ボクシング

特集:駆け抜けた4years.2024

東洋大・田中空 仲間・感謝・自発的行動培った「ハマのタイソン」、いざプロの世界へ

ウエルター級で全日本選手権を制した東洋大の田中空(撮影・杉園昌之)

小よく大を制し、アマチュアボクシング界で異彩を放ってきた。大学最後の公式戦となった2023全日本選手権でも10cm以上の身長差を物ともせず、規格外のパンチ力で男子ウエルター級(69kg以下)を制覇した東洋大学の田中空(4年、武相)。有終の美を飾った22歳に山あり谷ありの4年間を振り返ってもらった。

【特集】駆け抜けた4years.2024

いつもRSCで勝つつもり、理想は1ラウンド

身長は中学校2年からずっと165cm。世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥と同じだ。ただ、東洋大の田中が主戦場とするのは、スーパーバンタム級から約14kg重いアマチュアのウエルター級(69kg以下)。プロの階級分けでは5階級も上となる。世界を見渡しても、希少なタイプと言っていい。がっちりとした体格から繰り出すパンチは重く、3ラウンドで戦うアマチュアの試合でも面白いようにストップ(RSC)勝ちの山を築いている。戦績は58勝8敗。白星の67%を占める「39」のRSC勝ちにはこだわりがある。

「いつもRSCで勝つつもりで戦っています。理想は1ラウンドで終わらせること。会場に足を運んでくれた人たちに面白いと思ってもらえるボクシングをしたいので」

ずっとお手本としてきたのは、伝説的な世界ヘビー級王者。クリアな映像はあまり残っていないが、画質が多少悪くても目を凝らしている。昔も今も憧れのボクサーは変わらない。「マイク・タイソンは、僕の教科書です。今でも映像を見て参考にしています」

接近戦を得意とし「マイク・タイソンは僕の教科書です」(撮影・杉園昌之)

「一番悔しい負け」を喫した相手と再戦

大学4年目の晩秋。アマチュア国内最高峰の舞台となる11月の全日本選手権は、強い決意を胸にリングに上がっていた。東洋大を卒業後、プロに転向する田中にとって、アマチュアの集大成であり、総決算の場だった。

「アマで負けた相手に最後、勝って終わるのが目標の一つでした。優勝を目指すのはもちろんですが、すべてを清算するつもりで臨んでいました」

東洋大では中重量級の主力として3年時から関東大学リーグ、全日本王座決定戦の2連覇に貢献。2年連続でウエルター級の階級賞を受賞するなど、圧倒的な強さを誇っていたが、油断は大敵である。大会前からチャレンジャーであることを自らに言い聞かせた。

準々決勝で拳を交えたのは、浅はかならぬ因縁がある日本体育大学の脇田夢叶(4年、日章学園)。1年前の試合は、今も胸に刻まれている。当時の田中は乗りに乗っていた。関東大学1部リーグで初の階級賞を獲得し、国体でも優勝。向かうところ敵なしだった。2022年全日本選手権は、頂点に立つことしか考えていなかった。「日本一になり、世界選手権で決勝まで勝ち進むところまで想像していました。そこでパリオリンピックの出場枠を取ってやると思っていたんです」

しかし、準決勝で思わぬ落とし穴が待っていた。田中の得意とする接近戦で激しく打ち合い、脇田に屈辱のRSC負け。キャリアで初めてパンチを効かされ、レフェリーにストップされたのだ。パリへの道を閉ざされただけではない。プライドまで打ち砕かれた。

「これまでのボクシング人生で一番悔しい負けでした。ポイントアウトされて判定で負けることはありましたが、自分の土俵で黒星をつけられるなんて……。だから、今回は絶対に勝ちたかった」

昨年の関東大学リーグを制し、仲間と記念撮影(本人提供)

全日本選手権を制し「ホッとした気持ち」

1年ぶりの再戦は1ラウンドからぐいぐいとプレスをかけた。前年に打ち負けた接近戦で優位に立ち、気迫がにじむ左ボディー、鋭い右アッパーを次から次にヒットさせる。終始、優勢に進めて5-0で文句なしの判定勝ち。リングを下りるときは満面の笑みだった。1年ぶりに雪辱を果たすと、準決勝は豪腕をうならせ、1ラウンドで決着をつけた。

全日本選手権6日目のウエルター級決勝。トーナメントを勝ち上がってきたのは、法政大学の染谷將敬(4年、駿台学園)。23年5月の関東大学リーグでは5-0の判定勝ちを収めているものの、胸のつかえをずっと感じていた。中学3年時の公式戦で2度負けている記憶が、頭の片隅から消えていなかったのだ。

「大学のリーグ戦で1回勝っていますが、アマ通算では1勝2敗で負け越しているなって。このままでは終われないという思いはありました」

会場の墨田区総合体育館は、その日一番の盛り上がりを見せ、「空コール」がこだました。多少のパンチを浴びても突進は止まらず、プロ顔負けの力強いパンチを打ち込むたびに歓声が上がった。沸き上がるギャラリーの期待に応えるように、最後は右アッパーのダブルで2ラウンドRSC勝ち。低い姿勢から相手のあごを突き上げる強烈なパンチは、タイソンを彷彿(ほうふつ)とさせた。アマチュアの試合とは思えないような圧巻のショータイム。すべてのミッションを完遂すると、言葉では表現できないような喜びがこみ上げてきた。

「達成感もあり、ホッとした気持ちもありました。全日本選手権は高校3年生で初めて出場し、勝てていなかった大会です。大学に入り、ずっと目標の一つにしていましたから。あの優勝は、僕の中ですごく価値のあるものになりました」

