慶應義塾大、下馬評を覆す秋の大学日本一、原動力の「一体感」が生まれた背景
第54回明治神宮野球大会・大学の部は、慶應義塾大学が決勝で青山学院大学を2-0で破り、2019年以来、4年ぶり5度目の優勝を果たした。バットで牽引(けんいん)したのは「チームの顔」。勝負強さの源になったのは、熱い応援に後押しされた「一体感」だった。夏の甲子園を制した慶應義塾高に続き、「兄弟」で快挙を成し遂げた。
“弱い自分たち”と正面から向き合った
決勝のあとの優勝インタビュー。慶應大の主将・廣瀬隆太(4年、慶應義塾)は、「仲間たちに一言を」と促されると、少しおどけた口調でこう叫んだ。
「ありがとー」
今年1年、様々なものを背負ってきたスラッガーが、重圧から解き放たれた瞬間でもあった。
「リーグ優勝で満足してたら、慶應義塾高の選手たちに笑われます」
今秋の早慶戦で3回戦に勝ち、2年ぶりのリーグ優勝を決めた後、廣瀬はこう言っていた。先のプロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから3位指名された廣瀬にとって、慶應義塾高は母校でもある。高校2年時の2018年は春(第90回記念選抜高等学校野球大会)、夏(第100回全国高等学校野球選手権記念大会)と連続で甲子園出場を果たした。
今夏の甲子園(第105回全国高校野球選手権記念大会)で107年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げた後輩たちの躍進は、廣瀬にとっても大きな刺激になったようだ。決勝の日は「塾高」でも同期だった吉川海斗(4年)らとともに、甲子園球場に駆けつけたという。
自分たちも日本一なるーー。その思いは塾高出身者のみならず、全部員が共有していた。もとより、日本一はチームの目標であった。
とはいえ、春の開幕前、慶應大が今年日本一になると、どれだけの人が予想していたか。前年までの中心選手がごっそり抜け、レギュラーで残ったのは廣瀬と捕手の宮崎恭輔(4年、國學院久我山)だけ。下馬評は高くなかった。廣瀬も「春は不安抱えてのシーズンインでした」と明かす。
そんなチームがなぜ、秋の大学日本一になれたのか。吉川は「“自分たちは弱い”と自覚することから始めました。いろいろなことを吸収し、成長しなければ勝てないと」と振り返る。
吉川は1人のプレーヤーとしても、これを実践した。まず一塁手として守備力で堀井哲也監督の信頼を得ると、春はリーグ8位の打率を残し、レギュラーの座を確かなものにした。
“弱い自分たち”と正面から向き合った「スタート」があったからこそ、日本一という「ゴール」にたどり着いたのだろう。
チームの中心が存在感を発揮
明治神宮大会では投打とも、チームの中心に成長した選手が活躍した。
秋のリーグ戦で6勝をマークした外丸東眞(あづま、2年、前橋育英)は、初戦(準々決勝)の環太平洋大学戦(7回コールド)、決勝の青山学院大学戦に先発し、ともに完封勝利。絶対的なエースは秋のシーズン、8勝無敗だった。
外丸の武器は精密機械のような制球力。常にストライクを先行させ、ツーシーム、カットボールなどの変化球もコースの「きわ」に投げ込む。ストレートはボールの回転数が2200回転(1分間あたり)とプロの投手にも負けない数値を記録し、球速表示以上の伸びを感じさせる。決勝では最終回を3者連続三振の圧巻の投球で締めた。
宮崎のリードも見逃せない。「投手の生命線はアウトコースと考え、普段からバッテリーでここに投げ切る練習をしてます。このアウトコースと緩急を軸にした配球にこだわってます」。環太平洋大戦では、2ランを含む2安打3打点。「打てる捕手」の面目躍如だったが、目指しているのは「勝てる捕手」。“大学日本一に導いた捕手”の称号を手に入れたのは、その大きな一歩になった。卒業後は社会人野球に進み、2年後のドラフトを待つ。
打線では、秋のリーグ戦で三冠王になった栗林泰三(4年、桐蔭学園)が明治神宮大会では3試合で1安打。記録上では振るわなかったが、“廣瀬の後には栗林がいる”という存在感は相手の投手心理に大きな影響を及ぼしただろう。
栗林は右翼での献身的な守備にも定評がある。肩も強く、神宮大会でも「レーザービーム」を披露。青学大との決勝では難しいフライを捕球すると、すぐさま一塁へ矢のような送球。帰塁した走者をわずかなタイミングでアウトにはできなかったが、アグレッシブなプレーでチームを鼓舞した。
