筑波大学・柳田歩輝 「キャプテン向きでは…」それでもチームの象徴として、最後まで
第76回 全日本バレーボール大学男子選手権大会
12月1日@大田区総合体育館(東京)
日本体育大学 3-0 筑波大学
(28-26.25-17.25-13)
4年間のすべてが終わる、準々決勝。敗れた瞬間、涙も出なかった。筑波大学の柳田歩輝(いぶき、4年、松本国際)は負けたこと以上に、出し尽くすことができずに終わってしまったことが悔しかった。
「練習でやってきたことが全然発揮できなくて、もう少し引っかけられたら違う展開になったんじゃないか、もっとやれることがあったんじゃないか、という後悔が多すぎる試合でした」
接戦の第1セットを落とし、不完全燃焼のまま終幕
秋季関東大学リーグではフルセットの末に日本体育大学が勝利。全日本インカレも同様、僅差(きんさ)の攻防が繰り広げられるだろうという予想通り、序盤から拮抗(きっこう)した展開が続いた。日体大が池城浩太朗(4年、西原)のサーブで先行すれば、筑波も柳田のほか砂川裕次郎(4年、埼玉栄)、牧大晃(2年、高松工芸)のサーブや攻撃で応戦し、24-24のジュースに突入。両チームともにサイドアウトを取り合う中、最後は平田悠真(1年、鎮西)のノータッチエースで26-28。第1セットの接戦を制した日体大がそのまま勢いに乗り、ストレート勝ちを収めた。
得点源である柳田の攻撃時には常に2枚、時に3枚ブロックがそろう中、果敢に攻めたが、抜けたコースにもディフェンスがいた。「砂川が頑張ってくれたのに、自分が決めきれなかった。悔しいです」。連覇がかかった大会は、不完全燃焼のまま、ベスト8で終幕を迎えた。
エースの資質が見られた2年前の全日本インカレ
小学生からバレーボールを始め、松本国際高(長野)3年時には髙橋藍(日体大4年)を擁する東山にインターハイの準決勝で勝ち、大会を制した。春高では東山に準決勝で敗れたが、堂々の3位。髙橋、水町泰杜(早稲田大学4年、鎮西)と共に、世代を代表するエースとして注目を集めた。
筑波大に入学後も、昨年のインカレを制したチームの柱・垂水優芽、エバデダン・ラリー、西川馨太郎(すべて現・パナソニック)と共に主軸として活躍。最終学年となった今季はキャプテンに就任した。だが、本人にとっての大学ラストイヤーは、前年に10年ぶりの全カレ制覇を成し遂げた先輩たちを超えるだけでなく、キャプテンとしてどうチームをつくっていくか。責任と覚悟の重さに押しつぶされそうになった1年だった、と振り返る。
「今までの学生生活を振り返って、きついこともたくさんありました。でも思い返すと、やらされるバレーだったので、言われるまま、考えずにやればよかった。大学では自分たちが考え、正しさにこだわってチームとして実践し、つくっていく。自分が求めるキャプテン像や、秋山(央)先生が求めるキャプテン像、チームが求めるキャプテン像。そこで自分がどうありたいか、というのがわからなくなった時期もありました」
1学年上に垂水という絶対的なエースがいながら、秋山監督が柳田に求めるものは少なくなかった。現に2年時の全日本インカレ準決勝で試合中に垂水が負傷した際、両ミドルのラリー、西川と共にエースとして牽引(けんいん)するプレーを見せたのは柳田だった。垂水に代わって投入された橋本岳人(4年、埼玉栄)が、少しでも負荷なくプレーできるように自身がトスを呼び、「上がったトスは全部決めてやる」とばかりにインナーへ鋭くたたきつけたスパイクは、チームを勝利に導くエースの1本そのものだった。
心が折れそうになったとき、踏ん張れたのは同期のおかげ
期待値が高いからこそ、なかなかその壁を乗り越えられずに苦しんだ。エースとしてだけでなく、主将としても同様だ。もともと「性格的にキャプテン向きではない」と言うように、強い言葉を発してリーダーシップを発揮するのは得意ではない。エースとして点を取ることで引っ張っていこう、と思っても、チームの象徴であるためには、それだけでは足りない。今シーズンは春、秋のリーグ戦、東日本インカレでもなかなか結果が出せず、「折れそうになったことが何度もある」と振り返る。それでも踏ん張ることができたのは、同期の存在があったからだ。
コートの中でプレーする時間が長い砂川や橋本だけでなく、柳田にとって常に「支えであり、気づきを与えてくれる存在だった」と言うのが近藤大介(4年、甲府西)、佐藤嘉生(4年、高崎)の2人だ。バレーボールだけでなくチームのマネジメントも担い、練習になれば誰よりも声を張り上げる。「できる、できないじゃなく、『必死でやる』姿勢そのものがチームに活力を与えてくれた」と柳田は言い、特に2回戦の専修大学戦、3回戦の岐阜協立大学戦でリリーフサーバーとして出場した佐藤のサーブやレシーブがチームを救ってくれた、と感謝する。
特に象徴的なプレーが出たのは、2回戦の専修大戦だ。日本代表でも活躍する甲斐優斗(2年、日南振徳)を擁する相手に、迎えた最終セット。砂川のバックアタックで8-6と筑波がリードした場面で佐藤が投入され、的確なコースを狙ったサーブから柳田のスパイクで9-6とリードを広げた。続く1本は、甲斐が放った渾身(こんしん)の一打をレシーブして、砂川のバックアタックにつなげ、3点差に広げるきっかけを佐藤がつくった。
スタメンで出場する選手よりも出場機会は限られているが「その1本にかけている姿に動かされてきた」と柳田は言う。ただ、佐藤の目線で見れば、また違う解釈があった。自分たちが厳しい環境でも頑張れたのは「柳田のおかげ」と目を赤くする。
「本気になった時の歩輝の力は本当にすごい。砂川も、牧もすごい力を持った選手ですけど、チームの強さが出せるのは、やっぱり歩輝の力があったからでした。この2日間も苦しい時に歩輝がサービスエースを取ったり、スパイクを決めて、頑張ってくれたおかげでチームが踏ん張り切れた。歩輝は自分には向いていないと言っているのかもしれないけれど、僕たちのキャプテンは歩輝で、キャプテンに向いている選手でした」
学生最後の1年は苦しいことの方が多かった
主将として、エースとして。壁に当たりながら戦い続けた学生最後の1年は、苦しいことの方が多かった。だが支えてくれる仲間がいたからこそ、乗り越えられた日々でもあった。
「何が得られたか、まだ今はわからないけど、いい時、よくない時、それぞれどんな状況なのかを考えたり、気づく機会が多くありました。でもだからこそ、そこで見えた課題解決ができなかったのは悔しい。一緒にやってきてくれた仲間には感謝しかないです」
最後は望んだ結果を得られなかった。歯がゆさも、悔しさも残る。
でも、ここまでやり抜いた。苦しみながらも、「向いていない」と葛藤しながらも主将として、最後まで戦った。その歩みが、消えることはない。