ずっと貫いてきた戦い方で、アマチュアの頂点に立った意味は大きい。物心がつく前の3歳からボクシングを始め、元プロボクサーの父親・強士さんとともに築き上げたスタイルである。「『アマチュアには向かない、不利だ』といろいろ言われてきた中、この戦い方でも勝てるんだ、と証明できました」。しみじみと話す言葉には実感がこもる。

「すべてを清算するつもり」で臨み、優勝を果たした(本人提供)

打ち方の基礎から鍛え直した大学1年目

原点は小学校低学年の頃だ。川崎市で育ち、幼少期は同級生の中で背が低い方ではなかったものの、気づけば周りに身長をどんどん抜かれていったという。試合でも思うように勝てず、鬱憤(うっぷん)をためていると、父からある映像を見せられた。画面の中には、頭一つ、二つ分くらい大きな選手たちをバタバタとノックアウトしていくファイターがいた。1980年代後半、世界ヘビー級王座に君臨したマイク・タイソンである。

「お父さんにこういう戦い方もあるんだよ、と教えてもらいました。背の低い選手でも、でかい選手は倒せるんだぞって。そこから打ち合いにいくようになり、自分の力を出せるようになってきました」

前に出て積極果敢に攻める戦法は、田中の性に合っていた。何度もトライ・アンド・エラーを繰り返し、父親と二人三脚でファイターとしての磨きをかけていく。距離を詰めれば詰めるほど、被弾のリスクもあるが、相手の懐に入り込む工夫を凝らした。たとえパンチをもらっても、あごを引いて、ダメージの少ない額で受けた。これも技術の一つ。中学生年代から名を知られた存在となり、横浜の武相高校時代には全国高校選抜大会で2連覇、インターハイで3位。国際舞台でもアジアジュニア選手権で金メダル、アジアユースでは銅メダルを獲得した。当時、地元メディアには「ハマのタイソン」という見出しも躍った。本人はいまでもその異名をよく覚えている。

「あれはめちゃくちゃうれしかったので」

高校卒業後のプロ入りも考えていたが、父親に大学進学を勧められて悩んだ末に東洋大へ。ボクシングのタイプもプロ向きで、勉強も好きではなかった。1日でも早くプロのリングで勝負したかったのが本音。それでも、父にこう説得された。

「いまプロデビューしても、お前はチャンピオンクラスにはなれない。大学ボクシングはレベルが高いから、まずそこでしっかり修行してプロに進んだほうがいい。大学を出てからでも、遅くない」

いま改めて、4年前に言われた父の言葉が正しかったとかみ締めている。入学1年目はコロナ禍に見舞われて公式戦に出場できなかったが、打ち方の基礎から鍛え直した。打ち終わりにガードが下がる悪癖も修正できたという。

「試合がない時期こそ、レベルを上げるチャンスだと思っていました。東洋大に入学した以上、大学の舞台で結果を残すという気持ちは変わらなかったです」

高校卒業後すぐにプロ入りせず、大学に進んだことに後悔はまったくない(本人提供)

希望を捨てず、地道に積み重ねた努力は報われる。大学2年目に特別方式のトーナメントで公式戦が再開すると、空白期間に取り組んできた成果はすぐに表れた。初戦の駒澤大学戦では、もともと苦手としていた足を使うタイプの選手に鮮やかなRSC勝ちを収めた。「あの1年間は無駄ではなかったな、と思いました」

先行き不透明なコロナ禍の中で始まった大学ボクシングだったが、納得のいく4年間を過ごすことができた。東洋大の三浦数馬監督からは競技面だけではなく、人間性の成長を促されたという。切磋琢磨(せっさたくま)する仲間の大切さ、周囲から受けるサポートへの感謝の気持ち、そして自ら行動を起こすことの重要性。「チャンスは待っていても来ないぞ」と言われ続け、人脈を広げるために見聞を深め、積極的に多くの人に会って話も聞いた。

春からは名門の大橋ジムへ、ウエルター級で勝負

今春には井上尚弥らが所属する大橋ジムに入門する予定だ。胸を張って東洋大を卒業し、満を持してプロの世界に飛び込む。アマチュア時代と同じウエルター級で戦うつもりだ。「減量は苦手なので」と苦笑しながらも、自らの考えをはっきりと口にする。

「無理に体重を落として動けないよりも、動けるほうがいいので。僕はウエルターが適正だと思っています。出稽古では同じくらいの体重のプロ選手たちと戦っても、体で負けている気はしないですし、十分にやれると思っています」

スパーリングでは、すでにプロの日本ランカーたちと打ち合っても互角以上の戦いぶりを見せており、その強さは多くのジム関係者たちも認めるところ。1年目から後楽園ホールでセンセーションを巻き起こす可能性は十分にある。本人も意欲をのぞかせる。

「『あいつの試合は面白い』と思ってもらえるようなプロボクサーになりたいです。タイソンのように自分より大きな選手たちを倒していくのって、面白いじゃないですか」

プロの舞台でもウエルター級を主戦場にすることは変わらない(撮影・杉園昌之)

世界に視野を広げると、ウエルター級は選手層が厚く、海外のスター選手たちがひしめいている。日本人がビッグチャンスをつかむのは容易ではない。厳しい現実を理解した上で、22歳のホープは大きな夢を追いかけるという。「ウエルターは、いまだ日本人の世界チャンピオンが出ていない階級。初めて世界のベルトを巻く選手になりたいです」

中重量級の本場はアメリカ。分厚い胸板を持つ身長5フィート4インチの挑戦は、ここから始まる。

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