観衆の度肝を抜いた千両役者
外丸と宮崎のバッテリーに、4番・栗林と軸となる選手がそろった慶應大だが、今年の「アイコン」はやはり廣瀬だった。
早慶3回戦で優勝を呼び込む、リーグ通算20本目となる2ランを放った廣瀬は、明治神宮大会でも「千両役者」ぶりを見せつける。日本体育大学との準決勝、六回に逆転3ランを左翼席中段に打ち込むと、八回にもレフトに一発。衝撃の2打席連続本塁打で、寒空のなか詰めかけた観衆の度肝を抜いた。
1本目の逆転3ランは、打った瞬間に廣瀬もそれを確信する弾道だった。廣瀬は初めて訪れた球場では必ず、どのくらいのスイングをすればホームランが打てるか、感覚的な確認をするという。1年春のリーグ戦からプレーしている神宮球場は慣れ親しんでいる場所。距離感は体に染み込んでいた。
球場内の大喝采を受けながらも、いつものように表情を変えずに、2度とも淡々とベースを1周した廣瀬。堀井監督も、4年間指導してきた教え子の姿を頼もしく感じたという。「ホームランの威力を見せてくれましたね」と頰を緩ますと、次のように話した。
「廣瀬の持ち味は、もちろん長打力ですが、一番は投手に向かっていく姿勢だと思います。たとえ調子が悪くても、絶対にひるまない。これは教えてもできることではないんです。本能的に持っているんでしょうね。気持ち的にも3年生、4年生になるにつれて浮き沈みがなくなった。廣瀬が打席に入る時は、特に作戦はありません。私は毎打席、送り出すだけでした」
堀井監督はキャプテンとしての廣瀬も評価している。
「2年前の主将の福井章吾(現・トヨタ自動車)は言葉で引っ張り、去年の下山悠介(現・東芝)は自らの姿勢をチームに示しました。廣瀬は2人とは違うタイプでしたが、看板選手としてのプレーで引っ張っていた。秋の大学日本一になれたということは、それだけキャプテンシーがあった証しだと思います」
早慶1回戦で敗れた後、「KEIOのユニホームを着るのを明日で最後にしたくない」と沈痛な面持ちだった廣瀬。リーグ優勝と明治神宮大会制覇を遂げ、大学公式戦のラストゲームまで袖を通すことができた。
だが、始まりもあれば、終わりもある。KEIOのユニホームを脱ぐときがやってきた。「廣瀬にとって、KEIOのユニホームとは?」。そう問うと、こんな答えが返ってきた。
「小学校(慶應幼稚舎)の時から着てますが、まさかプロ野球に入れるとは思わなかった。
自分を成長させてくれたものであり、KEIOのユニホームが自分の人生を変えてくれました」
神宮の夜空に響き渡った「若き血」
青学大との決勝は、どちらに流れが転ぶかわからない展開だった。1プレーが勝敗を分けるような緊迫感のなか、我慢強く流れをたぐり寄せたのは慶應大だった。球際に強い守りで外丸をもり立てると、八回に持ち前の勝負強さを発揮。ノーヒットで2点を奪った。
リーグ戦からの勝負強さの源は「チームの一体感」にあった。トップバッターとして打線を勢いづけた吉川は「戦力的には少しだけ青学大が上だったかもしれませんが、一体感は勝っていた気がします」と胸を張る。
そして、この「一体感」をさらに強めたのが、慶應大学應援指導部による応援だった。廣瀬は「愛塾(校)心にあふれている応援から力をもらいました」と感謝を示す。
應援指導部副代表の村上圭吾(4年、慶應義塾)によると、声援を送る相手の立場に立つことを大切にしてきたという。
「応援は必ず対象となる方がいて、その時々で我々は合わせる必要があります。この考えのもと、どうすれば観客を盛り上げられ、選手を後押し出来るかを追求しています」
吉川は「チームは日本一になりましたが、慶應大は応援も日本一だと思います」と、應援指導部員たちをたたえた。
4年生の應援指導部員たちも、野球応援はこの決勝が最後。4年生野球部員同様に、神宮球場に別れを告げる。1年間、代表として部をまとめた畑山美咲(4年、県相模原)も、達成感と感慨が入り交じった表情をしていた。
「チャンスパターンやコールなどに合わせて、応援席が一体となって野球部を応援している景色が大好きでした。日本一の野球部を最後まで応援できて、とてもうれしかったです」
閉会式の後、ユニホームを着たメンバーも応援席へ。神宮の夜空には野球部員と應援指導部員が一体となった「若き血」の大合唱が響き渡った。