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特集:全日本バレー大学選手権2023

慶應義塾大・大槻晟己 競技生活最後に立ちはだかった清風の後輩 試合後交わした握手

全カレで清風の後輩と相対した慶應義塾大の大槻(試合の写真はすべて撮影・井上翔太)

こんな最後があるんだな。慶應義塾大学の大槻晟己(4年、清風)はバレーボールの神様に感謝した。

「これが、僕のバレーボール人生最後の試合。高校では熱い心で戦うバレーをしてきて、大学では星谷(健太朗)さんから、ロジカルなバレーボールの楽しさを教えてもらった。最後の最後で日本一が取りたい。しかも『どこかで高校時代の仲間と対戦できたらいいな』と思っていたけれど、まさか(前田)凌吾(早稲田大学2年、清風)と戦えるなんて思わなかった。最後に、お互いスタートで出て、セッターとして勝負することができて幸せでした」

【特集】全日本バレーボール大学選手権2023

中学3年以来のスタメンセッター「うれしい1年でした」

全日本インカレ3回戦。早稲田―慶応。春、秋のリーグ戦や東日本インカレにとどまらず、対抗戦も含めれば今シーズンで対戦するのは6度目だ。すべて勝利した早稲田の選手が「今まで勝ってきたからこそ難しかった」と口をそろえる中、慶應にとってはリベンジの機会でもある。さらに言うならば、初戦は西日本インカレを制した強豪・愛知学院大学に対し、昨年の全日本インカレ2回戦で敗れたリベンジを果たした。大阪商業大学にも勝利し、“6度目の正直”をかけて早稲田に挑んだ。

大槻は司令塔として「松本(喜輝、4年、九産大九産)、渡邊(大昭、3年、慶應義塾)の二枚看板に打たせようと決めていた」と振り返るように、サーブで主導権を握って勝負どころでサイドを使い、25-20で第1セットを先取。第2セットも0-4と先行したが「群を抜いて高さと厚さがある」という早稲田のブロックにスパイクが止められ、逆転で2セット目を失うと、3、4セットは勢いを取り戻した早稲田に押し切られた。

泣き崩れる選手も多い中、悔しさをにじませながらも、大槻の表情は晴れやかだった。「自分がスタメンとしてコートに立つのは中学3年生以来なんです。だからこの1年、スタメンでコートに出させてもらえるのは新鮮で、僕にとっては本当に濃くて、うれしい1年でした」

チームの司令塔として二枚看板を中心とするゲームメイクに徹した

イップスに悩まされた高校時代

小学2年からバレーを始め、セッターになった時期も早い。当時は「何も考えずに上げていたし、上がっていた」というトスが、高校に進むと急に難しく感じるようになった。

清風の山口誠監督は元セッターで、日本代表でプレーした経験も持つ。つくるチームもセッター中心の攻撃で、「教えられることがたくさんあったし、学ぶことばかりの貴重な時間だった」と大槻。だが、「もっとうまくなりたい、もっとこんなプレーがしたい」と、真面目に取り組めば取り組むほど自分の中でうまくいかず、壁に当たった。気づけば、満足いく1本どころか、普通のトスも上げられなくなった。

「イップスになってしまったんです。まだ今も名残があるんですけど、高校1年で自分がイップスだと認識してからは、試合で上げるのが正直怖かったです」

高校時代はイップスに悩み、トスを上げることが怖くなった

2年時に春高で準優勝。その時は先輩のセッターがいたが、3年生になり、レギュラーセッターになれるチャンスが巡ってきたところで、2学年下の前田が入学してきた。小学生の頃から存在も知っているし、うまいセッターだということもわかっていた。大槻としては、前田に負けるわけにはいかないし、当然自分が試合に出たい。ただ一方で、別の感情も芽生えていた。

「凌吾が来たことで、『自分がイップスの不安を持ったままメインセッターとしてやらなくてもいいんだ』とホッとする気持ちもありました。出たい。でも、怖い。当時は複雑でした」

真面目な性格の大槻に対し、前田はやんちゃ。入学当初を振り返り、大槻は「ムカつくことも多かった」と言い、前田は「(大槻が)怖かった」と笑う。何しろ前田は入学前に山口監督から「凌吾が入ってくるから、負けじと二つ上のセッターがめちゃくちゃ練習している」と伝えられていたのだから無理もない。

同じセッター同士。会話の機会はそれほど多くなかったが、練習で2人1組の対人レシーブは常にパートナーで、互いが打ったボールを拾い、打ってつなぐ。一つひとつ、同じ時間を積み重ねていくうち、時にやんちゃで生意気な後輩が、バレーボールに対して誰より一生懸命で、勝ちたいと取り組んでいることがヒシヒシと伝わってきた。ライバルではあるが、「もっと違う立場で考えるようになった」と大槻は言う。

「セカンドセッターとして凌吾を支えたい、と思うようになりました。もしも調子が悪くて、つぶれることがあったとしても『大槻がいるから大丈夫だ』と思われるような存在になりたかった。そうなれていたかどうかはわからないけれど、僕にとって凌吾は特別な存在でした」

早稲田大のセッター・前田は清風時代の後輩にあたる

「あいつ、俺の後輩なんだぜ」と自慢するためにも

前半はミドル中心で、時折遊び心も交えながらゲームメイクをする前田の姿を見て「やっぱりうまいし、この強い早稲田で1年からセッターとして出続けるなんて、僕には想像もできない」と感心する。試合に敗れた直後、慶應に続いて早稲田がスタンドへあいさつに向かった。前田の姿を見つけると、大槻が右手を差し出し、その手を「ありがとうございました」と感謝を込めて前田が握り返すシーンもあった。

さかのぼれば大槻が3年、前田が1年時の春高バレー。前年に続いてベスト4進出を果たしたが、準決勝で駿台学園(東京)に敗れた。レギュラーセッターとして注目を集めた前田のプレーは実に堂々としたものだった。ただ、前田は「それができたのは先輩の献身的な支えがあったから」だと明かす。

「2人で対人レシーブをしていても、大槻さんはいつも全力でボールを打ってくる。バレーボールに取り組む姿勢を教えてくれた人でした。だから大学生になって、何度も早慶対決をする中で、高校時代よりもずっと、距離が近くなった。チームは違ったけれど、最後も一緒にコートに立てて、すごくうれしかったです」

試合後にツーショットをお願いすると快く応じてくれた(撮影・田中夕子)

生意気な後輩は、嫌になるほどうまいセッターで、チームメートとして戦う時は何より心強く、対戦相手になると何より嫌だった。そして最後の最後まで、自分を超えていた。やっぱり生意気で、かわいい後輩だった。

「高校でレギュラーを奪われて、最後に負けて、バレーボールを引退させられて(笑)。バレーボールの神様に引導を渡されましたね。でも、僕のバレーボール人生に、凌吾は欠かせない大事な存在で、出会えて本当によかった。僕のバレーボール選手生活は終わるけれど、これからずっと『あいつ、俺の後輩なんだぜ』と語らせてほしいから、もっともっと、どんどん上の世界に行って頑張ってほしい。慶應大の後輩はもちろん、凌吾のこともずっと、応援しています」

最高の結末。負けてもそう思える。最高のバレーボール人生だった。

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