大にリベンジしたい。自分たちが挑戦者であることを忘れないで戦いたい」と話す。
鈴木が個人的に関大戦で見せたいのが「球への執着心」だ。「この1年、そこにこだわって取り組んできました。関大のDBは速いけど、球への執着心を持って、球際の争いだけは絶対に勝つ」と誓う。関大戦までの2週間で注力したのが、カムバックのドリル。「ボールに寄りにいく練習を徹底してやりました」と鈴木。後輩たちにも「球に寄る」ことの重要性を説いてきた。「ルートも大事ですけど、球に寄る意識が強ければターンオーバーをなくすことにもつながる」
鈴木はフットボール色の強い家系に生まれた。父方の祖父・鈴木智之さんは、関学のQBとして史上初の甲子園ボウル4連覇(当時)に大きく貢献。卒業後は、商社を経て瓶ビールや缶詰などの食品梱包(こんぽう)に使用する機器の輸入を行う「株式会社スズキインターナショナル」を経営する傍ら、京都大学の強化に取り組み、東京大学の監督も務めた。1998年にはXリーグのアサヒ飲料クラブチャレンジャーズのスペシャルアドバイザーとして組織づくりに尽力し、3年でチームを日本一に導いた。日本のアメリカンフットボール殿堂にも入っている。
幼いころ、祖父とキャッチボールをして、投げ方、捕り方を教えてもらった。祖父からは一度もアメフトをしてほしいと言われたことはなかった。それでも鈴木は高校からフットボールを始めることを決めていた。自分がフットボールに取り組む姿を祖父に見せたいと思っていた。しかし中3になったばかりの2016年4月、智之さんは逝った。鈴木は言う。「祖父に見てもらうのが目標だったんですけど、それがなくなってしまって、大学は関学でアメフトをやるのを目標にしました」
仲間の本音を聞き、涙した夏合宿でのミーティング
野球とバスケに取り組んできた鈴木は箕面自由学園高(大阪)でアメフトを始めた。スピード派のDLがほしいというチーム事情でDLとTE(タイトエンド)を兼任した。パスキャッチを教えてくれたのが1学年上で関学でも先輩となる糸川幹人さん(現・IBMビッグブルー)だった。「アメフト未経験の僕に、幹人さんは一から教えてくれた。あの人と出会わなかったら、いまのレシーバーとしての僕はないです。感謝してるし尊敬もしています」と鈴木。
彼が輝いたのが高3の1月にU18高校日本選抜の一員として出場した「インターナショナルボウル2020」だ。アメリカ・テキサス州ダラスで日本が28-20でU17米国選抜を下した一戦で、鈴木はQB庭山大空(立命館宇治、現・立命館大4年)からのショートパスを受け、60ydを走りきる先制TDを決めた。その3カ月後、関学の選手になるという目標をかなえた。
入学すると長身で強肩のQBが同期にいた。鎌田陽大(追手門学院)だ。2年のときにエースQBとなった鎌田だが、3年になったときに星野秀太(2年、足立学園)が入ってきてエースの座を奪われた。今年の第6節の立命戦でもQBとしての出番はなかった。それでも鈴木は鎌田からのパスを捕りたい、とはっきり言う。「鎌田とは4年間、一番パスを合わせてきました。いつでも決める自信があります。夏合宿で4年生だけが集まって本音を言い合ったときに、鎌田も『タカトモとは誰よりもパスを合わせてきた』って言ってました。最後は鎌田からのロングパスを通して、4年間の努力を見せたい」
そして、その夏合宿のミーティングで鈴木は泣いたそうだ。それは同期のWR衣笠吉彦(関西学院)の話を聞いたときだ。衣笠はこう言った。「いま(1年の小段)天響が出てきてるけど、タカトモには負けてほしくない。お前が一番であってほしい」と。「衣笠は普段絶対にそんなこと言わないので、初めてそんな思いを聞いて、泣いてしまいました」と鈴木。祖父が導いてくれたファイターズで、最高の仲間たちにも出会えた。
「関学の4番」に恥じないプレーを
関大戦で鈴木が警戒するのはDBの須川宗真(4年、佼成学園)だ。高3のときに一緒に海を渡ったチームメイトで、鈴木が輝いた試合で須川もインターセプトを決めている。「須川君はパスへの反応が速いし、ランのときの上がりも速い。1テンポでも遅れるとやられる。パスのとき全部が全部きれいには抜けない。どんなに張られても、押し出されても、星野や鎌田の投げてくれた球を絶対に捕りにいく。強い信念を持つのが大事だと思ってます」。アツい言葉が次々と鈴木の口をついて出る。
祖父だけじゃない。父の康藏さん(56)もアメフトを生活の中心に生きてきた人だ。かつては本場アメリカへ挑戦する選手の代理人を務めたこともあった。いまも関西学生リーグを支える活動に関わり、しばしばフィールド上でリーグ戦を見つめている。鈴木は「試合中もフィールドにいてるので、目の前でしっかりパスを捕っていきたい」と話した。お父さんはまだまだパスキャッチが見たいと思ってるんじゃないですか? と鈴木に尋ねると、「僕自身もまだまだ足りてないので、もっとパスを捕ってチームに貢献したいです」と笑った。
同じ関学の4番の先輩が鈴木にとってのヒーローだ。1年のときの4年生で名字も同じのWR鈴木海斗さん(かいと、現・品川CCブルザイズ)。2020年の立命館大戦、勝負どころでQB奥野耕世(現・初田防災設備ホークアイ)からのパスを続けて捕り、逆転サヨナラFG(フィールドゴール)を呼び込んだ。その試合以外でも奥野は大事なところで鈴木へ投げ、ことごとくキャッチした。そんなカイトの姿がタカトモの脳裏に焼き付いている。「奥野さんがカイトさんを信じて投げて、どんだけDBにつかれてても捕りきる。すばらしいと思ってました。僕も関学の4番に恥じないプレーがしたい」
さあ決戦だ。さまざまな思いを抱えて、タカトモは関関戦のフィールドに立つ。