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福井工大・伊与翼 国内男子ツアー史上7人目のアマチュア優勝支えた同期生キャディー

アマチュアで国内男子ゴルフツアーを制し、歴史を刻んだ杉浦悠太(左)とキャディーを務めた伊与翼(すべて撮影・森田博志)

初冬の南国の日差しと大歓声に包まれた宮崎・フェニックスカントリークラブの18番ホール。11月19日の午後、歴史を刻んだ日本大学の杉浦悠太(4年、福井工大福井)は、男子ゴルフのダンロップフェニックストーナメントをバーディーで締めくくった。パターを握ったまま両拳を突き上げ、ボールを拾うと、緑色の「つなぎ」を着たキャディーと抱き合い喜びをかみしめた。タイガー・ウッズや松山英樹らが勝者に名を連ねる節目の50回を迎えた国内屈指の大会で、初のアマチュア王者となった杉浦を支えたのは、福井工業大学の伊与翼(4年、福井工大福井)だった。

何げない1本の電話から決まった宮崎行き

2人は高校の同期生。何げない1本の電話が、国内男子ゴルフツアーで史上7人目のアマ王者誕生というドラマを生んだ。大会2週間前の日曜日、伊与から連絡を入れた。11月7日から石川県加賀市の片山津ゴルフ倶楽部で常陸宮杯全日本大学選手権が開かれ、日大主将の杉浦も出場することになっていた。伊与は出場しなかったが、会場は福井から近く、再会を楽しみに「ちょっとご飯でも」と誘った。その流れで、下部ツアーで優勝し、ダンロップフェニックスの出場権を得ていた杉浦から、キャディーの誘いを受けた。

「僕、九州行くの初めてだったんです。(バッグを)担ぎたかったし、宮崎旅行的な感じでした」

伊与は選手としては結果を残せていなかったが、東海クラシックで大学の先輩のキャディーを務めたり、今秋、福井で開かれた日本女子オープンでも経験したりしていた。12日に宮崎入り。コテージで寝食を共にする1週間が始まった。

福井市出身の伊与は、祖父や父の影響で小学生からゴルフを始めた。日之出小6年の時には中部小学生選手権の北陸地区予選を1位通過、中部選手権では4位に入り全国小学生大会に出場した。ちなみに愛知県の高浜市立吉浜小6年だった杉浦も中部選手権に出場していたが、18位で全国大会出場を逃している。ゴルフに打ち込んだ伊与は福井工大福井中から強豪の福井工大福井高へ進学。そこに、愛知から杉浦がやってきた。男女合わせて10人ほどの同期は仲が良かった。ゴルフができなくなる冬はみんなでスキーに行って鍛えた。2年の時には地元の福井国体少年団体で優勝、杉浦は日本ジュニア選手権も制した。伊与は正選手ではなかったが、どこへ行くにも一緒に行動していた。

一緒に風を読み、杉浦のショットの精度をスコアにつなげた

パッティング前に水を飲み、気持ち落ち着かせ

宮崎で初めてタッグを組んだ2人には、高校時代の延長のような雰囲気があった。伊与は「グリーンの傾斜に関しては杉浦が結構みていて。ナショナルチームでもそういう経験があるんでしょう。僕は距離を測って、サポートしただけです。歩いている時はたわいもない話をして、『晩ご飯何食べる』とか『宮崎って何があるんかなー』という感じですね」と言った。杉浦は出場84選手中、唯一のアマだったが、物おじしないプレーをみせた。

伊与の「たわいもない話」が、杉浦を落ち着かせた

印象的だったのは、グリーン上でパッティング前に水を飲んで気持ちを落ち着かせていたことだ。普段、ルーティンなど気にしないという杉浦が振り返る。「いつもはティーショットの前に水を飲んでいた。今週は、たまたまそうなった。それがよかったかもしれない。初日にキャディーが水を出してくれたのが、グリーン上だったのがきっかけで、そこからその日よかったのもありグリーン上で飲むようにした。グリーン上で飲むのもいいな、と初日思い、2日目以降はそうした。打つ前にリセットできるというか、気持ちを改めパットを打てると思います」

伊与に確認すると、「たまたまですね。意識して言ったわけじゃないですけど」。こんな感じのコンビだった。

伊与がグリーン上で何げなく水を渡すと、優勝へのルーティンとなった

緊張の最終日を耐え、快挙達成

初日の2位から単独首位に立った2日目の夜、伊与は杉浦が好きな焼き肉を一緒に食べに出かけたが、まさか、その大好物が宮崎県知事賞として優勝者へ贈られる宮崎牛1頭分になって返ってくるとは、この時は思いもしなかった。

18日の第3ラウンドは強風が吹き荒れた。「翼」という名前がそうさせるのか、伊与は「風の読み違えだけはないように」と心がけた。各選手、気まぐれな風に悩まされ、松山英樹らはスコアを伸ばせなかったが、杉浦は通算12アンダーまで伸ばし、2位に4打差をつけた。

最終日、杉浦はさすがに緊張感に包まれた。この日の第1打を左の松林に打ち込み、1番はボギー発進。耐えるゴルフが続いた。後半に入り、11番でダブルボギー、12番でボギーとして、先輩プロに差を詰められたが、大崩れしなかった。杉浦が「もっとも狭いと感じていた」と言う14番(パー4)をパーで切り抜け、優勝が現実味を帯びてきた。最終18番(パー5)で2オンは逃したが、伊与は「アプローチを1メートル以内につけた時、優勝きたなという感じでした」と笑顔をみせた。

最終日の17番を終えグータッチ。2位に2打差で最終ホールへ

杉浦は唯一、2ケタの通算12アンダーで、2位に3打差をつける快勝だった。伊与は次から次へと続く優勝後のセレモニーを見守りながら、「今日中には帰れないですね」と話した。

3週連続でバッグを担ぐことに

旅には続きがあった。杉浦が優勝後にプロ宣言したことで、引き続きカシオワールドオープンと日本シリーズJTカップへ出場できることになった。伊与も、その夜の話し合いを経て引き続きバッグを担ぐことに。福井に戻るはずが、高知へ飛んだ。

プロデビューの杉浦は、カシオワールドでは90位で予選落ちした。2人は愛知で少し休んだ後、最終戦のために、東京よみうりカントリークラブへ。そこで4日間戦い、杉浦は18位だった。ちょっとの宮崎旅行のつもりが、3週間の国内ツアーとなった。「ただ、ただ、楽しかったです」。福井市内の会社から内定をもらっている伊与の大学ゴルフ生活は、最終盤で忘れられないものとなった。

◆1973年国内男子ツアー制施行後のアマチュア優勝者

倉本昌弘(1980年、日本大学卒)
石川遼(2007年、東京・杉並学院高)
松山英樹(2011年、東北福祉大学)
金谷拓実(2019年、東北福祉大学)
中島啓太(2021年、日本体育大学)
蝉川泰果(2022年に2度、東北福祉大学)

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