陸上・駅伝

早稲田大・佐藤航希 初マラソンV 地元を走りたいと思った解説「距離が短く感じる」

初マラソンで地元を走り、優勝した早稲田大の佐藤(すべて撮影・森田博志)

第61回延岡西日本マラソンが2月12日、宮崎県の延岡市役所前を発着点に3年ぶりに開かれ、初マラソンに挑んだ早稲田大学の佐藤航希(3年、宮崎日大)が2時間11分13秒で優勝した。実業団の強豪・旭化成のおひざ元の歴史ある大会で、大学生が優勝するのは1966年の第4回大会を制した采谷義秋さん(日本体育大学)以来57年ぶり。第1回(1963年)で優勝した重松森雄さん(福岡大学)を含め、3人目の学生王者となった。

小さい頃から沿道で応援していた

延岡市から門川町を経由し、日向市原町を折り返す海沿いの42.195km。好記録を狙いやすくするため、これまで昼過ぎだったスタート時刻を風の影響を受けにくい午前8時35分に変更した。快晴で、スタート前の気温は6.6度、西の風2.0mと関係者の思惑通り好条件となった。

6km過ぎ、海沿いの国道10号線に出るころには先頭集団が14人になった。ペースメーカーを務めた創価大学の吉田悠良(3年、利府)が5kmを15分30秒の設定タイムで引っ張り、2時間11分5秒の大会記録更新への期待も高まった。21km手前、地元出身で青山学院大学の畦地貴斗(4年、小林)が遅れ始め、折り返し点で先頭集団は10人となった。

一般参加の佐藤(310番)は村山(2番)ら黄色のゼッケンの招待選手に競り勝った

25kmでペースメーカーが外れ、レースが動いたのは30km過ぎだった。給水ポイントで集団の最後尾にいた村山謙太(旭化成)が仕掛けた。9人になっていた先頭集団で唯一の学生だった佐藤も必死に追ったが、ついていけない。村山との差は3秒、5秒と開いていき、35kmでは16秒差まで広がった。4人の第2集団を引っ張る形になっていた佐藤は「前を追っていた時ちょっと足が重くて、ラストまで持たないだろうなと思った」と振り返った。

ここからの佐藤には、初マラソンとは思えない冷静さと粘り強さがあった。陸上競技をはじめたのは延岡市立南方小5年の時、地元のクラブ「南方アスリート」に入った。短距離も並行してやったが、「6年生からは長距離に完全に移りました」。長い距離を走るのが好きだった。「ずっと小さいころから沿道で応援している試合でしたし、テレビでもずっとみている試合だった。初マラソンは延岡を走りたいと思っていた」。あこがれていたレースでは、かつてテレビ解説者が話していた忘れられない言葉があった。

「自分が一番印象に残っているのは、解説のことなんです。『延岡の地に入ってから、選手たちは距離が長く感じる。その点、旭化成の選手は地元なので、距離が短く感じる』と。この解説を聞いた時、自分も地元で小さいころから遊んでいる道や通った道なので、その舞台で走れれば、いい勝負ができるんじゃないかな、と」

レースには10位に入った創価大の志村健太(108番)ら学生勢も参加した

箱根駅伝後も積んできた練習

追いかける側にとって、村山の姿が見えなくなるまで離されなかったことも幸いした。38km付近で差は14秒と縮まりはじめ、39kmでは4秒差まで迫った。延岡市街地に戻った残り3km、佐藤は満を持したように右腕の時計でタイムを確認すると、39.3km付近でついに村山をかわした。「先頭に立ってからは、それまでずっと重かった足が軽くなった。延岡の地という力が大きいと思っています。自分の名前を呼んでくださる声が、どんどん大きくなったり、増えたりしたので、さらに力を出すことができました」。市役所へ続く最後200mの直線、もう、後ろを振り返らない。サングラスを頭の上にかけ直し、右腕を突き上げながら白いゴールテープを切った。

最終盤で村山を逆転した

大会記録には及ばなかったが、あと8秒に迫る歴代2位の記録となった。笑顔で迎えた早稲田大の花田勝彦監督は「箱根駅伝が終わって、本人は帰省もしないで、休み期間中に自分で30km走1本やって、その後、40km1回やって、30kmもう1回と、練習はしっかりやれていた。前半、カーっと気持ちで行き過ぎて後半崩れることが多かったが、去年1年トレーニングしてきて、きついところも我慢できるようになった。レースをトータルとして組み立てられるようになってきたのが大きい。あと暑いのも得意なので、今日、晴れたのも本人にはよかった。マラソンに適正がある選手」と評価した。

花田監督(左)と記念撮影

日本学生記録を更新した横田俊吾の姿に刺激

快挙を達成した佐藤は冷静だった。終盤での逆転について「真っ向から勝負したというよりは、村山さんが失速した形で抜いたので、あまり、自分の実力で抜いた感じではないと思っています」。レース展開も「(30kmで)村山さんが一気に抜けたんですけど、1回ついていった時に足にきてしまった。あそこはもう少し落ち着いていけばいいかなと思ったが、逃してしまうと優勝はないかなと自分でチャレンジと思った」と振り返った。

2月5日の別府大分毎日マラソンを青山学院大の横田俊吾(4年、学法石川)が2時間7分47秒で走り、日本学生記録を20年ぶりに更新したことも刺激になった。「テレビを見ていたし、自分もやろうという風に思った」。ただ「単純にすごいなと思うし、尊敬もしている。全然、(自分は)そのレベルではないので、いずれそういった選手がいるということは、めざさないといけないかなと思う」と言うにとどめた。

レース後、インタビューを受ける佐藤

佐藤は宮崎日大高時代、全国高校駅伝に2年連続で出場。3年生の時には4区で区間3位の力走を見せ、チームの7位入賞に貢献した。早稲田大では2年連続で全日本大学駅伝と箱根駅伝に出場、昨年の全日本ではアンカーを務め、今年の箱根では4区で区間6位と健闘した。

「早稲田大学出身の選手たちも、マラソンで活躍されている先輩方が多くいらっしゃるので、自分もそれに負けないように引き続き頑張っていきたい」とあいさつしたが、世界選手権やオリンピックへの夢を聞かれても乗ってこなかった。「まだ、そんな力はないので、目の前の試合を少しずつ、昨年より今年、今年より来年という風に、同じ大会でもどんどんレベルアップしていければいい」。自分の立ち位置がわかっているからこそ、これからの伸び代に期待が持てる。

この日の地元・UMKテレビ宮崎の解説は、第11回大会(1973年)を初マラソンで制した(2時間17分28秒)宗茂さん(旭化成陸上部顧問)だった。当時20歳、そこからモントリオール、モスクワ、ロサンゼルスとオリンピック代表に3回選ばれるなど、世界へ羽ばたいたレジェンドは「勝ち切ったことがこれからの財産になっていく気がします。自分はマラソンに向いている選手だということを認識したと思う。より速く走るためのトレーニングを積んでほしい」などと21歳へエールを送っていた。

実業団勢を抑えて優勝し、表彰式であいさつした

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